今日もお立ち寄り有難うございます。
snjpn.net 時事ニュース 2019.7.31
>記事によると、いわゆる「元徴用工」問題について、ジュネーブの国連欧州本部で「賃金の民族差別はなかった」と発表した韓国・落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究委員が、暴漢に襲われたのだ。
事件は29日午後に発生した。70代の男1人と30代とみられる男2人が、落星台経済研究所を訪れ、「売国奴野郎」「親日野郎」などと叫びながら、入り口のガラスドアを蹴った。男たちは、対応した李氏につばを吐いたりした。
李氏に国連での証言を依頼した「テキサス親父日本事務局」の藤木俊一事務局長は30日夜、李氏に電話で連絡を取り、事件の概要を確認した。 幸い李氏にけがはなく、「予想はしていたから大丈夫だ」と話した。
おかしなことに、事件当日に駆けつけた警察官は男たちを拘束することもなかったという。
以下略
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昔、「日帝時代は良かった」と口にした老人が殴り殺された事件がありましたが、その当時も韓国警察は殺人犯にたいして厳罰を与えなかったと記憶しています。
韓国では「歴史的事実」でも、「日本に有利」なことは「絶対に許されない」ようです。
もう12年前になるのですが、米国でも、日系米国人が「真実」を語っただけで韓国系米国人や在米韓国人に「嫌がらせ」を受けて「弾圧」されたことがあります。
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読売新聞 2007年2月17日
>終戦前後の混乱のなか、朝鮮半島から引き揚げた日本人少女の苦難を描いた自伝的小説が、米国で学校教材として使われることの是非をめぐり、議論を呼んでいる。
韓国系米国人らは「日本の植民地支配の歴史を歪曲している」として教材の使用禁止を要求。
「戦争の悲惨さをよく伝えている」との擁護論もあり、日韓の歴史問題が米国の教育現場に飛び火した形だ。
「どうして今、問題になるのかがわからない」
問題の小説「So FARFROM THE BAMBOO GROVE(竹林はるか遠く、邦訳は未出版 ※現在、邦訳出版されている)」の著者、ヨウコ・カワシマ・ワトキンスさん(73)(マサチューセッツ州在住)は納得がいかない表情で語る。
1945年夏。
朝鮮半島北部の羅南から、母と姉の3人で釜山へ過酷な逃避行が続く。
病人が行き倒れ、日本人女性が朝鮮人に暴行目的で連れ去られるのをあちこちで目撃した。
軍需工場に徴用中に生き別れになった兄は親切な朝鮮人家庭にかくまわれ、数年たって無事日本に帰還した。
小説はこうした実体験をもとに、当時11歳だった「ヨウコ」の目で、引き揚げ中の飢えと寒さ、死の恐怖を描き、戦争の悲惨さを訴えている。
(中略)
ワトキンスさんは各地の小学校で自らの体験を語り、平和の尊さを呼びかけている。
小説は98年、教師用のガイドブックで推薦図書に指定されるなど評価が高く、全米の中学校が11,12歳対象の読書教材として使うようになった。
しかし、2005年の韓国版の出版を経て、昨年秋から米東部を中心に韓国系米国人、在米韓国人の父母が「歴史的背景に説明がない」「描写が生々しすぎる」として教材使用の禁止を求める運動を開始。
ニューヨークでは最近1校で推薦図書リストから外れた。
マサチューセッツ州では他教材との併用を求める学区が出るなど波紋が広がっている。
「真実はいつか伝わる」と沈黙を守っていたワトキンスさんだが、韓国の一部のメディアが「ワトキンスさんの父親は戦犯だった」など、憶測に基づく誤った情報を流すに至り、15日、地元で記者会見を開いた。
「執筆時、朝鮮人の長年の苦難に考えが至らなかった。それが大きな怒りを招いてしまったと思う」。 そう謝ったうえで「歴史はプロの教師が教えるもの。私は自分が生き延びた体験と他人を傷つけないことを教えるために書いた。 学校訪問でも日本の行いを謝罪している」と理解を求めた。
韓国人記者から「なぜ従軍慰安婦の問題を取り上げないのか」といった質問が相次ぐなか、聴衆として参加した地元中学校のジョン・ドウリア校長はこう語った。
「政府の謝罪や問題と考えるべきことで彼女が攻撃されるのを見るのは悲しい。ヨウコは日韓の問題の象徴にされてしまった」
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その後も、韓国の新聞では「ヨウコの父親は731細菌部隊(※日本共産党の赤旗記者の情報から出た小説:森村誠一著『悪魔の飽食』から広まった。現在、中国共産党が対日訴訟を起こしている)にいた」などと、誤った情報(つまり嫌がらせ)を書き立てました。
大戦中は韓国人も「日本軍」として戦っていたわけなんですが、そうなると、自分たち韓国人も「戦犯」ということになりますが…そこはどう誤魔化すつもりなんでしょうか?
