今日もお立ち寄り有難うございます。
恨ギョレ 2019.9.3
>過去の歴史に向き合う日本とドイツの態度が改めてはっきりと対比された。1日に東京で開かれた関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者96年追悼式典で、東京都知事は果たして追悼文を送らなかった。1923年9月の関東大震災時に日本の自警団と軍警が「朝鮮人が井戸に毒を放った」などと流言をまき散らして数千名を虐殺した事件を無視したのだ。
(中略)
文在寅大統領(ムン・ジェイン)大統領が最近「ドイツが過去を率直に反省して信頼を受ける国になったことを日本は深く胸に刻まなくてはならない」と述べたが、日本が相変わらず過去と正直に向き合うドイツから何の教訓も得られていないようで遺憾だ。
以下略
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「ドイツのポーランド侵攻」と「関東大震災時」の話と同一視して語るって、どうなのよ? 頭おかしいんじゃないの?
そもそも、日本は「韓国侵攻」なんてことはしていませんよ。
それから「ドイツのポーランド侵攻」は「スロバキア」も一緒に侵攻していました。
その約1週間後くらいに、「ソ連もポーランド侵攻」をしています(独ソ密約)。
なので、ポーランドは「分割」されてしまったわけです。
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参考記事:
悪質なキャプション「ヒトラー安倍による恐怖政治」? - 姥桜
しかし…
「朝鮮半島」が二つに分裂したのは、「同胞同志が殺し合った、朝鮮戦争」の休戦後です。
「ポーランド」と「韓国」は、「似て非なる」事情で、同一視すべき問題ではありません。
どうして、韓国人はこうもウマシカなんでしょうか。理解に苦しみます。
さて、昨日の記事にも書きましたが、「不逞朝鮮人(独立軍:馬賊、匪賊)」が日本に侵入してきて、狼藉を働いたことや、「独立新聞」の「数字の曖昧さ」などを取り上げて書きました。
さらに付け加えると…
>■民族の大量移入
(中略)
〔在日朝鮮人の人口推移〕
明治42年 790人
大正4年 3,989人
大正5年 5,638人
大正6年 14,501人
大正7年 22,262人
大正8年 28,272人
大正9年 30,175人
大正10年 35,876人
大正11年 59,865人
大正12年 80,617人
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大正13年 120,238人
大正14年 13,3700人
大正15年 148,503人
昭和16年 1,469,230人
昭和19年 1,936,843人
(『日本帝国統計年鑑』、内務省警保局統計による)
政府の統計では、震災時に在日した朝鮮人は8万余人とされる。 ただし、統計には加えられない密航者や住所不定者を加えると10万人以上いたのではないか思われる。
以下略
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そこで、本当に「朝鮮人大虐殺」が行われたとしたら、朝鮮人からしたら日本内地は恐ろしくて仕方ないですよね。
人間の本能として、生き残った在日朝鮮人はみな半島へ戻るのではないでしょうか。
そして、その噂は瞬く間に広がり(朝鮮は流言飛語の国である:『朝鮮紀行』)、朝鮮人は日本内地に来ることはなかったと思われます。
誰だって、殺されるのはまっぴらごめんですからね。
ところが、翌年には4万人近く朝鮮人が「増えて」いるんですよ。
さらに、密航者を加える(そもそも、恐ろしい日本になぜ密行してくる?)と、もっと数が増えるわけです。
さらに言えば、韓国では日本が「植民地支配で残虐の限りをつくした」と主張しますが、それではなぜ、朝鮮人は(鬼の住む)日本内地に向かって渡航してきたのでしょうか? わざわざ危険な日本に入ってくるのはなぜ?
韓国人は「マゾ」ですか?
さらにさらに…
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戦争真っ只中のおり、朝鮮人はなぜ大挙して(鬼の住む)日本内地に密航してきたわけ?
「朝鮮人大虐殺」があったと言いながら、「密航」までしてきた神経が理解できません。
韓国では、この矛盾をどう説明してくれるのでしょうか?
ぜひ、回答お願いしたいものです。
「強制連行だ!」なんて嘘は言わないでね。
なんだか、韓国って「当たり屋」みたいな国ですね…
>朝鮮全土の労働者団体系の感触は、すべて日本内地で同志による暴動から内乱へ、そして革命への道を望んでいる様子が報告されている。 社会主義の極めて強い影響が及んでいたことの証明といえる。
9月6日から9日ごろまでには、内地における朝鮮人によるテロ情報が現地にも入ってきた。
放火、強盗、強姦、殺人、井戸への毒薬投入、爆弾投擲など、震災に乗じた凶暴行為の報せを聞いた在鮮日本人たちは、当然激しい怒りを表した。 これまで震災には快哉を叫んでいた一般の朝鮮人も、さすがに同族の非人道的暴挙に対しては忸怩たる思いに変わり、世界各国からの非難を意識し始め、大勢に順応し罹災難民救済慰問金の募集に参加する者も増えたとも報告されている。
だが、過激な労働運動家の集団は全く違うおどろくべき反応を見せた。
「共産主義を鼓吹する者及之等に依り組織せられたる各種の労働団体は、今次の震災の損害より之に伴う火災の損害が最甚大なる模様なるが、火災は我等と志を同ふせる主義者同人が革命の為放火したるに因るものなり。 我等は此の壮挙を喜び、時期を見て吾人も活動すべく期待し居りたる□〔一字不明〕戒厳令布かれ遂に其の目的を達する能はざりしは遺憾なりと同志間にて語り合ふ者あり」(前掲書)
極めて重要な史料であろう。社会主義者たちとそれに煽動された者が「放火こそ我が同志の壮挙だ」と喜んで叫んでいたというのだから、これ以上の真実はない。
さらに、震災地における朝鮮人の安否の報告が届いていて、約6千人の保護された氏名が新聞に掲載された。 すると当初生存を気遣っていた者も皆生きていることが判明し、一斉に安堵の声が広がったという。
つまり、6千人とは前章で示したグラフにある収容者の総数(厳密には6797人)のことである。そうであれば「虐殺」と強いて裁定されるのは過剰防衛に認定された233人のみである。残りは不幸にも震災で落命した者(身元不明者を含む)、その他は戒厳令下に凶行を働いたテロリストの死者というわけである。
一方、上海の抗日組織「義烈団」の団長金元鳳は北京に滞在していたが9月9日、震災による日本の民心動揺を好機ととらえ、部下を集めて天津から東京へ向かわせたとの報告が上がっている。
(中略)
上海の「大韓民国仮政府」の下では、表の顔の「独立新聞」と裏の組織「義烈団」が暗躍し、震災の混乱に乗じてさまざまなテロ計画が実行に移されようとしていた。
以下略
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当時の不逞鮮人自身が「震災時の暴動」を認めていたわけですね!
「金元鳳」のことは以前記事にしていますので、こちらを参考にしてください。
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【朝鮮赤化の運動】にて、「金若山 こと 金元鳳」のことを書いていますので、参照してください。
新聞では、「朝鮮独立運動家:馬賊匪賊」は、「コミンテルン」の手先となって活動していたことが書いてあります(日本人共産主義者:片山潜も)。
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