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JBpress 2019.9.6
韓国の「反日」は政治が作り出した感情(JBpress) - Yahoo!ニュース
日本と韓国の紛争は、ますますエスカレートしてきた。週刊ポストは「韓国なんて要らない」という特集を組み、月刊誌『WiLL』は「さよなら、韓国!」、Hanadaは「NO韓国―絶縁宣言」という特集を組んでいる。 気分はすっかり国交断絶モードだ。
この根底には韓国の根強い反日感情と、それに対する日本人の拒否感がある。これを「千年恨」などと呼び、あたかも日韓の対立は宿命であるかのようにいう人もいるが、反日はそれほど根深い感情ではない。 それは政治が作り出したものなのだ。
■ 1990年代に激増した「歴史問題」
1980年代まで、日本と韓国の関係はそれほど悪くなかった。韓国は軍事政権の途上に国であり、韓国に「歴史問題」で謝罪するなどという発想はまったくなかった。
それは新聞記事のデーターベースを見てもわかる。
(中略)
「強制連行」や「慰安婦」が出てくるのは1990年代からで、「親日派」という言葉も同じ時期に激増している。
(中略)
90年代に最初に出てきたのは強制連行だった。 これは朝鮮大学校の教師が『朝鮮人強制連行の記録』という本で作った造語で、戦前から100万人以上の朝鮮人が官憲に連行されて日本で強制連行させられたという。
この数字は誇大で、未払い賃金などは1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決した」と明記されていたので、強制連行の問題はそれほど盛り上がらなかった。
私は1991年夏に、NHKで韓国にも取材したが、強制連行されたという証言は得られなかった。 募集で内地に出稼ぎに行き、タコ部屋で働かされたという証言はたくさんあったが、軍に連行されたという話はまったく出なかった。
以下略
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「朝鮮大学校の教師が『朝鮮総連強制連行の記録』という本で作った造語で、…」
この人物の名前は『朴慶植』と言います。
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10年くらい前に印刷しておいたものです。
どこかの大学?の図書の案内みたいなのですが、少し気になったので取敢えず印刷しておいたものです。
これには『朴慶植』という人物の経歴などが書いてあります。
>朴慶植氏は、1922年12月7日、慶尚北道奉化群鳳城面金峰里に生まれた。1929年3月、両親に連れられ日本に渡り、大分県西国東軍朝田村(現在大田村)に住む。1937年3月、同群田原村(現在大田村)田原高等小学校卒業、1940年3月、同村私立習説校卒業。1941年4月、日本大学高等師範部地理歴史科(夜間)に入学し、1943年9月卒業。1942年9月、東京都で国民学校助教授となり、45年3月退職する。
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『朴慶植』の経歴を見ると、当時は朝鮮人も自由に日本に渡り(強制連行ではなかった)、日本の学校へ通い、さらに「私立」の学校まで行けるほど“裕福”だったことがうかがえます。
また、「国民学校助教授」まで務めることができたということは、朝鮮人への“差別”はなかったことがうかがえます。
8.15解放後、1946年9月東洋大学文学部史学科(旧制)に編入学、49年3月卒業。1949年4月~1960年3月 東京朝鮮中高等(級)学校社会科教員。 1965年5月『朝鮮人強制連行の記録』を出版し、大きな反響を呼ぶ。 1976年6月より在日朝鮮人運動史研究会を組織、『在日朝鮮人史研究』誌を編集刊行。 (中略)
(2)研究
朴慶植氏は1950年代から死の直前まで、朝鮮近代史、在日朝鮮史について数多くの研究を発表し、それらの研究は今日でもその分野における必読文献となっているほど影響を与えてきた。中でも在日朝鮮人研究は朴慶植一人で切り開かれたと言っても過言ではない(外村大1999)。
その研究領域を大別すると、三つに分けられる(以下、山田昭次1998参照)。
以下略
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※「山田昭次」と言う人物は「朝鮮人大虐殺」のデマ本を書いた人物です。
この人物も「変態左翼」のお仲間です。
山田昭次は『強制動員真相究明ネットワーク』の共同代表も務めています。
参考記事:「不自由展」に「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」が展示されていた! - 姥桜
「それらの研究は今日でもその分野における必読文献となっているほど影響を与えてきた。中でも在日朝鮮人史研究は朴慶植氏一人で切り開かれたと言っても過言ではない」
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『朴慶植』一人の「デマ(嘘)」が、日本の「変態左翼」に広がり、韓国にも広がり、今日の「従軍慰安婦物語」と「徴用工物語」で日韓が揉めることになりました。
多大な影響を与えてきたということですね!
