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大紀元日本
ロシア革命後の世界
『知られざる共産党と悪魔信仰 残虐なレーニン』
2017.5.21
1917年のロシア革命後、外国に逃亡していたレーニンがロシアに戻り、「十月革命」で臨時政府を転覆して権力を握った。共産主義の人類に対する敵視は、ソビエト政権から粛清と大虐殺の形で具現化された。
マルクスとエンゲルスは悪魔信仰者だったが、レーニンも同じだった。レーニンの「同志」トロツキーは「青年レーニン」と題する本にて、16歳のレーニンが首にかけた十字架を外してつばを吐き、そして十字架を足で踏んだことを書いている。
これはサタン教によく見られる儀式だ。作家のアリドナはレーニンについて「レーニンは邪悪な人で、狼のような邪悪な目つきだった」と評価した。
「革命についていえば、確実に成功するためには統治階級と文化人を粛清するしかない」レーニンは革命後、この自らの言葉に沿って虐殺を始めた。
1917年、レーニンは自ら秘密警察「チェカ(KGBの前進)」を組織し、逮捕、立案、量刑そして死刑執行の権力を付与して恐怖政治を始めた。
1918年にはソ連初の強制労働収容所を設立し、ソ連邦では以降多くの収容所が建てられた。
レーニンは自らの発案により、高い文化水準を持つ知識人を国外追放し、圧制に抵抗したクロンシュタットの水兵を残酷に鎮圧した。1922年、レーニンはソビエト大会において「メンシェビキを公で唱える者に対し、我々の裁判所は一律にして銃殺の刑を言い渡す」と演説した。同年8月には「行政駆逐法令」を発布し、その影響で年末までに200万人以上が駆逐され、国外追放された。
ロシア皇帝ニコライ2世一家の処刑からもレーニンの残虐さが見て取れる。1918年7月、監禁されたニコライ一族は裁判を経ずに殺害された。子供を含む11人が銃殺され、死体は焼かれ、そして硫酸で顔を溶かされた。
このロシア皇帝こそ、レーニンの追放先での優雅な生活を保障し、毎月8ルーブル支給していたのだ。
ロシア思想家のプレハーノフはレーニンの残酷で凶暴な一面に気づき、臨終の時に書いた「政治遺書」で次のように述べている。
「レーニンは定めた目標を達成するためにどのようなことでもする。必要となれば、悪魔とでも手を組むだろう」
「レーニンは半数のロシア人を幸せな社会主義の未来に追い込むために、もう半数のロシア人を殺すことさえ厭わない」 以下略
『ロシア革命「歴史的意義=共産・志位氏』
時事通信 2017.11.9
マルクス・レーニン主義(共産主義)が、悪魔思想から成るもので、ロシア皇帝のみならず、ロシア国民を残虐な方法で粛清をし、恐怖政治が確立されたことを、日本共産党の志位和夫は「歴史的意義を持つ革命」と賛美しているのです。
こんな悪魔思想に彩られた政党が今も日本に存在していることが不思議でなりません。
大紀元日本
『レーニンも「非情な男」と呼んだ独裁者スターリン』
2017年5月23日
恐怖の大粛清 独裁者スターリン
スターリンはレーニンの後継者として、次のような発言をしている。「友情をはぐくむことは最大の快楽だ。彼が君を信頼して頭を君の胸に近づけ、そして彼の背中にナイフの一撃を食らわせることができる、これぞ最高の快楽だ」。
スターリンは15歳の時にマルクス主義を志向し始め、神を離れ、悪魔崇拝を始めた。
後日、スターリンが革命者として文章を書いた際、彼が最初に用いたペンネームは「悪魔」、その次が「悪魔のような」であった。
1912年、血も涙もない冷徹な人間であることを表す「鉄の男」の意味を示す「スターリン(Man of steel)が、新たなペンネームとなった。レーニンでさえ、スターリンは「党内で最も冷酷で非情な人物」と評価した。一方で、ソ連共産党の高官ブハーリンは「彼は人ではなく、悪魔だ」と例えた。
1930年、ソ連は強制労働収容所管理局「グラーグ」を設立した。のちに社会主義各国はソ連の強制収容所を模倣したが、それは極端に劣悪な環境と非人道的な待遇で悪名高いものだった。スターリンが1953年に死去するまで、ソ連には170ヵ所の強制収容所が建設された。
1930年から1940年にかけて、飢餓や重労働、非人道的な扱いにより50万人以上が強制収容所で死亡した。中には詩人や芸術家、学者そして研究者が含まれていた。
スターリンの時代には800万人以上が餓死する大飢饉も発生した。1930年代の大粛清は党や政治局、軍隊、中央政府そして地方政府に対する全面的な粛清に発展し、死亡者数は200万人とも言われる。 以下略
レーニンの時代にも大飢饉がありました。
大阪朝日新聞 1921.9.7-1921.9.8
『赤露の大飢饉(上・下)』
レーニンは農民から農作物、種まで没収したので農民もまた餓死者が続発しました。汚水からコレラの発生もあり…惨憺たる模様です。
これでも、日本共産党はマルクス・レーニン主義を現在も賛美しているのです。「民族自決権の旗を初めて無条件に掲げて実行した」と礼賛しているのですが、これは「民族自決(自殺)」という意味でしょうか?
