救いようのないアホな韓国・文大統領

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

産経新聞 2018.9.23

【文大統領は北で何を見たのか】李相哲・龍谷大学教授 寄稿

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北朝鮮テロ支援国家であり、金正恩はその国の指導者であることを、文はさっぱり忘れてしまったのかもしれない。

 

 20日に文は金正恩の案内で白頭山を訪れた。 白頭山朝鮮民族発祥の地として知られるが、北朝鮮にとってはそれ以上に特別な意味を持つ。

朝鮮労働党が編纂した「金日成同志の革命歴史」によれば、金日成と夫人の金正淑白頭山を拠点に抗日パルチザン闘争を展開し、祖国(北朝鮮)を解放した。

金正恩の父。金正日が誕生したのも白頭山の麓とされる。 北朝鮮にとって聖なる場所だ。

 

 頂上にある天池のほとりで金正恩が「天池の水が乾かないよう、新しい歴史を書いていかなければなりません」と語りかけると、文は「この度、私はちょっとだけ新しい歴史を書きました」と応じた。

 

 報道によると、韓国政府は、南北経済協力事業として白頭山麓の三池淵空港の拡張工事を優先して行う方針だという。

 

 今回の平壌訪問で核放棄を強く迫ることなく、気前の良い約束だけをしたとすれば、後に「禍根を残した旅」と評価されるのは間違いないだろう。

 

 

白頭山金日成の革命の拠点」…これ、とっくに「嘘」だとバレていますよね。

 

朝鮮総連金賛汀

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>捏造される金日成神話

 

 総連組織を金日成主義者の組織に変質させていく過程で、金日成を神格化、神聖化するため、もうひとつの虚構が作り上げられていったのである。

 それは北朝鮮で徹底された、近代朝鮮革命が全て金日成の指導で遂行されたという神話の押し付けであった。 教祖様には神話が必要という事なのであろう。

 

 1958年ごろから、北朝鮮では朝鮮人民解放闘争史などで、金日成は1930年頃から革命運動に参加し、1934年に朝鮮人民革命軍を創設、その部隊を指揮して満州で日本軍と果敢に戦い、朝鮮人民革命軍は1945年8月ソ連軍と共に朝鮮を解放したという神話が作り始められた。

(中略)

北朝鮮、そして朝鮮総連から発表された金日成の革命活動の著述では、金日成中国共産党員として反満抗日運動に参加し、中国革命のための武装部隊である抗日連軍に所属していたとの事実は、すっかり覆い隠されてしまった。

 さらに金日成は、1939年には日本軍に追われ、中国人の抗日連軍と共にソ連領に逃げ込み、ソ連軍に保護され、ソ連軍の対日特殊戦闘部隊であるソ連極東軍第88特別狙撃旅団に属し、部隊の大尉として1945年9月までソ連ハバロフスク郊外のビヤックエ村の旅団兵舎で生活していた。

 

 そして、ソ連軍に編入された1940年から、日本の敗戦の日まで一度も戦場に出ることも日本軍と戦火を交えたこともない。

でも、そうした事実は全く覆い隠されてきた。 それらが明らかになれば金日成の「朝鮮解放の民族英雄」としての神話が崩れ落ちてしまうからである。

 

 私が「民族解放の英雄」としての金日成の活動に不審を抱いたのはかなり早く、1960年代後半であった。 当時総連組織では、毎朝、勤務時間前の30分ほど費やし、金日成パルチザン部隊の抗日闘争回想記を学習させていた。 でも、その回想記には個々の戦闘でのパルチザンたちの苦労話は満載されているが、いくら回想記を読んでも朝鮮本土での朝鮮革命との関連が、曖昧にごまかされてしまっていることに気が付いたのである。

 

 そんなことから日本で発行された満州国関係の治安資料などを漁ってみた。 すると1931年ごろには金日成中国共産党に加入し、1936年にはその指導下にある抗日連軍に属していたことを知った。 だが、そんなことを自由に発言できる雰囲気は既に総連組織には無かった。

 

 回想記を読んでさらに奇妙に思ったことは、1939年以降の金日成の活動や消息がはっきりしない事であった。 北朝鮮ではこの時期、金日成満州の密林に秘密の基地を設け、小部隊による政治工作や武装闘争を続けており、金正日はそんな秘密基地の一つである、白頭山山麓で誕生したとなっている。

 しかし、革命闘争史では、その時代の政治工作や武闘闘争で具体的な活動内容や戦闘の記述は皆無で、抽象的な主張の羅列に終始していた。 これは何かおかしいと思わざるをえなかった。

