中国の殺し屋工作員:周恩来を礼賛する異常な人々

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

今日は6月4日「天安門事件」があった日ですね。

中国共産党では、火消しに躍起になっておりますが…。

さすがに、戦後にあった事件ですので「日本軍の大虐殺」と嘘をつけませんね。

 

 

以下のような記事を読むと、「友好」に踊る人たち(既得権受益者)の売国ぶりに気分が悪くなります。

 

京都新聞 2019.5.21

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中国の周恩来元首相が詠んだ詩句「雨中嵐山」を刻んだ詩碑の建立40周年祝う献花式が20日京都市右京区嵐山公園であった。詩句が詠まれてちょうど100周年にもあたり、日中の関係者150人が、元首相の功績をたたえ、日中友好が続くことを願って花を手向けた。

 

 元首相は、1917年9月から約1年7カ月、日本に留学。「雨中二次遊嵐山」(雨の中を再び嵐山で遊ぶ)で始まる詩句は、帰国直前に詠んだ。詩句は、日中国交正常化締結の翌年79年に建立された。

 

 献花式は日中国際文化交流協会が主催し、華僑や留学生らが参列。献花式などの記念事業に関わったワタキューセイモアの安道光二会長が「中国発展の礎と日中友好の懸け橋を作られた。今も多くの恩恵を受けており、感謝する」とあいさつした。

 同協会の松田和典会長は「詩碑の存在は、中国では有名だが、日本では知られていない。多くの人に訪れてほしい」と話していた。

 

日中国交正常化」は、30年に渡って日本人の血と汗の結晶が中国へODA(対中政府開発援助」として有償資金協力(円借款):3兆3164億円無償資金協力:1572億円技術協力:1817億円総額3兆円以上が中国共産党の軍事費や党員の懐に入って行きました。

 

その他にも、環境、衛生、教育、農業、工業、貧困対策、鉄道、通信、などのインフラ整備等々の年間3000万ドルの援助も行ってきました(※数字は米華字メディア2017.4.26を参照)。

 

日本人の血と汗の結晶が…中国の軍備拡大を助長させ、尖閣諸島への不法侵入を増長させ、さらに、反日教育の拡大を増長させてきて、日本人の生命と資産を脅かすことになってきました。

 

日本人の血税を思い存分使って、日本人の生命と財産を脅かす「日中国交正常化」を喜ぶ「ワタキューセイモア」って何?と思い、Wikipediaで調べてみました。

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「ワタキューセイモア」Wikipediaより

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(※「日清医療食品」は「日清食品」とは関係がない)

 

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>主要株主 伊藤忠商事 25%

 

あらま! 中国共産党と一緒に「デサント」を乗っ取った伊藤忠商事じゃございませんか!

国賊「伊藤忠商事」に中国へ売り飛ばされた「デサント」 - 姥桜

 

本当に伊藤忠商事国賊としか言いようがないですね!

ここで伊藤忠商事売国ぶりをもっと書きたいところですが、今日は周恩来のことについて書きたいと思います。

 

日本の高齢の方々には概ね周恩来の評判はよろしいかと思いますが…周こそ日本を貶めた反日共産党員は廖承志並ではないでしょうか。

 

早坂茂三の「田中角栄」回想録】早坂茂三

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> 田中は私に毛沢東を評して、「彼は詩人であり、哲学者であり教師だ」といったことがある。「本当の政治家は周恩来だ。世界中で周恩来に匹敵する者はいない。政治家として、行政官として、周恩来は見事なものだ」—こういって田中は激賞した。

 47年9月29日、正常化を終えて、北京から上海に飛んだ田中首相一行に周恩来は同行した。

(中略)

周恩来は田中、張一行から百メートルばかり離れ、ゆっくり歩きながら、泥壁づくりの小さな農村工場に立ち寄った。大勢の婦人労働者が周総理を取り巻き、抱きつき、涙を流し、大声で訴える姿を、私は近い距離から観察した。私は中国語ができないから話の中身は、もちろん、わからない。

 

