悠仁さまを狙った猟奇的な刃物男逮捕

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

悠仁さまを狙った猟奇的な刃物男が逮捕されましたね。

不思議なのは、男が、悠仁さまが学ばれている教室を知っていたこと、教室が空っぽになる時間帯を知っていたことです。

とても偶然とは思えません。内部に共犯者がいるのでは?と疑いたくなるような事件ですね。

背後関係も徹底的に調査されることを願います。

 

さて、時期的にも…明仁天皇の譲位で皇太子徳仁親王が即位されるという、日本国民にとって大事な時であって…

 

戦前に「大韓民国臨時政府」の「金九」の指令で、昭和天皇の暗殺が計画されました。

幸いにも、天皇陛下はご無事で、犯人の朝鮮人李奉昌(別名:浅山昌一)は逮捕されました。

 

神戸大学電子図書館システム

大阪朝日新聞1932年1月9日(昭和7)

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天皇陛下陸軍始め観兵式行幸より還御の御途中歯簿桜田門外に差しかからせたる際警衛事故発生したるがその概要左の如し(一部号外再録)

 

本日午前十一時四十四分ごろ歯簿麹町区桜田町警視庁々舎前街角にさしかかせたる際奉拝者線より突然歯簿の第二輛目なる宮内大臣の乗車の馬車(御料前方約十八間)に手榴弾ようのものを投じたるものありたるが、同大臣乗車の左後車輛附近に落ち御無事宮城に環幸遊ばされたり、

 

犯人は警視庁警視石森勲夫、巡査本田恒義、山下宗平及び河合憲兵上等兵、内田憲兵軍曹等に於てこれを逮捕し警視庁に引致した目下取調中なるが其氏名年齢左の如し

 

朝鮮京城生れ 浅山昌一事 土工 李奉昌(当三十二年)

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因みに、「金九」や「李奉昌」は韓国の“英雄”として祀られています。

           

東亜日報1999年4月15日

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「金九(別名:金昌洙)」は、日本人殺害(鴟河浦事件)で死刑を宣告されていましたが、その後、脱獄しています。

 

「鴟河浦事件」Wikipediaより

>日本人(土田:日本人商人)がわき目をしているうちに足で蹴り倒し、手で撲殺し凍った川に捨てた。

 腹にあった財布からのお金で宿賃を支払い、3人の資金として使うことにした。

 奪ったものは、環刀、ロバ1頭 小判75両程度

 

「金九」Wikipediaより

「倭奴(ウエノム)の頭から足の先まであちこちを切りつけた。二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の湧くように流れた。わたしは手でその血を掬って飲みまたその倭(ウェ)の血を私の顔に塗り付け…」

―金九、『白凡逸志』日本語版 平凡社(1973年)79ページ

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※韓国では、日本人を惨殺した人物は、みんな「英雄」となります。

しかも、韓国人の「残虐性」は、地球上でも類を見ない猟奇的なものがありますね。

 

1968年に在日韓国人二世の「金嬉老」が借金のトラブルからライフル銃で日本の暴力団員を殺害したのですが、釈放後に韓国政府から援助されて、プチ英雄視されます。

しかし、また、強盗殺人を起こします。

韓国では、日本人を殺害した者は、どんな犯罪人でも英雄なんですよね。

変な国です。

 

 

1924年には「二重橋爆弾事件」というのがありました。

犯人は「上海義烈団の金祉燮(キム・ジソプ)」ですが、1962年に「大韓民国勲章大統領章」を追利されています。

因みに「義烈団」は、北朝鮮の政治家の「金元鳳」が作り、活動した団体です。

「抗日のテロリスト」は、みんな「韓国の英雄」になるようですね。

 

 

世界広しといえど、「テロリスト」を「国の英雄」として称えるのは、韓国くらしかないでしょうね。

「韓国の常識」は「世界の非常識」ですね。

 

日本共産党研究 下】立花隆

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>先に述べたように、この時代も党も全協も末端の活動力は大きく朝鮮人に負っていた。全協でいえば、構成員の30%から40%が朝鮮人で占められていた(32年で半数、33年は過半数になっていたという推定もある)。

 

 朝鮮人活動家は、日本人よりもはるかに戦闘的だった。

(中略)

 特に天皇制打倒とのかかわりにおいては、朝鮮人は先鋭的だった

(中略)

朝鮮人にとっての天皇とは、朝鮮を植民地として支配する日本帝国主義の政治的シンボル以外のなにものでもなかった。共産主義者にあらずとも彼らの民族感情が民族解放をめざしており、それが天皇制への対決に導かれていくことはごく自然の成りゆきだった。

だから、多くの日本人労働者をとまどわせた天皇制打倒綱領は、朝鮮人労働者に対しては眼からウロコを落とさす作用を持ち、朝鮮人たちは党への強固な支持を与えたのである。

    

この当時の内容をしんぶん「赤旗」で、次のように記事にしています。

    

しんぶん赤旗2019年2月27日)の【三・一独立運動から100年 日本のメディアはどう伝えてきたか】の一部を抜粋します。

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1922年、植民地の完全独立を正面からかかげる日本共産党が誕生し、1928年に「赤旗(せっき)が創刊されたことで初めて実現しました。

 

 赤旗」は創刊以来、「朝鮮独立闘争への連帯」を訴え、とくに三・一運動を記念する「三・一闘争」とともに、韓国・朝鮮人民が「国恥記念日」と呼ぶ韓国併合を強行した日を記念する「八・二九闘争」を重要な任務として毎年のように呼びかけてきました

