今日もお立ち寄り有難うございます。
前回は「大韓民国臨時政府」という朝鮮独立家が日本を「改革の拠点」として進入してきて、銀行強盗や殺人をして日本人を震撼させていたことを書きました。
今回は「大韓民国臨時政府」というテロリストが関東大震災の時に何をしたのかを書いていきます。
吉野作造の暴論
「朝鮮人が襲撃してくる」という「流言蜚語」が横浜に端を発したことはすでに触れてきた。その実証的証言も紹介した。
だが、その事実が学者やジャーナリズムまでを巻き込んで「襲撃はなかった」ことにされたのだ。八十年経った現在でもそのまやかしは変わらない。
発生当初は政府も新聞も「朝鮮人が襲撃する」と危険を呼び掛けていたのだが、三日も経つとがらりと態度を豹変させた。なぜそうなったのか、その詳細については次章で述べたい。
(中略)
吉野論文には論理の飛躍がある。破綻といってもいい。朝鮮人が犯した小さな犯罪や、彼等の性向をことさら日本人が拡大して恐れおののいた結果があの「流言蜚語」を生み、「虐殺」へつながったのだという筋書きで成り立っているのだ。
(中略)
要するに放火や暴行があったからといって、日本人だって同じ事をすることがあるのだから、朝鮮人だけが日本人を狙ったことにはならない、というのだ。博士の一般朝鮮人への配慮は分かるとしても、震災のさ中に日本人が暴行、掠奪、強盗などをした例は皆無に近い。絶無とはいえないにせよ、戒厳令が布かれ自警団が日本人へも同じように目を光らせて警戒に当たった。自警団は何も朝鮮人や中国人だけのために組織されたわけではない。 以下略
吉野作造が大したことで騒ぐなと言った内容ですが…
『東京時事新報 1923.10.22』
『関東一帯を騒がした 鮮人暴動の正體はこれ 放火殺人暴行掠奪につぎ 橋梁破壊も企てた不逞團』
九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為に遂に内鮮人にして殺害される算無く、是が流言の出所に就いては尚お聞明かされて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は●来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差し止めを解除した既に起訴した鮮人、二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於いて捜査中のもの亦少なくない
掠奪、放火、婦人に暴行、三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪、掠奪、放火爆弾、強盗、少女を殺す、棍棒、…
飲料水へ毒 あべこべに飲まされて悶死
歩兵に抵抗 etc
はてさてこのような、一部とはいえ朝鮮人が大挙して暴動、犯罪を犯したことが、「大したことではない」ことなんでしょうか?
社会主義学者として、大正デモクラシーの立役者として名を馳せた人物の一声で、赤い朝鮮人達は、その罪はなかったことになってしまったのです。
吉野作造のWikipediaを読むと、彼は大韓民国臨時政府の活動家・呂運享に対して共感を覚えていたようです。
それでは朝鮮人への虐殺はあったのか?ということですが、これもNOだったわけです。
つまり、あの大震災の中で日本人も沢山の犠牲者が出たのです。
混乱した中で、同じ黄色人種の朝鮮人をどう見分けしていたのでしょうか?
どこに朝鮮人が潜んでいるかいちいち探索する余裕などありません。
また焼けただれた死体を見て、どの死体が朝鮮人か見分けがつきますか?
「従軍慰安婦20万人の犠牲者」という説と同じですね。
お花畑学者が吐いた嘘が、現在までまだ信じられていることが不思議というより情けない気持ちでいっぱいです。
『関東大震災での朝鮮人虐殺 数千人が犠牲 今も至る調査しない政府』
『歴史的事実を隠蔽』
朝鮮人による殺傷事件は2件、傷害3件で、被疑者はすべて不詳としています。殺人は被害者も不詳です。蜂起、放火、投毒等は「一定の計画の下に脈絡ある非行をなしたる事認めがたし」と否定しています。内務省の電文は、根拠のない「朝鮮人暴動」を事実であるかのように偽って伝えるものだったのです。 以下略
日本共産党は、身内(当時は朝鮮人党員が多く存在していました)のやったことですので、必死で庇っていますね。
自分たちの犯罪は“隠蔽”しまくっています。
…というか、よくもまあ、このような捏造が出来るものだと思います。
共産党にとって「捏造」は十八番ですから今更驚きませんが、現在も日本国の政党であることが許せません。
日本共産党の嘗ての同志=朝鮮総連にも、同様の記事があります。
朝鮮総連の機関紙:朝鮮新報
2013.9.2
交通網が寸断され、人々が不安におののく中、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を投げ入れている」「放火、強盗を働いた」などの流言が飛び交い、このデマと共に軍隊、警察、自警団などによる朝鮮人虐殺が各地で発生し、6千人を超える犠牲者を出した。以下略
かつての同志・日本共産党と同じ論調で、自分たちが犯した罪はなかったことにしていますね。
また、6千人虐殺されたと言ってますが、どうやって、死体をカウントしていったのでしょうか?
さて、赤いテロリスト(大韓民国臨時政府)の真の目的とは…
昭和天皇の殺害だったのです。
日本統治時代の朝鮮の独立運動家。日本に渡った後、大韓民国臨時政府がある上海に渡り韓人愛国団団員となった。1932年、金九の命を受けて昭和天皇の暗殺を試みて桜田門事件を起こしたが、襲撃は失敗し大逆罪となって死刑にされた。
日本名は木下昌蔵。韓国では独立運動家、義士とされている。
上海天長節爆弾事件を起こしたことで、当時の朝鮮を統治していた日本側からはテロリストや民族主義者、逆に支配されていたとする朝鮮側(特に後の大韓民国)からは独立運動家として扱われている。
(中略)
1931年に上海に渡って金九の組織した抗日武装組織韓人愛国党に参加し、事件を準備した。第一次上海事変停戦交渉の最中であった1932年4月29日天長節(天皇誕生日)の日、上海の日本人街の虹口公園で行われた祝賀式典会場に爆弾を投げ爆発させる事件を引き起こした。上海派遣軍司令官陸軍大将白川義則、上海日本人居留民団行政委長で医師の河端貞次を殺害し、第3艦隊司令長官海軍中将野村吉三郎、第9師団長陸軍中将植田謙吉、上海駐在総領事村井倉松、上海駐在公使重光葵、上海日本人居留民団長書記友野盛ら多数に重傷を負わせた。 以下略
『白貞基 Wikipedia』
(中略)
1924年には、昭和天皇の暗殺を狙い東京に潜入、その一環として早川水力の建設右現場を破壊するテロを計画したが失敗し、北京に帰還した。
(中略)
1933年に虹口公園(現在の魯迅公園)で同志らとともに駐華公史であった有吉明を暗殺しようとしたが、失敗。
(中略)
韓国では独立運動家のひとりとして顕彰されており、また白を顕彰する旧派白貞基意思記念館がある。墓地は金九らと同様に孝昌公園にある。
日本人殺害、天皇暗殺を謀ったテロリストを韓国では「義士」として祀られているのです。こういった国と「価値観を共にする友好国」として付き合う方が無理があると思います。
日本国、日本人の敵ともいえる韓国人テロリストの墓参りをした日本の国会議員がいます。
東亜日報1999.4.15(木)
『小沢・日 自由党党首白凡墓参拝する』
昭和天皇の暗殺を謀り、日本でテロをした韓国人テロリストの墓参りまでする必要があるのでしょうか?
何の意味があるのでしょうか?
異常としか言いようがありません。
ぜひ、小沢一郎に赤い人たちとの繋がりがどうして出来たのか聞いてみたいものです。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
リンクフリーの記事です。皆様のお役に立てれば幸いです。