今日もお立ち寄り有難うございます。
ちょっと、気になる記事を見つけましたので、今日はその記事のことを書きたいと思います。
中央日報 2019.3.27
>「獣のように働かせるだけ働かせて99円しかくれなかった時に気づいた。罪(罰)を受けたんだ」
>梁さんは「小学6年生だった1944年5月、日本人校長の懐柔と脅迫に勝てず、下関行きの船に乗った」とし「当時飛行機を作る三菱工場に投入された後、1年5カ月の地獄のような時間になんとか耐えた」と話した。
梁さんは「朝から一日中、飛行機部品のサビをぬぐい取ってペイントをする日課が繰り返された」とし「目にペイントが入って、痛がるそぶりでも見せれば間違いなく足で殴られた」と話した。
以下略
ん?
「99円しかくれなかった」?
ネットでの計算式では、「当時の貨幣×1386」で計算すると書いてありましたので、計算してみました。
梁さんの給与は「99円=約137,214円」となると思います。
白米10㎏=3円57銭
教員の初任給=55円
巡査の初任給=45円
小学生で住居、食事などがついて、「137,214円」は結構な値段ではないでしょうか?
しかも、大変素晴らしいもてなしまで受けていたんですね。
この記事の「女子勤労挺身隊」の写真をよく見てみると…
記事中ではバックに写っている「鳥居」が消されています。
実際には下記のように「どこかの神社を参拝」した様子があります。
そして、記事にはカットされてしまい写っていませんが、実際には「最前列の女の子が幟旗」を持っています。
何と書かれているのでしょうか?
「女子航空(挺身隊? 隊?)」…引率している男性教師?の頭の陰に隠れ見えませんが、幟旗を持っています。
なぜ、韓国では画像を切ったり貼ったりして加工するのでしょうか?
また、大変醜い扱いを受けたと証言していますが…
西村幸裕氏のツイッターには、「最敬礼」で迎えられている様子です。
VIP待遇の感じがしますね。
さて、「女子挺身隊」Wikipediaによると
>戦時日本の労働力が逼迫する中で、強制的に職場を配置換えする国家総動員法下の国民総動員の補助として行われ、工場などでの勤労労働に従事した。
1944年8月の女子挺身勤労令によって12歳~40歳の内地(日本)の女性が動員された。 日本統治下の朝鮮の女性への運用は検討されたが、適用されることはなかった。
>名称
女子挺身隊は女子勤労挺身隊、略して挺身隊ともいう。日本統治下の朝鮮での官斡旋は挺身隊は 朝鮮女子勤労挺身隊 または 半島女子勤労挺身隊 とも呼ばれた。
>朝鮮における官斡旋の挺身隊
1939年7月に内地(※日本国内)で男性のみに通用された国民徴用令が施行されたが、外地の朝鮮においてはずっと後の1944年8月に施行された。また、同じ1944年8月、12歳から40歳までの未婚女子の日本人女性を工場などへ動員する女子挺身勤労令が出されたが、朝鮮総督府は朝鮮は除外すると言明した。
こうして、朝鮮では朝鮮人女子に対して女子挺身勤労令は発令適用されなかった。
当時、内務省や朝鮮総督府は朝鮮人の徴用忌避に気を使っていて、また朝鮮女性の労働登記も極小であった。
しかし、強制性のない官斡旋の女子挺身隊は内地の工場に向かった。
記事の写真のキャプションには「強制徴用被害者」と書かれていますが、「強制徴用」などなかったということですね。(※この記事の梁さんは、強制とは言っていません)
さて、韓国では「女子挺身隊」は「慰安婦」にされたと言ってますよね。
朝日新聞が「43年からは<女性挺身隊>の名の下に、約20万人の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて5万~7万人が慰安婦にされた」と書いていたそうですが、今も韓国人達は同じ主張しています。
しかし、Wikipediaでは、「終戦後に帰国(※ただし空襲などで亡くなった女子は含まれていません)」と書かれています。
しかも、戦況が激しい時期に、朝鮮半島から20万人もの少女達を日本に移送できるでしょうか?