 しかし、汚れた作業衣の婦人、一人ひとりと手を握り、肩を抱き、ポケットからハンカチを取り出して、何人もの涙を拭いてやり、力強い口調でじゅんじゅんと話していた周恩来の姿は、私の脳裡に今も鮮烈に焼き付いている。

 離れない人たちの輪からやっと出て、田中一行に追いつこうとする周恩来に沿道から拍手の渦が巻く。

(中略)

 ニクソンの右腕として活躍したキッシンジャーは、米中秘密交渉で接した周恩来を「世界でもっとも傑出した三人の政治指導者の一人」と述べているし、ブルジネフを軽く見ていたニクソンも、その回想録で周恩来を最大級の表現でほめちぎっている。 卓越した政治家が相手を見る目は変わらない。

 その周恩来と中国について、田中は次のように語っている。

 

首脳会談は人間と人間の勝負だ

 

 私は世界の多くの指導者に会って話したけれども、周恩来という人は、なかでもずば抜けた人物であったね。 これはまさに傑物だ。 風雪に鍛えぬかれた百戦錬磨の政治家、卓越した行政官でもあった。 行政官といっても、机に向かっているだけの行政官じゃない。 なにしろ、きみ、革命運動や幾多の戦争を指導して、旧国民党との困難な折衝の矢面にも立ってきたんだ。 以下略

 

大勢の婦人労働者が周総理を取り巻き…

この場面は、北朝鮮がよく使う手ですよね。

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ヤラセ、演技です! 田中角栄早坂茂三さん、騙されましたね。

毛沢東の「大躍進政策」で何千万人(※7600万人という説もある)(※子供を交換して人肉食いも横行した)という中国人が餓死した政策、「文化大革命」でもさらに多くの死傷者を出し「人肉宴席」まで横行し、日本でも「学生運動共産主義革命)」で紅衛兵を真似た「造反有理」で凄惨な暴動が起きました。

田中角栄はじめ、周りの人たちもどうしてこの事実に気が付かなかったのでしょうか?

 

最近、田中角栄を礼賛する本なども出たりしていますが、私には田中角栄は「無知」で「功名心」が強く、「拝金主義者」だということしか思いつきません。

良いところも沢山あったのかも知れませんが、田中政治は中国共産党みたいに汚職が絶えませんでした。日本全国に無駄な箱物が沢山出来ました。

 

【蠢く!中国「対日特務工作」㊙ファイル】袁翔鳴著

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> 日中国交正常化交渉について、回顧する文章や本が多く発表されたが、田中と周恩来を持ち上げ、その決断を賛美するものばかりで、味噌汁やアンパンのことを含めて、中国による巧妙な仕掛けについて触れるものはほとんどない

 

 「『日中国交正常化』を実現させたことで、関係者はその後、『日中友好の功労者』として中国に持ち上げられ、様々な便宜を図られ、ほとんどと言ってよいほど中国に取り込まれていった。『いまさら中国の悪口を言っても始まらない。真相を全部明らかにすると自己否定につながりかねない』という気持ちがあったはずだ」

 ある外交関係者は、こう分析する。

 

 「井戸を掘った人」「中国の古い友人」「進歩的日本人」「名誉教授、名誉会長…」「永遠の友人」などなど…くすぐったいほど持ち上げられて、自分が騙されて利用されているなんて露ほども知らず…

彼らだけの話では済まされず…

彼らのせいで、日本人はどれだけ中国に搾取されたか…

いまでも搾取され続けていますが。

 

さて、次は周恩来の履歴を紹介します。

【マオ 誰も知らなかった毛沢東ユン・チアン&ジョン・ハリディ著

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> 周恩来が初めて共産主義に出会ったのは日本だった。 1917年、ちょうどボルシェビキ革命が起こった時期で、周恩来は19歳の学生だった。その後、周恩来はヨーロッパ留学中に共産党に加わる決意を固め、1921年中国共産党フランス支部に入党した。

 周恩来は強烈に信奉し、その献身ぶりは禁欲主義として現れた。

 (中略)

