今日もお立ち寄り有難うございます。
今、欧州とソ連が「戦争責任」について批判合戦をしているようです。
英国などの欧州にも責任はありますが、旧ソ連時代の責任は重大なものがあります。
とくに、日本にとっては旧ソ連には塗炭の苦しみを与えられました。
旧ソ連の手先となって、日本を亡き者にしようとした日本の共産主義者もその責任は大変重いものです。
参考記事: 敵を間違えた米国:平和の敵は日本ではなく「共産主義者」だった。 - 姥桜
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産経新聞 2020.6.20
【米誌に論文「旧ソ連の責任」へ反論】
>米政府外交誌「ナショナル・インタレスト」(電子版)は18日、ロシアのプーチン大統領=写真(AP)=の論文「第二次世界大戦75年の本当の教訓」を掲載した。
大戦はナチス・ドイツと旧ソ連が引き起こしたとの歴史認識を示した欧州会議を批判し、反論する内容。
ソ連と後継国ロシアが国家の存立基盤としてきた「ファシズムからの解放者・戦勝国」との立場を守り、領土問題を含む戦後秩序を正当化する意図があるとみられる。
第二次大戦は、1939年9月のナチスによるポーランド侵攻が直接的な契機とされ、ナチスと戦ったソ連は「欧州の解放者」と評価される傾向が強かった。
しかし、欧州会議は昨年9月、「39年8月に不可侵条約と欧州分割の密約を結んだナチスとソ連という全体主義者が大戦の道を開いた」とする決議を採択。
ナチスだけでなくソ連の戦争犯罪も検証する必要があると指摘した。
決議に対し、プーチン氏は昨年12月、「完全なたわごとだ」と反発。ロシアの立場を論文にまとめる計画を表明していた。
論文でプーチン氏は、「第一次大戦後、欧州はドイツに莫大な賠償金を背負わせナチスの台頭を招いた」と指摘。
英仏を中心に設立された国際連盟はスペイン内戦や日本の中国進出を妨げなかったとも述べた。
さらに、英仏伊独による38年のミュンヘン会談で、各国がナチスに融和姿勢を取ったことが大戦の「引き金」になったとの認識を示した。
プーチン氏は「ソ連がドイツと不可侵条約を結んだのは欧州諸国で実質的に最後だった」と主張。同条約締結は一連の国際情勢の帰結にすぎず、「ソ連を非難するのはアンフェアだ」とした。
その上で41年に始まった独ソ戦に関し、「ソ連は多大な血を流し、ナチスの敗北に決定的な貢献を果たした」と評価。
対日戦に関しても「完全に(連合国間の)ヤルタ合意に従ったものだった」としたほか、「連合国が日本の軍国主義を打倒した」とした。
プーチン氏は最後に、大戦後の世界秩序にも言及。国連安全保障理事会の常任理事国5カ国が持つ拒否権を廃止すれば、国連は無力化すると警告した。
日本人の中には、いまさら…と思われる方も多いのではないでしょうか?
しかし、私は日本人としてプーチン氏の誤まった歴史認識をこのまま見過ごすわけにはいきません!
まずは歴史的事実を順序を追って書いていきたいと思います。
プーチン氏は「国際連盟は日本の中国進出を防げなかった」と反論しています。
あれ?「満州国」は中国でしたっけ?
今、中国や日本の糞左翼は「日本の軍国主義が中国を侵略した」と言っていますが、全くのデタラメです!
歴史を遡りましょう。
【紫禁城の黄昏 上】
R.F.ジョンストン 著
19世紀を通し、満州王朝の権力と威光は、もろくも崩れつつあった。相次ぐ内乱と悲惨な対外戦争によって、根底から揺り動かされただけでなく、「崩壊」の序曲が始まった。
(中略)
さらに、もしヨーロッパの三大強国(ドイツ、ロシア、フランス)が三国干渉を行わなかったならば、シナはさらに旅順と大連を含む重要拠点を(遼東半島)も失っていただろう。
とはいえ、3年もたたぬうちに、シナはその拠点さえも失ってしまった。
そのときロシアは、いかにも度量が大きいようなふりをして、無理やり日本からシナに返還させた領土を自ら占領しただけでなく、満州全土においても、ロシアの軍事的地位をすこぶる強固なものにしたのである。
その結果、ロシアはあの満州王朝の先祖伝来の土地における支配的勢力にのしあがったのだ。
1989年当時、満州に住んでいた英国の商人たちは、「まさに目の前で現実のものとなってゆくロシアの実質的な満州併合」について語っている。
英国の宣教師の指導者も「私のみならず、私のもとで働くどの宣教師も口をそろえ、満州とは名前だけで、ことごとくロシアのものと思われると明言した」のである。
これは、眼前にある今の満州問題の背景を理解しようとする者なら、絶対に忘れてならない事実である。 シナの人々は、満州の領土からロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったく取ろうとしなかった。