 

 余談になるが、1990年、私は北京で中国朝鮮族の有力者の紹介で、かつて満州で抗日武装闘争に参加しておられた朝鮮人の老幹部に会う機会があった。

 当時、中国全人代常務委員会の管理局副局長を退かれ、年金生活を送っておられた李在徳女史である。

 李在徳女史の話は、私を驚愕させた。

女史はソ連極東軍第88特別狙撃旅団にも在籍しておられた。そのときの思い出を次のように語ってくれた。

 

 「私の長女が生まれる4ヶ月前、ソ連で幼名を“ユーラ”と呼ばれていた金正日が、ソ連軍の野営地で生まれていてね、母親の金正淑にお乳が出なくて、彼には私のお乳をあげたものだったのよ。 金正淑とは抗日連軍の数少ない女性同志として強い戦友愛があったからね」

 

 淡々とした語り口の回想だけに、強い現実味を感じた。同時に、私の受けた衝撃は大きかった。

 金正日白頭山山麓パルチザン基地で生まれたのではなく、ソ連軍の基地で誕生したというのである。(以下略)

 

朝鮮学校朝鮮総連で云われている「金日成神話」は、日本ではすでに崩れているわけですが…韓国ではどのように教えられているのでしょうか?

 

抗日パルチザンWikipediaより

中国共産党に吸収された抗日パルチザン

 1922年(大正11年)の末、日本軍の撤退を受けたシベリアは、ソビエト共産党によって掌握され、日本との関係修復のために、独立をめざす朝鮮人パルチザン武装解除された。

 それにともない、多くの朝鮮人満州に移動して独立運動の継続を試みたが、シベリアでのロシア革命にともなった経験もあり、共産主義者となった者も多数いた。

(中略)

しかし、朝鮮の共産党は内紛が激しく、満州では民族派(右派)独立軍とも競合し、暗殺をまじえた激しい内部抗争のために、抗日活動はさほど盛り上がらなかった。

 

1930年(昭和5年)、コミンテルンの意向があり、満州共産党は、中国共産党に吸収されることとなる。 

(中略)

間島五・三〇事件(間島暴動)が発生する。最初に行動を起こした部隊を率いていた人物は、金一星(キム・イルソン)という龍井の大成中学生だった。この暴動は断続的に翌年の春まで続くが、襲撃されたのは電気会社や鉄橋などの日本の施設と、富裕な朝鮮人・中国人で、100人を超える犠牲者もすべて朝鮮人・中国人だった。

 

1932年(昭和7年)、関東軍支配下満州国が成立すると、満州全土で、反満抗日を旗印にかかげる武装団体が立ち上がった。

北軍閥、馬賊、宗教系武装団、朝鮮人民主義者の独立武装団、そして、朝鮮人を含む中国共産党パルチザンである。

(中略)

日本側からは共匪と呼ばれる匪賊の一種にもなった。

(中略)

共産主義者の詩人・槇村浩が高知にいながら日本共産党の機関紙・無産者新聞の記事を見て、想像によって『間島パルチザンの歌』を作り、「プロレタリア文学」に発表したのが1932年(昭和7年)の春である。

 

東北人民革命軍は、二度ほど朝鮮半島内に侵攻しているが、もっとも世間を騒がせたのが東興事件である。

1935年(昭和10年)2月、第一軍の第一独立師200人ほどが、朝鮮人の隊長・李紅光に率いられ、西間島を南下し、氷結した鴨緑江を渡って、平安北道厚昌郡東興邑を襲撃した。

 

民間人を殺害し、金品を掠奪して、朝鮮人資産家の家に放火し、16人を拉致して引き上げたが、隊長の李紅光は若い女性であるという噂が流れ、話題になった。

 

東北人民革命軍は、資金が欠乏していたためか、東興事件のように、掠奪・拉致を常としていて、『間島パルチザンの歌』のイメージからはほど遠かった。

また内紛も多く、「民生団事件」では400人あまりの朝鮮人隊員が粛清されたといわれる。

(中略)

人民解放軍は、結局は中国共産党の組織であり、数が多いにもかかわらず、朝鮮人隊員は排斥、疎外される傾向にあったのである。

 

1935年(昭和10年)に東北人民革命軍第一師長兼参謀長の李紅光は戦死するが李紅光支隊は通化事件などで活動する

(中略)

