今日もお立ち寄り有難うございます。
韓国がまた日本に意味不明な内政干渉をしてきています。
聯合ニュース 2019.4.23
>韓国外交部は23日に報道官論評を発表し、「日本政府と議会のリーダーたちが侵略戦争を美化している靖国神社をまたも参拝し供物を奉納したことに対し、深い失望と遺憾の意を表する」と述べた。 また「日本が正しい歴史認識を土台に、誤った過去の歴史を省察、反省することで周辺諸国と国際社会の信頼を回復し、平和の道を進むことを期待する」と呼びかけた。
東京の靖国神社には太平洋戦争のA級戦犯が合祀(ごうし)されている。共同通信によると、同神社の春季例大祭に合わせ、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーが23日午前に集団参拝した。 安倍晋三首相は21日に供物の「真榊」を奉納している。
まず、韓国と日本は戦争をしていませんし、日本はどこの国にも侵略などしていません。一体、どこの国を日本が侵略したというのでしょうか?
韓国は何を血迷っているのでしょうか。
「国際社会の信頼」がないのは、韓国ですよね。
「背取り」はもうバレてますが…いつまで逃げ切るつもりなのでしょうか?
また、日本において「A級戦犯」などというのは存在していません。
※2018.8.16の記事に説明してありますので、こちらを参考にしてください。
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中国の大物工作員:周恩来が「日中国交正常化」の時に、国内向けに「靖国神社にA級戦犯が合祀されている」と問題化して、結果的に国民の「反日デモから反政府デモ」に変わっていく事態を招いてしまい、中国政府が顚覆される恐れがあるので、中国は「靖国参拝反対」を日本に要求しているだけのことです。
なので、安倍首相も小泉首相のように堂々と「靖国参拝」をされたらどうでしょうか。
勝手に中国が撒いた種ですので、何も日本が忖度する必要はないと思います。
まぁ、中国に進出している企業(特に伊藤忠商事やトヨタ、イオンなど)は、中国に脅されていますので「反対」をしていますが。
それから、中国から沢山の賞状を貰っている池田大作の創価学会が支持母体の「公明党」、そして中国と同じコミンテルン日本支部の「日本共産党」とコミンテルンから派生した「社民党」や、極左が支持母体の「立憲民主党」などは、みんな反対していますが…
では、なぜ、全く関係のない韓国が「靖国参拝反対」をしているのかと申しますと…
韓国政府は韓国国民に「韓国光復軍が連合軍とともに、日本軍と対戦した」という、嘘をついているからです。
聯合ニュース 2019.4.9
>臨時政府の軍「光復軍」は韓国侵攻作戦準備していたが、実行前に日本が降伏を宣言すると、日本軍の武装解除などの任務を帯びソウル進入作戦に投入された。
45年8月18日、光復軍の4人と米戦略諜報局(OSS)の18人はC-47で汝矣島飛行場に着陸した。
(中略)
金九(キム・グ)は独立運動家で、光復軍創設を主導した。また、臨時政府の拠点だった中国の上海はじめ、重慶、米ロサンゼルスでも、独立功労者の子孫や現地の韓国系住民が参加する臨時政府樹立記念式が開かれる。
ほんの少しの事実と多くの嘘で誤魔化し続ける、苦しい文章ですね。
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>1942年に金元鳳の朝鮮義勇軍を吸収して規模を拡大し改編された。
(中略)
光復軍は1944年まで中国国民党政府の国民革命軍の統制下にあった。
(中略)
重慶では、蒋介石を長とする国民党政府軍事委員会の傘下にあった。
(中略)
光復軍は朝鮮半島への潜入などいくつかの計画を温めていたが、1945年の日本のポツダム宣言受諾により、実践にはほとんど参加することなく終わった。
あれ?韓国は、北朝鮮の「朝鮮労働党中央委員」「最高人民会議常任委員会副委員長」の「金元鳳」の名前を出していませんねぇ…
『金元鳳』Wikipedia
