朴正熙大統領暗殺計画の陰で「チュチェ思想研究会」が蠢く

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

前回の【朝鮮総連「対韓国政治工作を強化せよ!」:民団系青年学生、土台人が工作員となった】の続きです。

 

【スパイと公安警察 実録・ある公安警部の30年】泉修三著

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平成四年(1992年)、東村山署旭が丘で深夜二時ごろ見張り中の巡査が何者かに首を切られ即死、けん銃を奪われるという事件が発生した。あれから十数年、犯人はまだ捕まっていない。

(中略)

 韓国で朴正熙大統領が講演中に狙撃され、本人は無事だったが、不幸にも隣にいた夫人が死亡した。 この事件でも交番から盗まれたけん銃が使われた。

文世光という在日韓国人の出張犯罪である。

銃弾には「線条痕」というのがあって、どのけん銃から発射されたのかすぐ識別できる。 このけん銃の線条痕を調べたところ、「半年前に大阪の交番で巡査から盗まれたもの」ということが判明した。 以下略

 

 そういえば、昨日(3/11)に大阪で住所、職業不詳の韓国籍の姜真一が客と従業員に向けて拳銃を発砲した事件がありましたね。 韓国籍ということで、これも「出張犯罪」なのでしょうか? それとも… どちらにしても、拳銃はどこから手にしたのでしょうか?

住所、職業不詳って、今までどうやって生活費を稼いでいたのでしょうか?

 

さて、朴大統領を狙撃した文世光について続きを書きますね。

朝鮮総連金賛汀

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 1974年8月15日、韓国で朴正熙大統領が光復節式典の会場で在日の青年文世光に拳銃で狙撃され、臨席していた大統領夫人が被弾し死亡する大事件が発生した。

(中略)

やがて、文世光が民団系青年団体在日韓国同盟(韓青同)に一時所属していたことが判明した。

(中略)

金大中の熱心な支持者である文世光が朴政権の金大中拉致監禁に憤怒して起こした、激情型民団系青年の絶望的な行動に思えた。ただ気になったのは、文世光が総連の政治部関係者たちと接触があったこと、そして日本人の北朝鮮シンパ「チュチェ思想研究会」のメンバーと親交を持っていたことである。

(中略)

真相は思いがけないところから現れた。

日本の新聞は、北朝鮮の関与が明確になった報じたのである。

北朝鮮金正日労働党総書記が今年五月に訪朝した朴元大統領の長女、朴槿恵議員に対し、北朝鮮の関与を認めた上で、謝罪していたことが分かった。信頼すべき複数の消息筋が十三日、明らかにした。ただ、金総書記は『自分は知らなかった』と自らの関与を否定した」

 

 この新聞記事は私に少なからぬ衝撃を与えた。総連の対韓国政治工作の闇の深さを改めて思い知ったからだ。これらの対韓国政治工作の延長上に、1970年代後半の北朝鮮による日本人拉致が行われたのである。 その拉致工作が朝鮮総連の対韓国政治工作部署と一切無関係であったとは、とても断言できない。 以下略

 

>日本人の北朝鮮シンパ「チュチェ思想研究会」…

当時の「北朝鮮シンパ」といえば、旧社会党(支持母体の日教組自治労なども)、日本共産党、左翼大学教授などのいわゆる「痴色人」、日弁連…そして、朝日新聞など沢山いますね。

 

朝日新聞夕刊 1971年12月6日

【チュチェの国 北朝鮮

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> 共和国の外国文出版社が発行した日本語版「キム・イルソン同士の革命活動略歴」の出だしは、「絶世の愛国者であり、民族の英雄であり、百戦百勝の鋼鉄の霊将であり、国際共産主義運動と労働運動の卓越した指導者のひとりである。四千万チョソン人民の偉大な首領キム・イルソン同士は…」だった。

 

キム・イルソンは、実は「馬賊」であって、中国共産党員だったことはもうバレていますが…キム・イルソンが大ペテン師だったことは、また後ほど書きたいと思います。

「国際共産主義」とは「コミンテルン」のことで、中国共産党日本共産党コミンテルン支部なんですよ。 

そして、朝日新聞も日本を戦争へと導いたコミンテルン工作員(尾崎秀実)がいました。

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朝日新聞は「昔プラウダ、今人民日報」ですが、「朝鮮労働新聞」の役割もしていたんですね。

コミンテルン+プロレタリア独裁=チュチェの国、北朝鮮

…と、いうことでしょうか?