もし日本が、1904年から1905年にかけての日露戦争で、ロシア軍と戦い、これを打ち破らなかったならば、遼東半島のみならず、満州全土も、そしてその名前までも、今日のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地のない事実である。
とはいうものの、1898年以前に、外国の手に渡っていたシナ帝国の領土は、台湾と満州だけではなかった。
この年は、西欧の列強がシナの沿岸の港湾や租借地を求めて「勢力範囲」の境界を画そうとしたために領地争奪が絶頂の達した時代でもあった。
(中略)
さらに思い出すだろうが、満州は早くも1898年からすでに「地名以外は完全にロシアの領土」となっていて(満州在住の英国人の話によれば)、1900年には、満州を掌握したロシア勢力があまりにも増強されていたので、シナは東三省を「完全に失った」とあるシナの歴史家が漏らしたほどだった。
日本は、1904年から1905年、満州本土を戦場とした日露戦争で勝利した後、その戦争でロシアから勝ち取った権益や特権は保持したものの、(それらの権益や特権に従属する)満州の東三省は、その領土をロシアにもぎ取られた政府の手に返してやったのである。
その政府とは、いうまでもなく満州王朝の政府である。
満州王朝の政府を「シナ政府」と表現するのは、専門的に言えば正しくないだろう。
その帝国のシナ語は公式名称は「中国」ではなくて、「大清国」で、これに最も近い名称は「満州帝国」である。
以下略
プーチンは「日本の中国進出」と表現していますが、上記の本にも書いてあるように、「満州国」は「中国」ではありません。
「満州国」を侵略したのは「第二次大戦末期に「日ソ不可侵条約」を破って侵攻してきた「旧ソ連」と「中国共産党」なのです。
プーチンが言う「戦後秩序」によって「中国」という名に替えられたのです。
また、プーチン氏は「日本の中国進出」と言っていますが、「日本は侵略していない」という意味合いにも取れますね。
その前に「ロシアによる満州帝国侵略」は無視していますね。
こういうのを「誤魔化し」と言うのでしょうか?
次に、プーチン氏は「第一次大戦後、欧州はドイツに莫大な賠償金を背負わせナチスの台頭を招いた」と言っていますが、
そもそも「第一次大戦」が起こった背景を考えてみましょう。
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【韓中衰栄と武士道】
>ロシアと清国はともかく、安重根の祖国は彼を見捨てた。
安重根が発射した5弾以上の13弾が現場に残る事態は、彼以外の犯人が存在する証左であろう。
次に、被害者となった伊藤の国内外の当時の立場である。
日露開戦以前の伊藤や井上馨達は日露協商を唱えて、日英同盟を主張する山懸有朋や桂太郎と激しく対立し、ロシアとの妥協を模索する伊藤は軟弱の元老と批判された。
ロシアは伊藤の日露協商を利用し、時間を稼ぎ、軍事力を整える計算であったが、明治35年(1902)年、突如として日英同盟が公表される。
日本にとっては伊藤は邪魔者であり、ロシアにとっては裏切り者のように映った筈だ。
伊藤の死が、意識的に杜撰に扱われた理由。
事件を丁寧に捜査すれば、必ずや背景に近付いてしまう。
捜査の打ち切りで、暗殺団を背後で操った気配濃厚のロシアは胸を撫で下ろし、国内ではややこしい老人の消滅という一石二鳥の解決。
犯人を安重根個人とすることに各国ともに異論はなかった。
第一次世界大戦の原因となったオーストリア・ハンガリー二重帝国のフランツ・フェルディナント皇太子がサラエボで妻と共に暗殺されるのは、伊藤の死の5年後。
皇太子暗殺に使用された凶器は、奇しくも安重根所持と同型のベルギーFN社製ブローニング拳銃であった。
ブローニングの重なりは単なる偶然か。
安重根の使用した銃はFN社から「クンフト」社に売られた中の一挺である。
クンフト社から銃はロシア陸軍へ。
ロシア陸軍から安重根へ—。
オーストリア皇太子暗殺犯もまた、セルビア民族主義者の若者とされているが、背後にレーニンが、つまりロシアがいた。
以下略
こうなると、「伊藤博文暗殺」も「オーストリア皇太子夫妻暗殺」も「レーニン、つまりロシア」が犯人という説になってきますね。
実際、中国共産党の周恩来はソ連のスターリンの命を受けて、「暗殺団」の責任者となったのですから。それから次々とシナの「親日派」といわれる重鎮が暗殺されます。
参考記事:中国の殺し屋工作員:周恩来を礼賛する異常な人々 - 姥桜
また、フランスや日本国内でも共産主義者による政府要人の暗殺が実行されています。
因みに日本国内で暗殺に使用されたのは「ブローニング銃」でした。
プーチン氏は「第一次大戦後、欧州はドイツに莫大な賠償金を背負わせナチス台頭を招いた」と反論していますが、
そもそも、「第一次世界大戦」を招いたのは、「ロシア」じゃないですか!