>金元鳳(キム・ウォンボン、1898年8月13日(陰暦)-1958年?11月)は、中国の軍人、韓国の独立運動家であり、北朝鮮の政治家である。号は若山。
義烈団・朝鮮義勇隊で活動し、大韓民国臨時政府の光復軍副司令官となる。
(中略)
1927年8月、金元鳳は周恩来、朱徳などが主導した中国共産党による南昌蜂起に参加した。しかし、共産党政府と、国民党勢力の間で行われた殺戮戦を通して、イデオロギーは欺瞞であると気付いた彼は、広州起義には参加しなかった。
1932年、蒋介石の援助で朝鮮革命幹部学校を中国・南徴郊外に設置し、革命要員募集と養成を行った。
1937年、金元鳳は、一時的に安楽な生活を送れるようになった。
朝鮮総督府のスパイが把握した動向は、日本の情報機関にそのまま報告されており、当時の報告によれば金元鳳は自家用自動車を所有しており、臨時政府よりはチャン・セ―リャン一派からより多くの資金を受けていたと報告された。
1937年7月10日、中華民国政府の招きで訪れた中国高官の会見場で、南徴西郊の蘆山に招待された。 蘆山には金九などが来ており、中国政府側代表者は日本を相手取り統一戦線を結成すべきだと説得した。
帰還する前、中国政府代表者から、使命を完遂するのに、必要な巨額の資金援助を受けた。
以後、臨時政府軍事副将を歴任し、光復後臨時政府の要人たちとともに帰国した。
1945年9月8日、朝鮮人民共和国(人共)の内閣が発表されると、金元鳳は軍事副将に選任された。
1946年2月16日、民族主義民族戦線の共同議長に推戴された。 以下略
後の北朝鮮の政治家である「金元鳳」は、「金九」よりも「光復軍」として知名度があったわけですよ。 なぜ「金元鳳」の名前を伏せているのでしょうか?
しかも、「臨時政府の光復軍」は「蒋介石率いる国民党」からの支援で成り立っていたのですが、なぜ、「蒋介石」の名前を伏せているのでしょうか?
当時の新聞記事があります。
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神戸大学経済学部経営研究所新聞文庫
大阪時事新聞1931年9月5日(昭和6)
>目下吉林に潜伏中の鮮人前上海仮政府部長南享字などが中心となり在満鮮人を糾合して民族自決運動並に反日運動を大々的に起こさんとする陰謀があるとの報告が吉林方面から当地に達した。 右報告によれば陰謀は吉林に総本部を置き南満、北満、東満に支部を設け支那側の援助の下に独立政府建設を企画するもので…以下略
「大韓民国臨時政府」は、「国民党政府」より「援助」を引き出すことを考え、また、「独立軍の兵士」を募集していたようです。
さらに…
神戸大学経済経営研究所新聞文庫
満州日日新聞 1936年3月22日(昭和11)
>苦力に扮して四等船客中に密んでいた朝鮮人を発見、(略)言語動作等に不審を抱き本署に連行取調べ(略)関係筋を内偵の結果、方天民とは偽名で安淳永という民族革命党員の南京軍官第三期卒業生であることが判明(略)昭和十年三月二十五日民族革命党軍官学校政治訓練班に入班し、さらに義烈団に入団し(略)本年一月二十日金元鳳より朝鮮革命思想普及並びに同志獲得の内命を受け爾来入満の隙を窺っていたものであるが、
(中略)
なお安淳永の取調によって今日まで魔の秘密結社として日満官憲の神経を尖らせていた南京民族革命党の奇怪な内面が暴露するに至り、またその軍官学校は現朝鮮革命党幹部元義烈団長金元鳳を校長とする南京国民政府軍事委員会後援の下に経営されているもので その本拠地も南京郊外上坊鎮後方黄竜山麓天寧寺に在ることが判明した、
(中略)
なおこの事件により南京政府が不逞鮮人を糾合してこれに反日満の政治的訓練を施している事実は明かに南京政府の偽装親日外交の仮面を剥ぎとったものとし わが政府を通じ何等かの強硬態度に出ずる模様である。
※苦力=19世紀から20世紀初頭にかけての支那人や朝鮮人、インド人などの出稼ぎ労働者、肉体労働者のことを指す。
Wikipediaの通り、「韓国光復軍」は、蒋介石率いる「南京政府:国民党」の傘下にいたわけです。
しかも、その訓練は金元鳳が仕切っていたとのこと。
韓国は、この事実をどうして隠しているんでしょうか?
