今日もお立ち寄り有難うございます。
またぞろ、中国共産党の工作員と化した小沢一郎がお得意の手を使ってきました。
産経新聞2019.6.18
>政治団体「オリーブの木」は17日、夏の参院選の第2次公認予定者8人を発表した。東京選挙区からの立候補を表明していた元衆院議員の小林興起代表は比例代表に変更する。 以下略
「オリーブの木」構想は、なんちゃってサヨクの小沢一郎の構想です。
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上記のWikipediaの表を見てください。
「護憲」「平和」を唱えているのは、日本にとっては危険な極左だと思って間違いありません。
「今治加計獣医学問題を考える会」…玉木雄一郎に聞けばすぐにわかることでしょう。
いつまで、しょうもないことで考えているんでしょうか?
ヒマ人ですねぇ…
「世界平和の会」…もしかして、韓国系の統一教会ですか?
中国と韓国って、「世界」を使いたがりますよね。「自分」が「世界」と思っている節があります。 気持ちが悪い「会」ですね。*1
小林興起は「事大主義」で、右にも左にも出て、自由自在に思想を変えていきます。
その点は、小沢一郎と同じです。
「天木直人」のブログを読んでいただけると、彼らの目的は「野党共闘」だということが分かります。
「野党は今こそ『オリーブの木』でまとまって安倍暴政と戦え」の題名からして、小沢の魂胆が分かります。
そもそも「安倍暴政」って何(?_?)
どこが「暴政」なの?
意味不明な単語ばかり並べて、まるで福島瑞穂や志位和夫みたい。
具体的な「論」がないんですよね。
「民主党」の支持率が下がり、「民進党」と党名を変えたものの、国民からそっぽを向かれ、かつての仲間の小池百合子氏を担いで「希望の党」を結成させて、民進党議員を入党させたところ、保守の小池百合子氏が「護憲派」を拒んだために、あわてて枝野幸男が「立憲民主党」を立ち上げました。
しかし、頼みの「立憲民主党」も「国民民主党」や自身の「自由党」も支持率が伸び悩み…田中角栄の「数は力なり」の方針通り、隠し玉の新党結成で立候補者の数を増やして、自民党議員の数を上まわる作戦に出ています。
そして、「れいわ新選組」の結成ですが…
産経新聞2019.7.3
>政治団体「れいわ新選組」(代表・山本太郎参院議員)は2日、参院選に沖縄創価学会所属の運転代行アルバイト、野原善正氏(59)と会社役員の大西恒樹氏(55)、環境保護団体元職員の辻村千尋氏(51)を擁立すると発表した。いずれも新人。
「れいわ新選組」って、女装の大学教授や難病の方たちを擁立していますが、はたして彼らは、この国のためにちゃんと「仕事」が出来るのでしょうか?
「同情票」を目論んでいませんか?
運転代行アルバイトや環境保護団体の方も、この国を現実的に守っていけるのでしょうか?
「国政」を弄んでいませんか?
国民をなめてませんか?
山本太郎自身もそうですが、「目立つ」ことしか考えてないように思います。
三流マスメディアは、やたらと山本太郎の宣伝役をしていますが、本当に責任感に欠けていますね。
かつて、小沢一郎は「自自公連立政権」を発足させました。
産経新聞2019.4.27より
小沢一郎は今回は沖縄の創価学会(公明党の票)から切り崩しをしようと画策しているのではないでしょうか。
つまり、自民党を孤立させて下野させる…小沢一郎の狙いは中国共産党の狙いでもあります。
「れいわ新選組」結党も、結局は小沢一郎の入れ知恵なんだろうと察します。
しかし、「野党共闘」を組む上で「宗教」を拒絶している「共産党」が受け入れるかどうかですが。
まあ、「創価学会」は中国共産党と昵懇の仲ですので、日本共産党はOKするでしょうが。
そもそも、かつては日本共産党は小沢一郎の“カネ”を厳しく追及していたんですよ。
それが今では、切っても切れないほどの仲になっているわけです。
これも、中国共産党の指示があったのではないかと推測しています。
そう考えると、健全な野党は「維新の会」しかないようにも思いますが、これは有権者の考え方次第ですので、どうなることやら…ですね。
みなさま、くれぐれも小沢一郎の誘惑に騙されませんように…
>95年12月、党首選の結果、小沢氏が新進党党首に指名された。
突然の解党宣言
ところがその頃から、小沢氏との確執で、党員たちが櫛の歯が抜けるように離党していった。 彼の問答無用なやり方、会議に出ないこと、密室政治、人を呼び出す傲慢さ、反対派への報復人事などが原因だった。
思えば、小沢氏ほど側近の出入りが激しい政治家もいない。
彼から人が離れていくのは、どれだけつきあっても、実感や信頼感を得られないからだ。
「この人は計算ずくなのでは」という不安が、常につきまとってしまう。
つまり小沢氏は、誰にとっても心の通い路を作れない相手なのだ。
しかし、日本共産党はそんな「壊し屋:闇将軍」とはすご~く「心」が通じているんですよね。
>97年末。小沢氏が党首第二期目に入り、さぁこれからという局面で、またしても“唐突に”新進党の解党を宣言した。
この時、彼はいつもの純血主義で、新進党の中に旧公明党員がいると、どうのこうのと言い出して、それで結局、公明党出身勢力が離党して行った。
なぜ、あのタイミングであえて旧公明系にくさびを入れたのか、未だに私は理解に苦しむ。
(中略)
幹事長辞任に次いで二度目の逃亡。あれには私も、「お前、またか。おかしな奴だな」としか言いようがなかった…。
小沢一郎にはほとほと疲れた
新進党解党後、私は、自分を厳しく問い質す意味から無所属で活動した。各党から誘いはあったが、まず無になり出直したかった。
そんなある日、永田町の事務所に戻ると、小沢一郎が廊下に立って待っていた。小沢党首の自由党が、自民党と「自自連立」に合意した1998(平成10)年晩秋のことだ。アポも取らず、しけた顔をして、秘書もなくひとりきりで。
「どうした?」
と私が問うと、小沢氏は、
「もう一度ご指導願えませんか。いつでもかたくなに無所属とおっしゃらず、どうか力を貸してください」
と、実に謙虚に頭を下げた。
(中略)
私は、小沢氏の提案、つまり自由党の最高顧問を引き受けることにした。
ところが、連立に参加して一年もたつと(2000年)、またまた小沢氏が連立離脱を言い始めた。政権が安定してきたので、存在感がなくなると考えたのだろう。
(中略)
小沢自由党は連立政権から離れ、私は彼と袂を分かち、衆参26名から成る保守党(党首・扇千景、最高顧問・海部俊樹)を結成。
自民党、公明党とともに連立与党の一端を担った(2000年4月)。
連立離脱を巡る小沢氏との党首会談直後に小渕恵三総理が倒れて帰らぬ人となったため、周囲は「小沢が殺した」と物騒なことをささやいたが、なにはともあれ、これが私と彼の最後となった。
あの「壊し屋」に関わるとほとほと疲れる—三度、小沢一郎と交えた私の率直な感想だ。
人の陣地に手を入れて、誘惑してその気にさせて、壊す。
あの性癖は、死ぬまで治らないのではないか。
業というか、あそこまでいくと、もう病いとしか言いようがない。
「人の陣地に手を入れて、誘惑してその気にさせて、壊す」
ところで、小沢一郎の「心臓病」はいつ治ったのでしょうか?
もしかして、臓器移植でもされたのでしょうか?
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