しかも、日本には年頃の男性は外地で戦っているんですよ。
つまり「労働不足=男性不足」の状態なんです。
日本に20万人もの少女達を連れてきても、何の意味も持ちません。
因みに外地の、いわゆる「従軍慰安婦」について、アメリカの諜報機関が発表した「日本人捕虜尋問レポートNo.49」の一部を紹介します。
「Wikipedia」より引用
>1944年8月10日に、ビルマの戦いのミイトキーナ陥落後掃討作戦において朝鮮人慰安婦20名と慰安所経営者であった日本人夫婦2名の捕虜が捕獲され、レイド捕虜収容所には1944年8月15日に到着した。
>慰安婦については日本軍に追随する娼婦、もしくは、プロフェッショナル・キャンプ・フォロワー(職業的な野営随行者)以外のなにものでもなく、この用語は日本軍特有のものだと説明されている。
>この報告については、日本によって募集され、かつ、ビルマ駐留日本軍に属している朝鮮人「慰安婦」だけについて述べると記されている。
>まず、1942年5月上旬、日本の斡旋業者たちが、日本が新たに勝ち取った東南アジアの属領で、「慰安任務・慰安奉仕(comfort service)をさせる朝鮮人女性を徴集するため朝鮮に到着したと記されている。
>従軍看護婦と勘違いさせるような虚偽の説明が為されている。これは斡旋業者により、朝鮮人女性が就労詐欺に遭っていた事の裏付けとなっている。
>多くの女性が海外任務げと徴集され、数百円の前借金を受け取った。
>平均的な朝鮮人慰安婦は、25歳くらいで、無教養で幼稚で身勝手である。
日本人や白人基準においても美人ではなく、自己中心的で、自分のことばかり話す。
「女の手練手菅を心得ている」。
自分の「職業」が嫌いだといっており、仕事や家族について話したがらない。
ミッチーナーやレドのアメリカ兵から親切に扱われたため、アメリカ兵は日本兵よりも人情深いとみなし、また中国兵とインド兵を怖れている。
>ミッチーナでは、彼女らは通常2階建ての大きな建物(学校の校舎)に住んでおり、個室で生活し、仕事をした。
食事は、日本軍が配給しておらず、「慰安所の楼主」が調達した食料を買っていた。
ビルマでの慰安所の暮らしぶりは、ほかの場所(慰安所)と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
彼女らは、故郷から慰問袋を受け取った兵士から沢山の贈り物をもらっており、贈り物でまかなえない物、服、靴、タバコ、化粧品を買うこともできた。
将兵と共に、スポーツ行事を楽しんだ。また、ピクニック、娯楽、夕食会に出席した。 蓄音機も持っており、都会では買い物に出かけることも許された。
>慰安婦の営業は日本軍によって規制された。利用度の高い地域では、軍の階級ごとに利用時間や料金の割り当て制が設置された。
>慰安婦は、接客を断る権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。
>「慰安所の楼主」は、契約時の債務額に応じて慰安婦らの総収入の50~60%を受け取っていた。慰安婦は月平均で1500円の総収益を上げ、750円を経営者に返済した。
多くの「楼主」は、食料、その他の品物の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちの生活をとても難しいものにしていた。
>1943年後半、日本軍は借金を返済した女性は帰国できるようにせよという命令書を発行した。これにより一部の女性は朝鮮への帰国を許された。
>慰安婦の健康状態は良く、各種の避妊用具を十分に支給されていた。兵士も支給された避妊具をもって来た。
慰安婦は衛生に関して十分な訓練を受けていた。軍医が慰安所を週1回訪れ、病気が見つかった場合は治療を受けた。
以下略
朝鮮人売春婦(慰安婦)の暮らしぶりは、もしかしたら、日本国内の日本人女性たちよりも贅沢で楽しい暮らしをしていた感じがしますね。
自称「従軍慰安婦」のお婆さんたちの「奴隷のような扱いを受けた」という話は、どこか彼方へ飛んでいくようなレポートでしたね。
「日本人や白人基準においても美人ではなく、自己中心的で、自分のことばかり話す。」
「女の手練手菅を心得ている」
そういえば、よくメディアに出てくるお婆さんたちって…
みんなそんな感じですよね。
※画像はお借りしました。
も参考までに読んでいただければ、アメリカのレポートが嘘でないことが理解できると思います。
産経新聞より
急に年老いた娼婦から抱き着かれたトランプ大統領が気の毒に感じました。
韓国の「売春させろデモ」
>大韓民国における売買春は違法であるが、韓国女性政策研究によれば、韓国における性売買の規模は2007年には合計14兆大韓民国ウォン(130億米ドル)と推計され、これは韓国の国内総生産(GDP)のおよそ1.6%にあたる。
(Wikipediaより引用)
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