 粘り強く、不撓不屈で、冷酷なまで冷静な周恩来は、優秀な行政官であり腕の立つオルグであった。

 モスクワは周恩来に目をつけ、中国共産党軍の創設というきわめて重要な任務を与えた。

 1924年周恩来は中国へ帰国を命じられ、国民党の士官養成機関としてソ連が設立した黄埔軍官学校の政治部主任となった。

 周恩来に与えられた秘密任務は、国民革命軍の上層部に共産党スパイを潜入させて、時期が来たら国民革命軍の一部を乗っ取れるよう布石を打っておくことだった。

 蒋介石による国共分裂のあと、1927年8月の南昌蜂起という形で、周恩来はこの任務を全うした。

(中略)

 その後、周恩来は上海へ行き、1928年初頭から党務を担当するようになった。

 周恩来は地下活動が天才的にうまかった、と、当時の仲間が証言している。

 その夏、周恩来ソ連へ行き、モスクワ郊外で開かれた中国共産党第六回全国代表大会の前にスターリンと面会している。

 周恩来はこの会議の中心的存在で、少なくとも三つの重要報告をおこない、書記の役割もはたした。 周恩来の担当領域は広範にわたり、モスクワの指導の下で中国版KGBを創設し、暗殺部隊の責任者までつとめた。が、周恩来の最大の任務は紅軍の組織化だった。

(中略)

 周恩来が備えていた政治局員としての理想的資質の中に、厳格に規律を守る姿勢、モスクワに対する揺るぎない服従、そして奴隷的な屈従精神があった。

 周恩来は、上からどれほど叩かれても甘んじてそれを受けた。

(中略)

モスクワから来たドイツ人特使の一人が周恩来の中にあるマゾヒズムの傾向を見抜いたのか、「周恩来同士に関しては、もちろんお尻をペンペンしてやる必要があるでしょう。とはいえ、彼を追放するつもりはありません。われわれは彼を改造しなくてはならない…彼が自分の誤りを正せるかどうか、見てみましょう」と発言した。

周恩来は、ただじっと座って発言を聞いていた。

(中略)

 党に対する忠実さと疑う余地のない有能さを評価して、モスクワは周恩来を1928年から党の指導的立場に抜擢した。こうして、朱毛紅軍の紛争をさばく役割が周恩来に回ってきた。

(中略)

 撤退準備の中には、脱出組のリストに載った人間をしらみつぶしに審査する作業があり、これは周恩来が担当した。 信頼できないと判定された人物は処刑された。

 処刑者は何千人にものぼった。 紅軍軍事学校の教員は大多数が処刑された。 教員は紅軍の捕虜となって根拠地に連れてこられた元国民党将校が多かったからだ。

処刑は立ち入り禁止にした山奥の谷間に巨大な穴を掘って、そこでおこなわれた。

犠牲者たちは短剣でめった切りにされ、穴の中に蹴落とされた。 穴が満杯になると、残った者たちが自分用の穴を掘らされ、それからめった切りにされて殺された。

生きたまま埋められた者もいた。

(中略)

 1927年の国共分裂以来初めて中央書記処のメンバー9人全員がそろった会議で、5人が毛沢東不支持に回ったのである。 反対派の先鋒は王明だった。 新四軍の責任者項英も、昔から反毛の立場を明確にしていた。 長征で毛沢東からひどい妨害を受けた張国燾は、毛沢東を憎悪していた。

 周恩来と博古も王明の側についた。

 周恩来は積極的に日本と戦う考えに賛成だったので、よろこんで大勢側についたのである。

 毛沢東は少数派に転落した。

 (中略)

 当時重慶にいた林彪は、6月16日、ソ連大使パニュシュキンとの会談会場に周恩来より早く到着し、周恩来が何の手も打っていないこと、「命令」は「延安」から来たこと、をパニュシュキンに告げた。林彪より遅れてやってきた周恩来は、3ヵ月ばかり前に蒋介石に手紙を書いたが返事がなかった、と主張しはじめた。

 このとき林彪は「うなだれて座っていた」と、パニュシュキンはモスクワに報告している。

 周恩来がうそを言っているのは明らかだった。 事実、周恩来林彪は6月7日に蒋介石と会ったばかりだったのである。 そのとき、蒋介石はたいへん友好的な態度で応じたが、周恩来は新疆で囚われている同志のたちの話題はいっさい持ち出さなかった。

