今日もお立ち寄り有難うございます。
『韓国民団 光復節中央記念式 志位委員長のあいさつ(全文)』
私は、植民地支配によって、国を奪い、文化を奪い…
志位和夫は、「日韓併合」を「日本が韓国を侵略した」と考えているようですね。
何回も言いますが、「大韓帝国」という国は、日本が「日清戦争」で勝利し、「下関条約」によって、「李氏朝鮮」を「大清帝国」から独立させて出来た国です。
そもそも、安重根が日韓併合に反対だった伊藤博文を殺害したから、「日韓併合」に至ったわけです。
現代韓国では、日韓併合を促進させた安重根を「英雄」として祀っているわけですから…
つまり…韓国は「日韓併合」を喜んでいるのでは?(皮肉です)
また、
ハンギョレ新聞 2018.3.2
『文大統領「臨時政府が建国のルーツ」と宣言…「歴史の主流に捉える」』
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「今月1日午前、文在寅(ムン・ジェイン)大統領夫妻と学生、市民たちが99周年3.1節記念式典が行われたソウル西大門刑務所歴史館から独立門まで行進した後、万歳を叫んでいる=大統領府写真記者団」
『独立門 Wikipedia』参照
この写真の独立門は、日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制から李氏朝鮮の独立を認めさせた。これにより、李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになり、その記念として清への服従の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣に建設された。
韓国大統領も韓国民も、日本のお陰で清国から独立できたという感謝の象徴である独立門の前で万歳をしているということは…韓国人は「日本が国を奪った」なんて考えていないってことですよね(苦笑)
志位和夫は、日本国の国会議員であるのに、正しい歴史を知らないようですね。
恥ずかしくないのでしょうか?
『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』
本間九介著 クリストファー・W・A・スピルマン監修・解説
私は、かの国の道路事情が悪いことに、たいへん驚いた。
かの国の歴史をひもといてみると、新羅の世には、すでに、民に対しての牛車の法を教えたなどとある。 どうやって、このような道路を、牛車が通行できたのであろうかとふと思った。
(中略)
わが国の里道(いなか道)と比べても凹凸がひどく、軍隊は一列にならないと行軍できないだろう。
(中略)
朝鮮八道(全土)を流れるいずれの川も、平生、水は少なく、あるいは、まったく乾涸(干からびる)したものさえあるが、少しでも雨が降れば、水量はたちまち増して、降雨の日が数日にわたると、洪水氾濫、滔々として田畑を浸す。
(中略)
これも堤防の事業が未発達だからである。
(中略)
堤防の事業に限らず、なんの事業にしても、人々が共同して、その事業を大成するなどということは、到底、かの国の人には望むことができない。
道路が修理されず、衛生が不行届であるようなことも、まったく、この共同的精神を欠く結果である。
(中略)
広く海外に販路を開こうとする希望もなく、商工業は依然として発達の域に進んでいない。
国家が常に貧弱であることもまた、彼らが、まったく共同的精神を持たないことに起因しているとしか言いようがない。
そこで…日本は要らぬおせっかいをしてしまったんですね。
『悲しい歴史の国の韓国人』宮脇淳子著
収奪どころか、日本は税金をつぎ込んで産業を育成しました。
併合後、毎年、2000万円前後の資金を持ち出し、1939年になっても日本からの補充金と公債が全予算の25%を占めていました。
(中略)
日本も日清戦争を戦って国家財政は火の車だったはずです。
それでも日本は資金をつくって朝鮮の近代化を進めたのです。
(中略)
1910年、朝鮮全土で1000万石だった米の生産高は、1930年代に2000万石を超え、1933年から38年にかけて農家収入は2倍になり、朝鮮人の平均寿命は1910年に25歳だったのが1944年には45歳になっています。
35年におよぶ日本統治機関を通じて、日本政府が朝鮮半島につぎ込んだ金額は、累計20億7892万円です。 いまのお金にすれば63兆円以上、民間資金も水豊ダムだけで3兆円以上になります。
志位和夫氏は、いったい、どこの学校を卒業したのでしょうか?
最後まで拙い長文にお付き合いくださいまして有難うございます。
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