間島の金日成

東北抗日聯軍のパルチザン活動の中で、もっとも注目を集めたとされるのが、1937年(昭和12年)の普天堡の戦いだが、甲山グループの手引きで成功したこの襲撃は、略奪、拉致、放火を伴い、東北人民革命軍のころと変わっていない。

 

徐大粛『金日成 思想と政治体制』によれば、「金日成部隊の兵力補充は、中国人苦力および朝鮮人農民を徴用し、村や町を襲撃するたびに人質にとった若者に訓練を施しては兵士に仕立てた。 また食料の調達でもっとも一般的なのは、人質をとって富裕な朝鮮人に金を強要する方法だった。

求めに応じない場合には、人質の耳を切り落とすと脅し、それでも応じない場合には首をはねるといって人々を恐怖に陥れた」ということである。

 

確かに金日成パルチザン活動は、朝鮮半島で大きく報道されたが、「おおむねその蛮行、略奪を非難する内容で、襲われる満州朝鮮人農民の苦しみに同情を寄せたものが多かった」状態で、決して英雄扱いではなかった。

(中略)

戦闘、補給困難、脱走、帰順などで、東北抗日聯軍は消耗していき、金日成を含んだ残党はソ連領に逃げ込んだ。

彼らは第88独立狙撃旅団(ソ連軍)に編入されたが、対日戦に参加することなく、北朝鮮を解放したのはソ連だった。

(※「通化事件」については、いつか書きたいと思っています。)

 

「朝鮮共産党」のWikipediaより

承認取り消しと一国一党原則

(中略)

 

コミンテルンでは第6回大会(1928年7月~9月)が開かれていた。 

コミンテルンは大会後に朝鮮共産党の承認を取り消した。

(中略)

>朝鮮共産党の再建が行われなかったことに加え、コミンテルンの「一国一党」原則により、満州総局と日本総局は解散した。 満州・日本在住の朝鮮人共産主義者は、それぞれ中国共産党日本共産党に加入し、中国や日本の社会主義革命のために活動することとなった。

 

スターリンの「死」によって、「朝鮮戦争休戦」となったわけですが、それまでは「日本共産党」には、数多くの在日朝鮮人が在籍していました。

 【「血のメーデー事件」1952年5月1日  

 

韓国の文大統領は昨年に…

産経新聞 2017.12.17

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>韓国の文在寅大統領は16日、中国内陸部の重慶で、朝鮮半島出身者の抗日拠点だった「大韓民国臨時政府」庁舎跡を視察した。

「韓国臨時政府は韓国の根っこだ」と強調し、韓国は中国での抗日活動を継承した国家だとの認識をしました。

 

文大統領は、昨年には「金九」や「李承晩」が率いる「韓国臨時政府」が抗日戦争で戦ったから「韓国が日本から独立できた」という趣旨のことを言っていたわけですが…

今回、白頭山に案内されて「金日成率いる抗日パルチザンが朝鮮を解放した」という説に納得できたんでしょうか?

 

まあ、韓国側、北朝鮮側ともに、どちらも日本軍と交戦したこともなく、全くの嘘なんですが…お互いに何の矛盾も感じないところが…半島流なんでしょうか?

 

【文大統領は北で何を見たのか】という記事で、「韓国政府は、南北経済協力事業として白頭山麓の三池淵空港の拡張工事を優先して行う方針だという。」ということなんですが…

これって、韓国に何か利益になるんでしょうか?

「南北経済協力事業」ということなですが、白頭山は事実上、中国に占領されているわけでして…中国に利益になっても韓国には何のメリットもありません。

 

白頭山等に眠っている地下資源は金正日の時代に中国に売り飛ばされているんです。

韓国が中国のために空路を作ってどうするの?という話なんですがね。

 

 

読売新聞2007.8.6

【北の地下資源 中国再び触手】

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 朝鮮(韓国)半島の統一に絡む利権

今、韓国の経済はどん詰まりになっているというのに、なぜ、中国のためにお金(韓国国民の血税)を無駄遣いするのでしょうか?

しかも、同盟国である米国が中国に経済制裁を加えている最中に、中国を利するようなことをしていいんでしょうか?

 

北朝鮮のため」?と言い訳しても、今、世界は北朝鮮の「核廃絶」のために「経済制裁」をしているわけです。

ましてや、北朝鮮の人民は自由に飛行機に乗って国外に出られないんですよ。

 

どっちにしても…韓国は現実問題が理解出来てません。

もうね…日本も韓国を助けることをしてはいけませんね。

韓国は日本にとって「疫病神」みたいなものです。

 

最後までお付き合いくださいまして有難うございます。

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