それとも「民族粛清」という意味なのでしょうか?
ソ連の毒牙に、何十万という日本人もかかりました。
産経新聞2018年4月10日
『抑留中 銃殺判決114人』
産経新聞 2018年4月7日
『抑留死亡 新たに550人分』
『シベリア地域 延べ5万5000人に 厚労省公表』
『GHQ 知られざる諜報戦』C.A.ウィロビー著
驚くべき洗脳教育
ソ連の捕虜収容所で日本軍捕虜たちがいかなる扱いを受けてきたか、いまや日本の人たちで知らない者はいないと思う。それは抑留者たちの回想記や体験記を読むまでもなく、非人道的なものと断定して間違いはなさそうだ。なにしろ帰還兵たちを訊問したG2の情報員たちでさえ、驚くほどの実情だったのだから。
「われわれは、まるで奴隷のように重労働を課せられ、多くの仲間が栄養失調と病に倒れ、そして死んでいった」
帰ってきた兵士たちの多くは口をそろえた。それでも早い時期に帰れた捕虜たちは恵まれていた。多くは一日、また一日と帰還を延ばされていた。ソ連当局はこれら日本人捕虜の中から慎重に人選し、これを日本に帰したのち、第五列(国内事情を、特定国または敵軍に通報するいわゆるスパイ行為をする一群の人々を指す)の指導者的任務につかせるために“洗脳教育”をしていたのだった。
以下略
それでもいまだに共産主義、スターリンを礼賛する政党と大新聞があるのを知っていますか。
不思議なのは、共産党支持者が結構いることと、朝日新聞購買者が何百万人もいるということです。実に怖ろしいことです。
立憲民主党の「有田芳生(ヨシフ)」という名前は、日本共産党員だった両親が尊敬する「ヨシフ・スターリン」から名前をとり、付けました。
共産主義者というのは「人の命」「人類の幸福」より、「思想」を大切にする…カルト集団だといいうことですね。
…と、朝日新聞です。
ポルポトも礼賛
朝日新聞はもともと、毛沢東の中国、金日成の北朝鮮、スターリンのソ連、それにポルポトのカンボジアに対する著しい礼賛報道で知られる。
これらの国ではそれぞれ人類史に例を見ない自国民に対する大量虐殺を行ったことが日に明らかになっているが、朝日新聞紙面では毛沢東が発動した文化大革命を「近代化への模索」(1967年8月11日)と論じたり、スターリンを「子供好きなおじさん」(1953年3月7日夕刊)、カンボジアのポルポトを「アジア的な優しさに溢れている」(1975年4月19日夕刊)と報じたりした。以下略
そういえば、かつて中沢新一という思想家が、「レーニンは子供好きだった」と評していましたね。
朝日新聞は1941年9月7日(昭和16)に、「ナチスは恐ろしく児童好きである、ヒットラー総統、ゲーリング国家元帥の子供好きなのは有名であるが…」と書いていました。
『朝日新聞1941年、ナチス、ヒトラー、ゲーリングを礼賛していた』
朝日新聞はカルト新聞ということではないでしょうか。
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