日中戦争の陰にコミンテルンと大韓民国臨時政府が蠢く

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

前回「鬼畜のごときの通州事件」という記事を書きましたが、その裏でコミンテルン(国際共産主義)と、大韓民国臨時政府(現:韓国)の朝鮮人達が蠢いていたことを書いていきたいと思います。

 

『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』ユン・チアン&ジョン・ハリディ著

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スターリンの狙いは、中国を利用して日本を中国の広大な内陸部へおびきよせ、泥沼にひきずりこむこと、そして、それによって日本をソ連から遠ざけることだった。

モスクワは自らの狙いを包み隠したまま中国国内における対日全面戦争の気運を煽ることに力を入れ、大規模な学生デモに手を貸した。

また、ソ連のスパイ、とくに孫文夫人で蒋介石の義姉にあたる宋慶齢は、圧力団体を結成して南京政府に行動を求めた。

 

スターリン中国共産党と日本と戦うことを望んでいた。(中略)

1937年11月、自分に最も忠実な中国人を特別機に乗せて延安へ向かわせた。

王明である。 王明は何年も前から中国共産党コミンテルン代表としてソ連で活動してきた。

帰国直前、スターリンは王明を呼んではっきりと申し渡した。

「当面最も重要なことは戦争[すなわち抗日]である……それが終わったら、内戦[すなわち共産党蒋介石]に取り組めばよい」

 

中国共産党指導部の大多数は、スターリンの方針に同意した。

 

 

戦争拡大の陰に共産党スパイ

スターリンは国民党軍の中枢で長期にわたって冬眠させておいた共産党スパイを目ざめさせ、上海で全面戦争を起こして日本を広大な中国の中心部に引きずり込む—すなわちソ連から遠ざける—手を打ったものと思われる。

(中略)

周恩来は張治中に対し、国民党の中にとどまって「ひそかに」中国共産党と合作してほしい、と要請した。 こうして、1930年代半ばごろには張治中はソ連大使館と密接な連絡を取り合うようになっていた。

 

盧溝橋事件 Wikipedia 』より

コミンテルンの人民戦線と中国

1935年7月25日から開催された第七回コミンテルン大会では西洋においてはドイツ、東洋においては日本を目標とすることが宣言され、同時に世界的に人民戦線を結成するという決議を行い、特に中国においては抗日戦争が重要であると主張し始めた。

コミンテルン支部である中国共産党はこの方針に沿って翌8月には「抗日救国のために全国同胞に告げる書(八・一宣言)」を発表し、1936年6月頃までに、広範な階級層を含む抗日人民戦線を完成した。

 

コミンテルンによる中国の抗日運動指導は五・三〇事件に始まっており、(中略)1935年11月におきた中山水兵射殺事件、1936年には8月24日に成都事件、9月3日に北海事件、9月19日に漢口邦人巡査射殺事件、9月23日には上海日本人水兵狙撃事件などの反日テロ事件を続発させた。

 

さらに1936年12月におきた西安事件におけるコミンテルンの判断も蒋介石を殺害するのではなく、人民戦線に引き込むことであった。

 神戸大学新聞文庫

大阪朝日新聞1937年1月22日

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神戸大学新聞文庫

神戸新聞1936年4.18

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日本でも、コミンテルン鈴木茂三郎などが人民戦線を実行しました。

日本無産党 Wikipedia』に詳細が書かれています。

神戸大学新聞文庫

神戸新聞1936年7.4

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大韓民国臨時政府 Wikipedia

蒋介石中国国民党は党派間の融和に協力した。 蒋介石のみならず中国共産党も臨時政府の活動を支えた。

(中略)

創設

三・一独立運動後、独立運動の継続と拡大のため、内外各地で政府樹立の計画が進められていた。

当時、上海には多くの朝鮮人独立運動家が集結していたが彼らは臨時議政院を設立し、李承晩を首班とする閣僚を選出、臨時憲章を制定し、・1919年4月、大韓民国臨時政府の樹立を宣言した。

(中略)

1937年8月、南京において、韓国国民党(金九)・韓国独立党・朝鮮革命党などの韓国独立団体が合流して、臨時政府の基盤となる韓国光復運動団体聯合会が設立された。

 

神戸大学新聞文庫

大阪時事新報 1931年.9.5

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通州事件 目撃者の証言』 藤岡信勝

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日本人の悪口を言いふらす朝鮮人

そのうちにあれだけ親日的であった通州という町全体の空気がだんだん変わって来たのです。 何か日本に対してひんやりしたものを感じるようになってまいりました。

(中略)

朝鮮人の人達が盛んに日本の悪口や、日本人の悪口を支那の人達に言いふらしているのです。

私が日本人であるということを知らない朝鮮人は、私にも日本という国は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしていると申すのです。

 

そして日本は今度は支那を領土にして支那人を奴隷にすると申すのです。

だからこの通州から日本軍と日本人を追い出さなくてはならない。

いや日本軍と日本人は皆殺しにしなくてはならないと申すのです。

(中略)

朝鮮人は必ず日本に復讐すると申すのです。 そして安重根という人の話を滔々と語りました。 伊藤博文という大悪人を安重根先生が殺した。

我々も支那人と一緒に日本人を殺し、日本軍を全滅させると申すのです。

 

 

 通州事件のほかにも、邦人が虐殺される事件が多発することになりました。

それにしても、現在の韓国は当時の臨時政府と全く変わっておりませんね。

歴代大統領は、日本の悪口に専念し、日本を貶めることが愛国心だと思っているんですから。

 

学校を作り、ハングルを教え、日本に留学までさせて知識を与え、妓生(売春)をやめさせ、残虐な処刑方法( 凌遅刑)をやめさせたり、女性の地位向上をしたり、戸籍を作らせたりと色々朝鮮人のためにやったことが「奴隷」なんでしょうか?

朝鮮(韓国)人にとっては 余計なお世話だったのかもしれませんね…

因みに、安重根親日派だったとか。 日韓併合に反対だった伊藤博文を誤って殺害したことを知った安重根の驚きは如何許りか…

 

福沢諭吉の『脱亜論』を今こそ考える時ではないでしょうか。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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