因みに「安重根の祖国は彼を見捨てた」となっていますが、今では「安重根は韓国の烈士」として祀られていますね。
ロシアに利用され、祖国から見捨てられ…なぜか今では「反日の英雄」として祀られて…安重根は永遠に「政治」に利用され続けられているんですね。
プーチン氏は41年に始まった独ソ戦に関し、「ソ連は多大な血を流し、ナチスの敗北に決定的な貢献を果たした」と言っていますが、
これは「日本軍の南進」を勧めた「ソ連の工作員・尾崎秀実」の貢献があったからこそ。
もし、尾崎の南進論を近衛内閣が拒否していたなら、ソ連はドイツと日本軍の挟み撃ちで敗北していたでしょう。
ちなみに、この事件を「ゾルゲ事件」と言います。
参考記事:朝日新聞1941年 ソ連を礼賛していた。 - 姥桜
また対日戦に関して「完全に(連合国間の)ヤルタ合意に従ったものだった」と言ってますが、「ヤルタ協定」に参加したのは「英国チャーチル」「米国ルーズベルト」「ソ連スターリン」ですね。
「連合国間の合意」と言いますが、ソ連自体が含まれているのに、まるで他国の連合国の合意みたいなことを言っていますね。
当時、「日ソ不可侵条約」が締結されていたわけですから、ソ連が日本との協定を破ったことは否定のしようがありません。
こういうのを「誤魔化し」と言うんでしょうね。
「連合国が日本の軍国主義を打倒した」…
これ、中国共産党が「共産党が抗日戦争で勝利した」と主張しているのですが…、プーチン氏のいう「連合国」に中国共産党が含まれているのでしょうか?
まあ、中国共産党は実際には「抗日戦争」なんかしていませんし…。
むしろ、毛沢東は日本軍に協力して蒋介石の国民党軍の動向を教えてカネを貰っていたしね。
参考記事:反日と漢奸狩りの矛盾=毛沢東は日本軍に協力していた - 姥桜
最後に重要な証言をご紹介します。
中国共産党が言う「日本の侵略を抗日戦争で阻止した」の嘘が分かります。
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【中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実】
フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ著
>第11章
ソ連の中国侵略を阻止しようと戦う日本
中国に対するソビエトの政治的計画は、アジアのすべてをボルシェヴィキのものにする計画と連結しているのである。
この国の150万平方マイルばかりを油断なく横断しようというのはほんのその一つに過ぎない。
しかしながらこのことについて、《世界法廷》では何も言われたことがないのだ。
ソビエトは帝国主義的、そして拡張主義的野心などはないと外部に対しては撥ねつけた。
しかし同時に中国を少しずつ齧るのに忙しいのである。
モスクワは中国と反日同盟を結んだが、そうしながらまさしく中国の心臓部を食い破ろうとしているのである。
外モンゴルと新疆省(現新疆ウィグル自治区―訳者注)は熊にむさぼり食われた。
その流儀と来たら、他の国の「領土獲得」など、子供の遊びのようなものだ。
そして中国自身はこのことについて何も言えず、その余裕さえないのである。
ロシアの中国侵食は、ロシアが外モンゴルを支配したツァーの時代に始まっている。
(中略)
ソビエトロシアが外モンゴルや新疆省でしていること、そして中国本土でやろうとしていること、これを止められるのは日本だけなのである。
(中略)
日本は軍閥=匪賊の首領の手から満州を引き剥がし、幸せな国づくりをし、中国に足を踏み入れてそのソビエト化を阻止しようとしたということで容赦なく非難されているわけである。
ロシアは外モンゴルと新疆省でしたことを中国でもやろうと行動中であるが、その方法はあからさまな陸軍の行動による侵略ではなくて宣伝とテロ団を使うことだ。
自分に都合が悪ければ、最初に中央政府の支配権を握ってそれからソビエト寄りに変えるのである。
併合は結果についてくる。それはロシアにアジアの支配を自由にさせることになり、外部の世界とアジアの貿易を閉鎖し、中国と同じように日本の国民生活を破壊することなのである。
ロシアの脅しが聞こえている。いままさに行動に移ろうとしている。
日本は今にも世界のパワーになろうとしているソビエトを阻止しようと一人で戦っている。
ソ連のいずれたどるだろう没落の道を用意し、また中国を引き受け、死なないようにこん睡状態から揺り動かそうとしているのだ。
以下略
プーチン氏は欧州が「日本の中国進出を防げなかった」と反論していますが、真実は「欧州はソビエトロシアの中国侵略を防げなかった」ということです。
世界は「ソビエトロシア」に何も口出せなかった。
しかし、「日本だけが列強・ソビエトロシアに立ちはだかった」…が真実ですね。
参考記事:ソ連に嵌められた日本と蒋介石 - 姥桜
旧ソ連の欧州での戦争責任
参考記事:悪質なキャプション「ヒトラー安倍による恐怖政治」? - 姥桜
ここで、気になることが。
それはソビエトがやってきた「宣伝とテロ集団を操る」ことです。
「血を流すことなく、相手国の政府に入り込んで自由に操る」
これこそ、今、中国共産党が実行していることですね。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
誤字脱字がございましたらご容赦くださいませ。
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皆様のお役に立ちましたらご容赦くださいませ。