それだけではありません…
日本の「変態左翼」は朴氏の影響を受けて(騙されて)、とんでもない事件を起こしています。
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>東アジア反日戦線は、1970年代に三菱重工爆破事件など連続企業爆破事件などの爆弾による武装闘争を実行した日本の武闘派左派テロリストグループ。
反日亡国論、アイヌ革命論など主張していったことから、捜査機関は、反日アナキズム思想を持つ「極左暴力集団」と当初から見なしていた。
(中略)
大道寺とLクラス闘争委員会の主要メンバーが中心となって、1970年8月に「研究会」を旗揚げした。この「研究会」では、「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、過激な反日思想を醸成させていった。
その背景として同年7月7日に出された華僑青年闘争委員会の新左翼各派に対する「決別宣言」から受けた衝撃が大きかった。
当時の学習資料として朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』などの書籍が使われた。
(中略)
同月に実施されるはずだった「虹作戦」に頓挫し消尽と無力感を痛切に感じていた「狼」メンバーたちが、翌日に起きた朴正熙暗殺未遂事件の実行者であり韓国の獄中に収監された在日朝鮮人文世光に「事実行為」で連帯しており、一刻も早く呼応しなければならないとの焦りから、「虹作戦」で使用されなかった威力が甚大な鉄橋爆破用の爆弾を流用し、更には爆弾を建物ではなく歩道に設置するといった杜撰な作戦計画を実行してしまったと総括した。
(以下略)
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「朴正熙暗殺計画」は、「北朝鮮」の計画で、大阪生野区にいた在日韓国人の「文世光」は、「朝鮮総連」と密接に関係していました。
その「文世光」と連帯していたということは、「東アジア反日武装戦線」も「朝鮮総連」と繋がっていたということです。
参考記事:朝鮮総連「対韓国政治工作を強化せよ!」:民団系青年学生、土台人が工作員となった - 姥桜
参考記事:朴正熙大統領暗殺計画の陰で「チュチェ思想研究会」が蠢く - 姥桜
なにしろ、彼らの「学習書」が、朝鮮学大校教授の「朴慶植」が書いた『朝鮮人強制連行の記録』だったんですから…
「朴慶植」一人の「デマ(嘘)」が、大事件を起こしました。
まぁ…「強制連行」なんてありえないことぐらいは、当時の日本人のほとんどは分かっていたのに、大道寺などの「マヌケ、バカ、トンチンカン」は、すっかり信じ込んでいたんですね。
彼らは、何のために大学へ行ったんでしょうか…親のすねかじりのくせに…ホント、変態左翼ですわ!
それだけではありませんよ!
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中核派のHP(前進)から
>繰り返すな戦争 日帝のアジア侵略 第3回 朝鮮人100万人を強制連行 戦争のため炭鉱などで酷使
週刊『前進』02頁(2970号02面01)(2018/09/06)
(中略)
1965年に朴慶植の著書『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)がその実態を衝撃的に暴露して以降、各地で在日朝鮮人や市民団体による真相究明活動が続き、近年も外村大氏の『朝鮮人強制連行』(岩波新書 2012年)などの著書が出されているが、いまだに全容解明には至っていない。
他方、韓国では、民主労総や韓国労総を中心とする「強制徴用労働者像建立推進委員会」が「徴用工像」の建立を進め、昨年8月にソウルで除幕式を行った。
以下略
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日本最大のテロ組織「中核派」もこの『朝鮮人強制連行の記録』を信じ込んでいるんですよね!
「いまだに全容解明に至っていない」…当たり前だ! 「デマ(嘘)」なんだもの!
韓国の「民主労総」は、「北朝鮮の工作組織」だということはもう分かっています。
その「民主労総」と「日本共産党」が連帯しています。
参考記事:前川氏、革マル派の次は中核派の集会で講演予定 - 姥桜
参考記事:「北朝鮮のスパイ・韓国民主労総」が「北朝鮮工作員を徴用工」として軍艦島に送り込んで来た! - 姥桜
日本の「アホバカマヌケ変態左翼」は、みんな「北朝鮮:朝鮮総連」と連帯しているんですよね!
さて、その「朴慶植」という人物のことが書かれた文書があります。
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大原社会問題研究所 No.656/2013.6
【戦時抵抗と政治犯の釈放】
> ―出獄式の挨拶において、金天海が「日本帝国主義と軍閥の破壊 天皇制の撤廃」をつよく叫んだ、と朴慶植さんが書いていますね(『解放後在日朝鮮人運動』三一書房、1989年、52頁)。
―そうかな……。その朴慶植という人は出獄式に出席したのですか。むしろ金天海の演説は、朝鮮民族において新時代が到来したことを強調し、日本共産党と連帯して民主主義人民の新国家を樹立したい、そこに力点があったと思いますね。
以下略
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つ・ま・り…「朴慶植」は別の書籍でも「デマ(嘘)」を書いていたんですね!
もうねぇ…こんな「ペテン師:朴慶植」の言うことを信じる方もなんだけどね…
たった一人の在日朝鮮人のペテンに、国家まで巻き込まれてしまったんですよ!
言葉になりません…
最後までお読みくださいまして有難うございます。
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