さらに…
>軍隊を称していたが、連合軍の参加は認められておらず、臨政が国家として承認されなかったので国軍でもない。参戦の計画はあったが、その前に終戦に至り、9名をインドに派遣した以外はほぼ戦闘に参加することもなく、連合軍によって解体を命じられた。
軍政期、冷戦対立が顕在化する中で、大韓民国臨時政府は正式な政府とは認められず、光復軍も民戦(左派)が含まれていたことからすでに解体を命じられ、兵士と将校はばらばらに帰国するように指示された。
結局、大韓民国臨時政府および光復軍を朝鮮独立の礎となすという構想は実現せず、韓国陸軍の前進もアメリカ軍政庁が結成した南朝鮮国防警備隊に譲ることになった。
(中略)
このような経緯から光復軍は戦闘の実績がほぼなく、インド・ビルマ戦線に光復軍工作隊(9名)を派遣して朝鮮系日本兵の投降を呼びかけてイギリス軍に協力したことが、数少ない実績であった。
あらら、韓国の記事では「日本軍の武装解除などの任務を帯びソウル進入作戦に投入された」と、出鱈目な嘘を恥ずかしげもなく書いていますね。
そもそも、ソウルは戦闘区域ではありませんし、日本兵がソウルで立てこもる必要もないわけです。
それでは、なぜ、このような「大嘘」を並べるのか申しますと、韓国政府は「大韓民国臨時政府の光復軍は、連合軍と共に日本軍と戦ったわけだから、“戦勝国”である」という既成事実が欲しいんですね。
「金元鳳(民戦:左派)」と「蒋介石:南京政府:国民党」は、米国の連合軍が「民戦(左派)」を排除していることと、「内戦で台湾へ敗走した蒋介石の南京政府:国民党軍」は、国連から脱退していていることが、「自称戦勝国」の韓国にとって消し去りたい事実なんですね。
だから、「自称戦勝国」として「靖国神社参拝」に上から目線で反対しているんです。
でも、ちょっと考えてみれば分かることなんですが、そもそも、日本は「軍事力」で「日韓併合」をしていたわけではないんです。
しかも、先の大戦(大東亜戦争)で、“朝鮮半島を侵略した”わけでもないですよね。
なので「靖国神社参拝が侵略戦争を美化している」なんていう言葉は当てはまりません。
ましてや日本政府要人の「靖国神社参拝」は、韓国にとっては何の関係もありません。
もう少し、「韓国光復軍」についてWikipediaから引用していきたいと思います。
>なお、アメリカ政府の国務省公式歴史記録(1945年2月5日付)によれば、極東局長ジョセフ・ウィリアム・バラタインが蒋介石の国民党政府要人邵〇〇と面談したときのこととして、当時中国重慶には2000名もの日本軍の朝鮮人部隊(朝鮮人日本軍)捕虜が存在し、これらが韓国光復軍と地下工作員の訓練に協力していたという。
邵はアメリカ軍から韓国光復軍へ武器供与をできないかと尋ねているが、バラタインは国防省が回答すべきこととして否定的な発言をし、独立運動よりも個人的な利益と野心の実現に熱心な韓国人(朝鮮人)リーダー達の態度を問題視していた。
邵も実際に朝鮮半島に潜入してみて、リーダー達の嫉妬と協力体制の欠如を目の当たりにして、中国での活動の協力の必要を説いたという。
(中略)
1944年、日本軍の長沙作戦に多くの志願兵、学徒兵、徴兵1期兵など多くの朝鮮出身の軍人が投入されたが、彼らが光復軍の宣伝活動で臨時政府の存在を知ると、戦闘の度に脱走が続出した。
長沙には第1支隊第3区隊があったが、長沙作戦の終わった1944年末には、先任同志2名、学徒兵12名、志願兵2名、徴兵1期159名の計175名の部隊に成長した。
1945年3月の時点で光復軍の兵力は514人(中国人将校43人含む)であったという。
「日本軍から脱走した朝鮮人日本軍」…
もう、本当に韓国人は信用できないですね。
「事大主義」ここにあり!
「個人主義」ここにあり!
「嘘も100回言えば真実になる」!
日本にとっての「平和」は、「韓国とは関わらない」ことではないでしょうか。
またまた長い文章になってしまい、申し訳ございません。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
誤字、脱字がございましたらご容赦くださいませ。
リンクフリーの記事です。皆様のお役に立てれば幸いです。