今日もお立ち寄り有難うございます。
『GHQ知られざる諜報戦』C.A.ウィロビー著
数十万におよぶ不幸な旧日本軍兵士、および被抑留者たちの消息を確かめ、彼らがどのようになったのかを突きとめるため、マッカーサーの情報部、すなわち私のG2は万全の努力を重ねた。
私はソ連から引き揚げてきた戦争捕虜を訊問して情報を得ようとした。その結果、捕虜収容所の許しがたい環境のため、数千名もの将兵が死亡したことが判明した。まったくの奴隷と化していた日本人たちは、信じられないくらいの辛苦をなめさせられていたのである。
ついに故国の土を踏んだ生き残りの引き揚げ者たちが、決してウソは言わぬと誓い、涙ながらに語った証言によれば、百ヵ所以上のソ連収容所にいた二十万九千三百名の捕虜のうち、五万一千三百三十二名が栄養失調や伝染病が原因で死亡したという。
その死亡率は二四・五パーセントに達する。さらにある地域では死亡率は六〇パーセントにも達していた。
地方病院の一つで、墓掘りとして働かされていたある引き揚げ者の、次のような報告は典型的なものであろう。
「飢えと疾病のためあまりにも多くの人が死んだので、五十名からなる屍体処理班は、死者を焼く仕事を遅滞なく果たすことができなかったほどです。軍医の話だと、一九四五年から一九四七年にかけての死亡者の数は、その地域では三〇パーセントの高率に達したそうです」
この証言者は、そう語ると、しばし絶句してしまった。
ある地方で報告された高い死亡率は、すべての収容所に等しくあてはまるものである。これらの人々は、帝政ロシア時代よりもはるかに苛酷な奴隷的労働条件の下でこき使われた結果、死んでいったのである。
ソ連の残虐行為の一つ一つが、わがG2の調査の結果明らかにされ、ワシントンに報告された。
これらのすべての顛末は、のちに『シベリア戦争捕虜収容所における生と死』というタイトルをつけられ、目撃証言による報告書として国連に提出された。
報告の一つ一つは、どれも身の毛がよだつものである。
ところが国連はこの報告書を無視してしまった。しかし、マッカーサー元帥は東京でのソ連大使との「冷戦」で、これを有効に活用することができた。デレビヤンコ将軍が「日本の労働者階級や個々人の権利の保護者」であるかのごときポーズを取ろうとするや、いつでもシーボルト大使は、ロシア人の牙にかかって大量殺戮された日本人捕虜の件を持ち出したのである。
すると警察の野蛮行為とか、米軍の行き過ぎとか、労働運動に対する抑圧とかを並べ立てては口角泡を飛ばしていたデレビヤンコ将軍は急に黙りこくってしまい、彼の毒舌もただちに止んだものだった。
以下略
上記の文中で赤字にした部分ですが、ソ連の将校の言い訳が、日本共産党と全く同じ論調なので強調させていただきました。
基本的に共産主義者は平気で嘘と言い訳で生き延びてきたカルト集団ですので、彼らに人類が望む「平和、平等、人権」を説いたところで理解出来ないと思います。
「国連」もしかりですが…
2017.11.9
共産党の志位和夫委員長は9日の記者会見で、1917年のロシア革命から100年を迎えたことについて、「スターリン以降、専制主義、覇権主義という形で革命の成果は損なわれて崩壊したが、世界史に非情な大きな持続的影響を与え続けている歴史的意義を持つ革命だった」と評価した。
志位氏は、革命によるソビエト政権の樹立に関し、「民族自決権の旗を初めて無条件に掲げて実行した。暮らしと経済という点では、社会権という問題を初めて掲げた。社会保障という言葉が初めて出てきたものもここからだ」と指摘した。
日本共産党はロシア革命・ソビエト社会主義を称賛してますが、ロシア革命がフランス革命よりも更に残忍でおぞましい革命であったことを、どうやら知らないようです。
さらに、世界の共産主義国にまともな「社会保障」なんてありません。
あるのは、「独裁・抑圧・殺戮(計画的餓死含む)」です。
そして、スターリンだけが間違っていたかのような言い方ですが、そのスターリンを妄信していたのは、日本共産党自身です。
何十万という日本人、日本兵が虐殺された事実が明らかになった以降も、日本共産党はスターリンを「平和と解放のみちびきの星」「スターリンはわれらの胸に」などと礼賛していたのです。
日本共産党にとって共産主義によって1億人以上の人々が粛清されようが、同胞の日本人が何十万、何百万人殺されようが「共産主義革命」、「ソ連の社会主義を守る」という目的の方が大切なことなのでしょう。
日本共産党の経典「マルクス・レーニン主義(共産主義)」の真の姿
サタン教の儀式に参加し、サタン教徒に
マルクスが18歳の頃に、大学で一度霊的な現象に出会い、それから敬虔なサタン教徒になったという。今残された資料から、彼がサタン教徒の儀式に参加したときに、サタンが何かの形で現れ、それを見たマルクスが「自分はサタンの代弁者だ」と信じるようになったのだと推測できる。
そのころに彼が書いた戯曲『オーラネム』には、サタニスト教会で行われる黒ミサの儀式が描かれていた。『オーラネム』というタイトル自体はキリストの聖なる名の逆さづりであり、黒魔術ではそのような倒置に魔力があるとされる。
『オーラネム』の「演奏者」と言う詩のなかで、マルクスは自分のことを次のように書いた。
地獄の気が舞い上がって、やがて私の脳を充満した
私は気が狂い、心が完全に変わった
この剣を見たか?
