原爆の日に思うこと

毎日バタバタと過ごしているうちに、ブログの更新が滞っていました。

申し訳ございませんでした。<m(__)m>

 

さて、今日は8月6日、広島に原爆が落とされた日です。

私も広島に住んでいた頃、何度か広島平和記念館に足を運びました。

そこで、すごく気になる“碑文”が目に留まりました。

 

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」

 

???な碑文です。

誰が原爆を投下して、誰が「過ちを繰り返さない」と反省しているのでしょうか?

原爆を投下したのはアメリカですよね。

「ハーグ陸戦条約」には、非戦闘員への攻撃は禁止されていますし、23条5項「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用することを禁ずる」という内容が記されています。

 

アメリカは、B29で非戦闘員の殺戮をしていますし、原爆投下は完全に「ハーグ陸戦条約」に違反しています。

 

反省すべきアメリカが反省をしていなくて、被害国の日本が「反省の碑文」を作っているんですね。

日本人は敗戦をきっかけにして、卑屈な民族に成り下がってしまったのでしょうか?

 

団塊世代共産主義運動が盛んな世代)から上の世代は、「日本の軍国主義がアジアに侵略戦争を起こしたから、アメリカが原爆を起こさなければ戦争を続けていていたから仕方ない(現在はソ連コミンテルン仲間の中国共産党日本共産党が主張)」という、アメリカの嘘を真に受けている高齢者が多いです。

 

ネットが使えない、テレビの嘘を信じ込んでいる自称エリートさん達や自称平和主義さん達(偽善者)が跋扈していた時代の方々ですので、仕方ないことといえば仕方ないことですが。

 

アメリカの嘘を、戦勝国でもない中国と韓国が戦勝国気取りで「日本の戦争責任」を追及し、それを援護するかのように、日本の左翼野党陣営とマスコミが煽っていますので、ちょいとこのブログで反論記事を書いてみようと思います。

 

GHQ 知られざる 諜報戦』C.A.ウィロビー著

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必要なかった原爆投下

 第二次大戦末期の1944年末ごろには、太平洋地域に対するソ連の参戦は秘密裡にではあったが外交上了解済みのことだった。 しかし、わが司令部はソ連の参戦は不必要だけではなく、逆に有害であると考えていた。 1941年の段階なら、東南アジアへ進攻する日本軍を牽制し、これを満州ソ連国境に釘づけにしておくためソ連の介入は望ましかったろう。 事実、マッカーサーはそのことをワシントンに進言していた。

 だが1945年には、ソ連の介入はすでに必要なくなっていたのである。

 

 1944年10月に日本の軍需関係専門家会議が開かれた。 私はこのときの記録を入手したが、それによれば日本の重工業および軍需産業はにっちもさっちもいかない状態に置かれていた。 それと同時に、ワシントンは日本政府がソ連外務省に米英との講和の仲介をしてくれるように頼んでいる会談の傍受に成功していた。

 ソ連モロトフ外相と会談している佐藤尚武駐ソ大使の懸命のアピールには、ヒステリックで絶望的な調子がただよっていた。 

 

 この駐ソ大使の態度を見て、モスクワは「いま参戦すれば、簡単に勝利を収められるぞ」とほくそ笑んだに違いない。 日本は冷徹な共産主義者を前にして、自ら墓穴を掘ったのである。

 

 マッカーサー司令部(米太平洋陸軍総司令部)はこのような情勢下で、次のようなことを考え抱いていた。

日本は息絶え絶えである。日本の息の根を止めるには通常兵器で十分である。戦争の最後の瞬間に―—つまり日本の降伏の一週間前に―—ソ連が参戦することを許さねばならない理由はまったくない。 アジアの広大な地域を共産主義化するためのお膳立てをしてやるなんて、とんでもないことだ

 

 この点、1945年2月、「国体維持のたてまえより、最も憂うべきは、敗戦よりも敗戦に伴うて起こり得る共産革命にご座候」としたためた近衛文麿の上奏文は、私には十分納得のいくものである。

 

 しかしながら、ワシントンの背広組のヘマのために行われた「ヤルタ会談」での密約を利用して、ソ連はマニラのマッカーサー司令部を「探察」させるため強力な軍事施設団を派遣してきた。 使節団は有能な軍人であるクズマ・N・デレビヤンコ陸軍少将に指揮されていたが、彼はその後、東京における対日理事会でじつに怒りっぽくむらっ気のあるメンバーとなった人物である。

 

 マッカーサー司令部が「連中」と接触したのは、この時が初めてであった。 私もまた「連中」を初めて観察できたわけであるが、そのときの印象は、のちになっても少しも変わらなかった。 要するにソ連の海外派遣軍人たちは、自主性にまったく欠けていたのだ。これはいまも変わらない。

 

 「連中」は決して自分で情勢判断はしない。ロボットなのだ。「連中」の動きは、日ごとに変わりゆく国際情勢を、微に入り細に入りラジオで伝えてくるモスクワからの指示次第なのである。

 そのため、ときにはたいそう人なつこく愛敬をふりまくかと思うと、たちまち強情一点張りになったりする。この変化に私は何度もうんざりさせられたが、おかしくもなったものである。

 

 ソ連は原爆が広島に投下されたまさにその翌日、日本に対して宣戦布告をした。

それまでは4年もの間、これみよがしに中立を守ってシベリア国境の防衛にひきつけておけたはずの日本軍をニューギニアやフィリピンの攻撃へ思う存分に向かわせていたにもかかわらずだ。

 

 8月7日、トルーマン大統領は、以下のごとき歴史的放送を行って、全世界を震かんさせた。

16時間前、わが米軍機が広島に1個の爆弾を投下した。このたった一発の爆弾はTNT火薬2万トン以上の爆発力を持つものであった。それは原子爆弾で、宇宙の基礎をなす力を利用したものである。われわれはいまやどんな都市であろうと日本人が地上で行っているあらゆる生産活動を、これまでよりももっと早く、もっと完全に抹殺できることになった……」

 

 長くなりますので、続きは次回書かせて頂きます。<m(__)m>

日本はアメリカとの開戦を望んでいなかったし、戦争回避に努めていました。

しかし、ルーベルトは戦争をしたくて仕方ありませんでした。

なぜなら、ルーズベルト共産主義者だったからです。

ヤルタ会談(密約)」でもわかるように、ルーズベルトスターリンは日本を抹殺するために日本を嵌めたからです。

また、日本政府(近衛内閣)も朝日新聞社共産主義者ソ連工作員だった尾崎秀美に操られていました。

 

 日本は戦争を仕掛けたソ連に仲介を求めたわけですが、それが愚かだったというわけではなく、当時、どう転んでも世界(欧米列強)は、有色人種の小国日本を助ける気はなく…いや…「日本を抹殺」することしか考えていなかったわけですから、日本人皆殺しの計画は実行されるしかなかったのでしょう。

 

それにしても現代に至っては、同じ有色人種の中国、韓国が日本叩きをしているのですから(当時、支那は欧米列強の植民地にされ、韓国は日本に併合される前は支那の属邦でした。つまり自分達で独立をする努力をしなかったヘタレな国々ということです)…ましてや日本共産党や左翼野党もこのおぞましい計画を実行進行中なのですから、まともな日本人の行く末はどうなるのでしょうか?

 

つづく

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