厚顔無恥な日本共産党は今も健在

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

大阪の地震で被害に遭われた方たちにお見舞い申し上げます。

30年前に私も大阪に住んでいましたが、神戸も大阪も地震とは無縁の地域のように思っていました。

やはり、日本中、どこにいても地震の警戒は緩めてはならないんですね。

これ以上、被害が大きくなりませんようにと願うばかりです。

 

モリカケ」で盛り上がったマスメディアと野党ですが、与党が災害時の安全対策を議論している最中でも、18日間の国会外ピクニックを楽しんでいましたね。

6月の政党支持率では、なぜか日本共産党の支持が上がっていたのには驚きました。

 

日本人って…そこまでアホなのか?

 

とはいえ、日本の有権者の年齢別人口を考えると、やはり、そうなるのか?とも思ったりします。

共産主義運動(学生運動)」で、日本中を震撼させた団塊世代から上の世代の人口が大勢を占めていますから…

 

そんな彼らが信奉する共産主義のご本家・日本共産党について書いていこうと思います。

『蠢く!中国「対日特務工作」㊙ファイル』袁翔鳴著

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 共産党も受け取っていた中国からの工作費

 第3章でも触れたが、2002年5月に米国立公文書館で発見された米国防総省の機密文書「中国スパイ網報告書」によると、中国側は共産党政権成立直後から当時の友党である日本共産党などを通じて、日本の政治家や財界人、文化人ら各界の有力者の個人情報を収集するとともに、ダイヤの指輪や現金などの贈り物攻勢をし、その見返りとして、様々な情報の提供を強要していた。

 

 このような対日工作で大きな役割を果たしたのが、中国からの旧日本軍帰還兵だった。中国共産党政権が中国内で訓練した旧日本軍兵士を意図的に日本に帰国させて、スパイとして各所に送り込んだのである。

 『延安での日本共産党員の下半身事情と洗脳

 当時の中国の対日工作機関は朝鮮戦争で銃火を交えた米軍の情報収集に重点を置く一方、日本共産党に対する指導強化にあたっており、これらの帰還兵を使って、米軍基地に日本共産党員を浸透させる工作を展開したのである。

 

 さらに、54年2月には日本国内での“武装蜂起”を計画し、日本共産党員に2000丁の拳銃を渡そうとしたが、日本への密輸に失敗したことも報告書で明らかにされている。

日本共産党は、朝鮮戦争の時には「劉少奇テーゼ」により、すでに武装蜂起していました。

日本共産党は朝鮮戦争に参戦していた

『「血のメーデー事件」1952年5月1日

 

 報告書には1959年9月ごろ、中国銀行香港支店に中国と北朝鮮が共有する工作資金の秘密口座があったことを示す情報も記載されており、中国は北朝鮮と共同で対日工作を展開していたことをうかがわせている。

 

 まだまだ敗戦の後遺症が強く、混乱していた日本の国情に乗じて、日本をまさに“赤化”しようという毛沢東金日成の対日特務工作が浸透しつつあったのである。この報告書は、このような対日工作の一端を明らかにしている。

 

 具体的な例として、米政府が1968年10月にベトナムへの北爆全面停止を宣言した際、中国は米軍のアジア撤退などの情報を日本外務省経由で入手できなかったことから、在日の中国対日特務工作機関のトップが政治家である情報源の人物を叱責したほか、佐藤首相の訪米目的に関する情報を外務省幹部から入手したとの情報を明記している。

 

 同じく1968年1月、北朝鮮東岸の元山沖公海上で、米海軍の環境調査船プエブロ号が北朝鮮に拿捕された事件が起こった際、中国と北朝鮮の対日特務機関は、もし米朝が再び戦火を交えた際、日本が米側の同盟国として参戦する可能性があるのかどうかを探るため、当時の三木武夫・外相から直接情報を得るよう自民党有力者に働きかけるなど、情報収集に全力をあげたことが報告書に記載されている。

 

 結局、情報の入手には失敗するが、その1週間後に国会で社会党議員が日本参戦に関する質問を佐藤首相に突き付けたことが報告書に記載されていることなどから、米軍は中国の対日特務工作機関が社会党に働きかけた可能性をほのめかしているのである。

 

※ 第一次安倍内閣が発足した時に、国会で菅直人など旧民主党議員が安倍首相に「村山談話河野談話を継承するのか」「靖国神社参拝をするのか?」と迫ったことがあります。 厚顔無恥旧民主党は中国と韓国の出先機関のような政党でしたね。 立憲民主党と名前は変わっても、その厚顔無恥さは変わりませんが…

 

 このほか、07年5月、米政府による「機密指定」を解除された米中央情報局(CIA)の「日本共産党 1955~63年」と題された報告書によると、07年7月18日に死去した日本共産党宮本顕治・元議長が「自主独立路線」を築く以前の1950~60年代、同党が旧ソ連や中国から多い年で年間40万ドルの資金提供を受けていたとされている。

 

 報告書は「共産党に対する外国の年間資金援助額を30万から40万ドルと見た場合、同党年間収入の約4分の1に達していたことになる」と指摘している。

 報告書は1964年3月20日付で全文約100ページ。

日本共産党旧ソ連から資金援助を受けていたことは、すでにロシアの公文書で明らかにされているが、CIAも中国ルートを含めた日本共産党への資金の流れを掌握していたことになる。

 この報告書は57年、中国から10万ドルの融資分を含む20万ドルの資金を受領、資金は当局の監視を逃れるため、さまざまな擬装工作が施され、香港経由で同党に渡っていた」と記載されている。

 

 報告書は情報源を伏せているが、資金の流れには、日中貿易振興を標榜する団体が仲介するルートも存在。

 中国が「進歩的日本企業」から商品を仕入れるというビジネスを名目に、この金庫番」とみていた袴田里見(故人)の下に流れ込んでいたと報告書は指摘している。

 ※中国では、中国共産党の操り人形を「進歩的日本人」と言います。

 

 さらに、報告書は「外国からの資金援助のうち、中国の提供分は少なくとも半分に達するもようだ」と分析。

ソ連の提供額も「党予算の4分1から3分1を占める割合になっていた」と推定している。

 また、中国やソ連からの資金援助は「安保の年」である1960年のような「重要な年」には例年よりもはるかに多かったとの情報を引き出しているのである。

 

※旧社会党ソ連と中国、北朝鮮盲従でしたが、資金が流れていたのでしょうか? まさかタダでこき使われていたとか?

社会党厚顔無恥な政党でした。社民党に党名を変えましたが、多くの議員は旧民主党に移りました。

今も、立憲民主党とやらに鞍替えしてシブトク生き延びています。

 

米帝国主義は日中両国人民の敵である』浅沼稲次郎

1959年3月12日

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 共産党は日頃から「政党の中で唯一、清潔な党」と強調しているが、実は戦後の再結成当初、「自分の党の活動費も自分で賄えず、外国の工作機関からの日本顚覆を目的としたダーティマネーで、中朝さらにソ連の言いなりになり、自分達の懐を潤していたという、法律で禁止されていることを平気で行っていた厚顔無恥な政党であった」との実態を暴露されていたのである。

 

因みに、日本共産党は発足当時から 厚顔無恥 でした。

戦後の再建は、在日朝鮮(韓国)人から援助を受けていました。

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この当時の共産党員の多くは在日朝鮮(韓国)人でした。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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