闇の大王がそれを私に売った
私のために、彼は拍子を取り、合図をする
私の死の舞もますます大胆になる
ここでも、マルクスは悪魔サタンと何かの契約を交わしたことがわかる。
(中略)
人類の滅亡を目指すサタンの代弁者
ここでまた戯曲『オーラネム』の台詞を引用する。
若き我が腕に力が満ち溢れる
凶暴な勢いで
君たち人類を掴んで、そして壊す
暗闇の中、底なし地獄は我々に口を開いた
あなたが落ちて、私は笑ってついて行く
そしてあなたの耳元で、「下で会おう」と囁く
聖書啓示録では底なし地獄について「悪魔そして堕落した天使に用意されたもの」と書かれているが、マルクスは全人類をこの地獄に落とそうとしていた。
オーラネムの死について、マルクスは次のように書いた。「滅亡、滅亡。私の時間が訪れた。時計が止まり、建物も崩れる。私は永久に手に入れ、生命の叫びとともに、全人類に呪いをかける」
才能に溢れた18歳のマルクスは『オーラネム』で自分に決めた人生計画を明確なものにした。人類・無産階級・社会主義などに捧げるのではなく、この世界を壊すこと、社会に動乱・苦痛をもたらすことで、自らの王座を築こうとしていた。
マルクスは詩人ゲーテの『ファウスト』の中の悪魔メフィストフェレスの台詞「すべての存在が壊されるべきだ」を好んでいたという。マルクスにとって、ここの「すべて」には、無産階級、共産主義のために戦う人々も含まれるが、後のスターリンは自分の家族さえも、この「すべて」として壊した。
※赤字の部分ですが、ソ連、中国、北朝鮮も共産主義の同志が次々と処刑されていきました。そして、彼ら独裁者の家族(妻や子供、兄弟さえも)も見殺しにされ、処刑の対象とされていったのです。
資料館で偶然発見されたこの手紙によると、マルクスがロンドンで亡命していた時期に、革命の同志を密告していた。ともにロンドン、パリ、スイスなどで亡命していた同士に関する密告は1つにつき、マルクスは25クローネの賞金を手にしていた。密告された中にはルージュ(Ruge)という革命家もいたが、彼は自分がマルクスの親友だと思い込み、2人の間で往復された情熱溢れる手紙は今も保存されている。
また、マルクスは家族を養うことなど脳裏になかった。数カ国の言葉を自由に操れるマルクスは、生活が不自由のはずはなかったが、彼はエンゲルスからの援助で生計を立てていた。
(中略)
マルクスは家計の遺産に対する執念も深かった。病気の辛さを耐え忍んでいる叔父に対してマルクスは、「あの犬が死んでしまえば、(財産の引継ぎの)妨げもなくなる」と書いていた。
彼は母親に対しても容赦がなかった。1863年12月に、マルクスは母親の死について、エンゲルスにこう書いた。「2時間前に電報が届いた。母が死んだらしい。家族が亡くなる運命で、私もいつか死ぬだろう。多くのとき、私に必要なのは1人の老人ではなく、その財産だ。それをもらいに、トリーアに発つ」
マルクスは無産階級を「愚かなガキ、ごろつきども、ロバ(間抜け)」と表現していた。彼は結局一生涯、誰も愛さず、誰も信じることはなかった。
※赤字の部分ですが、ソ連、中国、北朝鮮も密告制度がありました。
そして、ソ連に渡った日本共産党員も同志(野坂参三)の密告で処刑されています。
こういった歴史的事実も、日本共産党は無視し、嘘をつき通しています。
共産主義は宗教を禁止していますが、共産主義自体がサタン教ですので、他の宗教を禁止するのは極めて自然なことと言えます。
ところで素朴な疑問なのですが、日本共産党の党員は家族が亡くなったら、お葬式を挙げないのでしょうか?
お経はあげないですよね?
まさか、頭にろうそくを巻いたりしないですよね?
つづく
最後までお読みくださいまして有難うございます。
リンクフリーの記事です。皆様のお役に立てれば幸いです。