今日もお立ち寄り有難うございます。
今日5月3日は「(占領)憲法の日」ですね。
いつの間にか日本共産党や左翼の方々、マスメディアが「平和憲法」と呼ぶようになり、今ではカルト宗教の「経典」みたいになっております。
左翼の方々は「日本が侵略戦争の反省に立って出来た憲法」と、もっともらしい屁理屈をつけて「平和憲法」と言っていますが、どうして彼らがこのような幼稚な嘘を平気で言えるのか?とただただ呆れるばかりです。
そこで、一日本国民として、本当に現占領憲法が日本国、日本国民の平和をもたらすのか?と今一度考えてみたいと思います。
対中国政策では大失敗し、また政官業の癒着、利益誘導型の政治を行ってきた田中角栄元首相は個人的には好きではありませんが、リアリズムに立った政治家としては、すごい政治家だと思います。
そんな田中角栄氏の「戦後憲法」に寄せる思いを書いていきたいと思います。
空想の世界で憲法を語るのではなく、実際に戦前、戦中、戦後の世界を見てきた田中角栄氏の言葉が皆様にとっても参考になればと思います。
下記に紹介します本は、田中角栄氏の秘書の早坂茂三氏が書いたものですが、早坂氏は元日本共産党員でしたので、左翼特有の論調が含まれていてミスリードな部分がありますが、田中角栄氏の言葉をそのまま載せていますので、その部分を引用させて頂きたいと思います。
占領軍の意図と日本人の知恵
最大の問題は、やっぱり憲法だった。これは今日まで尾を引いている。
とにかく日本の新憲法はアメリカによる占領のもとでつくられたわけだ。これは間違いない。だから、いろんな不満があって、憲法ができた直後にはもう「憲法を改正せよ」の声が出てきた。
ところが、アメリカ占領軍の日本人を見る目は違っていた。日本人というのは、気が早いし、世界にも稀な単一民族、同族国家だから、いざとなればまとまりも早い。
うっかりしていると、すぐに憲法改正に取り組むと。
占領軍はそうみてとったのか、憲法改正が容易にできないように、絞りに絞りをかけた。
国会の発議条件なんかの改正手続きを、きわめて厳しくしてしまったわけだ。
大変な厳しさだよ、これは。
ところが、だ。そこへ朝鮮戦争が起こって、アメリカは自分が日本国憲法にかけた手かせ、足かせが邪魔になった。
アメリカは日本を早く再軍備させたいんだから。で、吉田総理に憲法改正を要求してきた。早くせい、とね。
しかし吉田さんは「憲法改正はいたしません」とハネつけた。そこが吉田さんの偉いところなんだ。 吉田さんと当時の民自党の見識というものだ。
日本人たるもの、あの当時のそういう事情をよく思い出してみなければならない。
そうやって吉田さんが占領軍相手に汗を流して苦労していたとき、ほかの中間野党はどうであったかというと、野党第二党の改進党総裁の重光葵さん、この人は憲法改正に賛成だったし、参議員第二党勢力の緑風会も賛成だった。
二十七年十月は、憲法改正は是か非かを争点にして総選挙をやったくらいでね。
自由党(注、二十五年三月一日、民自党と民主党連立派が合同して自由党を結成)を含めたら衆参両院で四分の三の改憲勢力があった。
しかし、吉田さんは乗らなかった。そのへんのところがね、自由党の功罪を論ずる場合、非常に味のあるところなんだねぇ。
そういうなかで、わたしはどうしていたかということなんだけど、代議士に当選したときから政治の真んなかにいたよ。ずーっと真んなかだ。
そのころは占領軍から毎日のように『メモランダム』が発せられていた。
まァ、日本の国会に対する事実上の指示だな。
そのメモランダムで法律の原文が示され、一行の修正でも、付帯条件をつけることでも、占領軍のOKがなければできなかったんだ。それはもう、やかましいもんだったよ。
たとえば国会の審議時間。法案が予定通り上がらないと、午前零時を回っていても国会本会議場の時計が占領軍によって止められて、法案の決議が強行されたような例はいくつもある。
占領軍民政局の国会係はケーディスという人でね。この男が議長サロンで終日、頑張っていた姿は、今でもわたしの記憶に鮮やかだよ。
占領軍のメモランダム、これは洪水みたいでね。まるで蛇口からほとばしる水道の水だ。わたしはその蛇口の下に位置しておって、ジャーッと降りてくる法案の条文整理をしたり、時には占領軍メモに反して多くの議員立法を立案したこともある。
ま、そうした若いときの経験がね、今のわたしの法律に対する知識の基礎であるかもしれないと思うんだ。
法律というのは、これ、実に面白い生き物だよ。使いようによっては変幻自在に姿を変える。法律を知らん人にとっては面白くもない一行、一句、一語が実は大変な意味を持ち、すごい力を持っているんだ。
壮大なドラマが法律の一行、一句にこめられているといってもいい。
法律を活殺自在に使いこなすには、法律に熟知していることが必要だけれども、それが法律学者的な逐条解釈に立った知識じゃダメだ。
その一行、その一語にこめられた背後のドラマ、葛藤、熾烈な戦い、そういったものを知っていて、その一行や一語にこめられた意味がわかっていなければならない。そこが肝心なところだな。
わたしはそうした物差しで戦後から今日に至るまでのわが国の法律や制度をみているんだ。
今の法律や制度、仕組みというのはね、戦後これだけ長く経った今なお、占領軍時代につくられたままのものが多いんだ。
だから、そうした法律が制定された当時の背景や目的がわかっていないと、法律の運用を間違う。
一つ一つの法律を、文面だけからの解釈で改正しようといってみても、議論が百出してまとまるもんじゃない。
この法律は日本政府の原案ではこういうものであった、それが占領軍メモが届いてこう変わった、その間にこういう事態が起きたので、現行法に修正されたと。もって如何となす、となれば議論の土台がきっちりして、コンセンサスを得られる条件が満たされると、わたしは思っているんだがね。
ともかく占領軍は、わが国を弱体化し細分化し、非戦力化するために現行憲法や多くの法律をつくって、日本政府に呑ませたんだ。
にもかかわらず、戦後、幾星霜を経て、わが国は世界でも指折りの経済大国に発展した。
これはね、日本人が強い同族意識をもち、英知と努力によって現行憲法や占領時代につくられた諸制度・諸法規を消化して、わが国の風土に定着させたからなんだ。
憲法制定、西ドイツと日本の差
しかし、そうはいってもね、いつまでも占領時代の法律、制度を引きずっていく必要はない。だから、現憲法についてもこの辺で本格的な検討を加えるべき時期にきていることも、また、確かだと思う。…
つづく
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