 

>後藤朝日新聞東京本社編集局長との会見で、「日本軍国主義を繰り返し批判していると、それなりの効果もあるんですな。日本軍国主義批判の朝中共同声明を出したら、大阪の万博博へ行く予定だった友好国の議長が、行くのをやめてしまった。腹痛が理由でしたが…」

 

なるほどね、中国共産党北朝鮮が「日本軍国主義」というレッテルを作ったんですね。 それにしても朝日新聞は、このレッテルに反論しなかったどころか肯定しているように思いますが。

 

>「よど」号の学生について―「ああ、われわれで保管してますよ」

 

「保管している」って、よど号ハイジャック犯(共産主義者同盟日本赤軍派)は「物」みたいな扱いですね。

北朝鮮にしたら、ハイジャック犯は「駒」みたいなものなんでしょうね。

だって、北朝鮮は「共産主義」ではなく、「チュチェ(主体)思想」なんですから、単なる駒としか思ってないのでしょう。

 

>美濃部東京都知事の会談で、「ボク、一度聞いてみたいと思ったんですが、戦争の時、最初から勝つと自信もってましたか」という同知事の質問に、「いくさというものは、相手のあるものですからなぁ、アハハハ」 いたってざっくばらんだった。

 

あらま、マルクス(悪魔思想)主義の美濃部都知事は、金日成と会っていたのですね!

通りで、東京都は赤字財政に転落したわけだ!

さて、「戦争の時」って、朝鮮戦争のことでしょうか?

大東亜戦争では、朝鮮人は日本側としてアメリカと戦ったわけですから…

でも、朝鮮戦争は「休戦」ということですので、勝つも敗けも関係ないですね。

マルクス美濃部と金日成はまるで、戦争を面白がっているように感じますね。

 

>そして、その「偉大な首領」の指導下にある共和国が、一貫して民族の一番の課題として掲げているのが、祖国の統一。 

首相の「教え」には、こうあった。

「われわれの世代にかならず統一を達成しなければならない。統一されない祖国をわれわれがどうしてつぎの世代にひきつがせますか。地主も資本家も知らず、苦労も味わったことのないつぎの世代に、分断された祖国をひきつがせることはできない……」

 

ちょっと、何を言いたいのか意味が分かりませんが、朝日新聞金日成を「偉大な首領」の指導下にある共和国と表現しているところに、朝日新聞が「チュチェの国・北朝鮮」のシンパであるということが分かります。

 

朝日新聞夕刊 1971年12月2日

【チュチェの国 北朝鮮

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>祖国選んだ九万人 一切保護された職と生活

 

殆どが、「強制収容所」送りとなって食うものも与えられず、草やネズミなどを食べるという“自給自足”の生活で、最後は餓死するか、拷問の末処刑されるかの“地獄”のような生活が保障されていましたが。

韓国大統領は「痴呆」なのか? - 姥桜

 

>コン・ピョンスンさん(三六)もいた。NHKテレビのこども番組「ブーフーウー」のオオカミ役をしていた俳優。 「日本では永山一夫と呼ばれていました。でも、もう、永山一夫役は終わりました。これからは朝鮮人コン・ピョンスンの始まりです」。

以下略

 

NHKの子供番組「ブーフーウー」は懐かしいですね。

大山のぶ代さんや黒柳徹子さんの声…

その後、この俳優さんはどうなっているのでしょうか?

日本に帰化して、日本人として暮らした方がずっと幸せだったのにね。

 

日本の大新聞が北朝鮮の大宣伝をしたものだから、多くの在日の方々が地獄行きの船に乗っていったんですね。

 

 

もう少し、「チュチェ思想研究所」について書きたいと思いますが、長くなりましたので、今日はこの辺にて失礼いたします。

最後まで長文にお付き合いくださいましてありがとうございます。

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