(中略)

おびただしい数の中国人が処刑された一方で、外国人で処刑されたことがわかっているのはわずかに二人―イタリア人アントニオ・リーヴァと、日本人山口隆一―だけである。

(中略)

二人は他の外国人数人とともに、国慶節の何日か前に逮捕された。それから10ヵ月後の1951年8月17日、アントニオ・リーヴァと山口隆一はジープに立たされて北京市中心部を引き回され、天橋の近くで公開処刑された。翌日の『人民日報』は「アメリカのスパイ、武装反乱を計画」と派手な見出しを打ち、暗殺計画は前アメリカ大使館付武官ディヴィッド・バレッド大佐の命令だった、と報じた。

 

 誰あろう外国人が、選りに選って国慶節のような最高レベルの警備が敷かれる日に、何十万という組織され熱狂した中国人大群衆の直中で、しかも一万人の警官と一万人の兵隊の警備をかいくぐって毛沢東暗殺を企てるとは、いささか考えにくい話である。事実、首謀者とされたバレット大佐は何ヵ月も前に中国を離れている。

 20年後、周恩来はバレットに疑いをかぶせたことを曖昧な言葉で謝罪し、改めて中国に招待した。 告発が捏造だったことを間接的に認めたのである。 以下略

 

確かに、周恩来は優秀で忠実な行政官であったようですね。

ただし、スターリン毛沢東服従していたのですから、「優秀な政治家」ではありませんね。

ニクソンはじめ、田中角栄に至るまで、周恩来の行き届いたおもてなしに感激するあまりに、何かをはき違えたように思います。

 

また、中国や外国人要人の中に、日本に留学していた、または日本で過ごしていた経験がある人物を「知日派」と喜んでいますが、これは「親日派」とは違います。

工作員は相手を騙すのが目的ですで、表向き愛想もいいでしょう。

嘘も平気でつきます。

 

しかし、バレット氏に誤ったとしても、無残にも処刑をされたイタリア人と山口隆一氏への謝罪がありませんね。

こういう人物が「優秀」で素晴らしい人物といえるのでしょうか?

 

それにしても、毛沢東の残忍さは今では誰も知るところですが、その毛沢東を支え、協力してきた周恩来も同罪だということに、誰も気がつかないのでしょうか? 

 

「穴を掘らせて殺して埋めた」「生き埋めにした」という話などは、「万人杭」ですよね。

これらも、なぜか「撫順炭鉱で日本軍が中国人労働者を生き埋めにした」ということに話がすり替えられていますよね。

中共は自分たちがしたことを、すべて「日本軍」のせいにしていますね。

日本共産党も『赤旗中国共産党の主張に色を添えてますが…

 

日本共産党 しんぶん赤旗 2004年12月9日

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 「住民を皆殺しにし遺体をガソリンをまいて焼き殺した」と主張していますが、日本共産党員は現場を見たのでしょうか?

資源に乏しい日本軍がガソリンを人殺しのために使うのでしょうか?

あまりにも荒唐無稽の主張に、呆れるとしか言いようがありません。

日本共産党って言論テロをしていますね。 

こんな酷い政党に票を入れる人ってどんな人でしょうか?

 

昔の日本では「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」「嘘ついたら針千本飲ます」「嘘は泥棒の始まり」と、子供の頃から躾けられたものですが…

共産主義では「嘘」は「善」なのでしょうか?

 

因みに、毛沢東は「反日」ではありませんが、周恩来は「反日」です。

なぜなら、周恩来スターリンの「反日」を支持し、「排日政策」を実行していたのですから。

 

それから、「通化事件」は、ソ連が侵攻した後に、中国共産党と延安にいた日本共産党が入ってきて、凄惨な日本人大虐殺が始まりました。

通化事件 - Wikipedia

 

その時、毛沢東とともに周恩来も虐殺を支持していたわけです。

しかもその数年後、シベリア抑留者約1000人の日本兵中国共産党に引き渡され、そこで凄惨な「改造(洗脳)教育」が行われますが、指図したのは周恩来です。

中帰連」のことは別の機会に記事にしたいと思います。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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