中でも1931年3月1日付掲載の「三・一記念日」と題する論評は、関東大震災の多数の朝鮮人が虐殺された歴史にふれ、日本の労働者階級にとって「最も恥づべき頁として記憶しなければならぬ」「我々日本のプロレタリアートはこの時の恥を雪(そそ)がねばならぬ」と朝鮮人民との連帯を表明し、今日につながる重要な行動提起となっています

(以下略)

※「関東大震災の時の朝鮮人大虐殺」は、ありませんでした。

1923年の「東京時事新報」でも、「内鮮人にして殺害されるもの算無く」と書かれており、

平成29年の産経新聞に、日本政府は「大正12(1923)年の関東大震災の際に起きたとされる朝鮮人、中国人の“虐殺事件”への関与について、“調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない”とし、“遺憾の意を表明する予定はない”とする答弁書閣議決定した」という記事が載っていました。

 

産経新聞2017年5月13日

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ここでも、日本共産党は“嘘”をついて、朝鮮(韓国)人を「反日」へと煽動しています

 

※1922年に、日本共産党ソ連コミンテルン(国共産主義共産主義インターナショナル)から「コミンテルン日本支部」として「承認」されます。

※「22年テーゼ」

 1922年にコミンテルンブハーリンが起草した「日本共産党綱領草案」は、

君主制の廃止

軍隊の廃止

労働者の武装

朝鮮・中国からの撤退

(※ソ連はロシア時代から「不凍港」を欲し、「南下政策」をとり、朝鮮半島満州地域を狙っていました。また、レーニンは「共産主義の世界化」を目論んでいましたので、「反共」の日本が朝鮮や満州を支配するのは脅威でした。また、日露戦争で旧ロシが敗けていますので、ソ連にとって日本軍は脅威だったと思います。)

・土地の公有化

 

※「27年テーゼ」

 ・日本は封建的国家であり、近代国家として熟成しているとは言いがたい

 ・君主制の廃止

 ・日本共産党は当分の目標としてブルジョア革命を目指すものとする

 ・ただし その際のヘゲモニープロレタリアート、農民がとるものとする

 

※「32年テーゼ」

 日本の支配体制を絶対主義的天皇、地主的土地所有、独占資本主義の結合と規定し、当面する革命は絶対的主義的天皇制を打倒するためのブルジョア民主義革命(反ファシズム解放闘争)であり、プロレタリア革命はその次の段階であると位置づけた(二段階革命論)。

 

 反天皇制に加え、寄生的土地所有の廃止、7時間労働制の実現、「帝国主義戦争と警察的天皇制反対、米と土地と自由のため、労働者、農民の政府のための人民革命」をスローガンにする。

 

赤旗」には、書かれていません(というか、隠蔽しています)が、日本共産党朝鮮半島を独立させるために生まれた政党ではなく、コミンテルンの指示により「朝鮮(韓国)の独立運動」を煽動していたわけです。

 

また、日本共産党が「反天皇制」「自衛隊違憲である」というのも、コミンテルンの指示の影響によるものであります。

 

しかし、この「赤旗」の文章を読むと、戦前には日本共産党は、朝鮮(韓国)人と共に、日本の天皇陛下を暗殺しようと企んでいたことが分かりますね。

 

 これらは、もう戦前の話だから…と安心してはいけません。

 

北朝鮮利権の真相】野村旗守 編

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>戦後すぐの時期の、在日朝鮮人運動の「理論」を担当したのが、金斗鎔らの共産主義者である。

 

金斗鎔は「日本における朝鮮人問題」(『前衛』46年2月号掲載)で、朝鮮民族の最大の課題が「人民共和国の建設」であると主張しつつ、日本民族の伝統の結晶である皇室に対する敵意は、共産主義運動の重要な特徴であり、共産主義運動が日本国家を滅ぼそうという策動であることを如実に示している。

 

 当時、在日朝鮮人共産党員は北朝鮮との間を海上、秘密裏に往来し、工作員を日本に密入国させるなどして朝鮮労働党の策動を支援した。

彼らは「アヒル艦隊」「人民艦隊」などと呼ばれた。

 朝連は、昭和24年(49)年9月に団体等規制令を適用されて解散させられる。

 この背景には、朝連と韓国系の居留民団による各地での暴力的衝突があった。

 

 その後の在日朝鮮人の左翼運動を主導したのが、昭和26年(51)年1月に結成された「在日本朝鮮統一民主戦線」(「民戦」と呼ばれる)である。

 この組織の中心的活動家はすべて日本共産党員で、日本共産党民族対策部の指導下にあり、「日本の革命なくして朝鮮の独立なし」と主張した。

 

 日本共産党在日朝鮮人を「在日少数民族」と規定していた(51年2月の第4回全国協議会)から、在日朝鮮人を「日本革命」に利用することが合理化されたのである。

 

 同年8月には、日本共産党の指導下で「祖国防衛隊」という団体が発足し、武装闘争による朝鮮戦争の後方攪乱活動で暗躍していた。

以下略

 

上記の「しんぶん赤旗」は今年の2月27日に発刊されているのです。

そして、「金斗鎔」は、戦後釈放されての「天皇制打倒」の演説です。

今でも、100年前の「天皇制打倒」は続いており、「朝鮮半島」「朝鮮総連」「韓国民団」とも「連帯」して、日本を攻撃し続けています。

 

こんな怖ろしい政党が“合法”の政党であることが不思議です。

今でも「公安警察の監視対象下」に置かれながら、堂々と、日本国民を貶める活動をしていることが、なんとも歯がゆいというか、腹立たしい限りです。

 

悠仁さまの件は、共産主義とは何の関係もないかもしれませんし、変な思想的なものからくるものではなかったにしても、過去の事例に鑑みて、十分警戒し警備を怠ってはならないと思います。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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