韓国人は「連合軍」とともに「日本軍と戦っていた」という嘘をついていないでしょうか?
本には「親切な朝鮮人」のことも書かれていたにもかかわらず、(米国籍になっても)韓国人たちは、「歴史的事実」を抹殺するのに躍起になっていました(現在も)。
「従軍慰安婦問題」は、小説を書いた本人(元日本共産党員・吉田清治)も「嘘です」と謝罪していますし、朝日新聞でさえも「誤報でした」と謝罪しています。
ただ、「韓国人」には、日本式の「とりあえず謝罪:外交辞令」は、かえって誤解を増長させてしまうように思います。
なので、「韓国人」には、絶対に謝ってはいけないと思うのです。
「ヨウコの自伝」が邦訳された時にすぐに予約購買をしました。
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【竹林はるか遠く】ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著
>私たちが京城に来て五週間経ったある日、好が深刻な事態を知らせた。
「私たちは京城を出なければいけない。朝鮮人の男たちが、藪の中へ女たちを引きずって行くのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ」
好は震えていた。
「女の人たちは金切り声を上げて日本語で助けを求めていたの。今からもう一度、私の髪を剃ってくれる?」
川で母は私たち二人の頭を剃った。それから好をもっと男の子らしく見せるため、武田医師が私の胸の傷を巻くために使ったガーゼで胸をきつく巻いた。秋風が身にしみるようになっていたので三人とも汚れた軍服を着た。
(中略)
「お便所に行きたい」
私は言った。
建物の端に6つの便所があったが、ドアもなく男女の区別もなかった。私たちの前にいた女性が戸惑いながらズボンとパンツを下ろしてしゃがんだ。私は彼女を見ないように目をそらし、母が来て女の人の前に立ってなるべく見えないようにしてあげた。彼女は出てきて戻っていった。
すると、突然、助けを求めて金切り声を上げた。振り返ると、列の終わりで朝鮮人の男、4人が彼女を捕まえていた。 だが、自分たちも危ないので、私も母も何もできなかった。
(中略)
それ以来、私たちは男の子のように立小便をした。それは悲惨なものだった。小便で下着もズボンも濡れてしまった。しかし、身の安全には代えられなかった。
その日は悪夢のようだった。独立を祝いながら、酔った朝鮮人たちが私たちの周りに来た。一人が前後にふらつきながら好に執拗に迫った。
「お前は男か女か?」
「男だ」と好は答えた。
「女の声のようだ。触らせろ」
「触ってみろ」好は言い返した。
私は、どんなに、誰か助けに来てくれないか、と祈っただろう。
しかし、他の人々は朝鮮人をこれ以上怒らせると、倉庫ごと中にいる日本人を焼き払うかもしれないと恐れていたので、誰もそういった若い女性を助けようとはしなかった。
酔った朝鮮人は大きな手を好の胸に当てた。
「平だ」彼は言った。
「男には興味がない」
男たちの集団は去ったが、彼らは悦楽を求めて人々の間をよろよろ歩き、そして娘たちを見つける度に外へ引きずり出した。
たびたび女たちの悲鳴が響いた。
(中略)
小さな小川で水を飲もうと立ち止まったとき、私は泣き叫ぶ声を聞いた。草むらの中で女性の上に乗った朝鮮人がいた。 彼女は思いっきり男を蹴飛ばしながら、金切り声上げていた。 私の膝が震え始めた。 両手で頭上のリュックサックを支えながら、出来るだけ速くその場を離れ、母と好の元へ急いだ。
「これ以上ここにいることは出来ないわ」
私が見たものを話し終えると、母はそう決断した。
「私たちは日本へ帰らなくちゃ」
しかし、母の目は涙でいっぱいだった。
「でも淑世が……。淑世は朝鮮で一人ぼっちになってしまうわ」
(中略)
「火はまだ暖かいぞ」という声がした。
「暗闇だ!避難民はそう遠くに行ってはいまい」
足音はだんだん近づいてきた。明るい懐中電灯に淑世は目が眩んだ。山を見張っている共産軍兵だと思った。何人いるんだろうか。静かにポケットからジャックナイフを取り出した。
(中略)
すると突然、歩いていた人々の向こう側から機関銃の銃撃が始まった。淑世は一瞬動けなくなった。それから今降りたばかりの崖を駆け上がり、発砲した方に向かった。
人々は罠にはまったのだ。
「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
悔しさの余り、淑世は思わず声を上げた。
(中略)
下に見える路線がざわめいていた。人々が撃たれたところの上まで来たようだったが、崖を下りて見る勇気はなかった。
「みんな死んだ!」朝鮮語を話している声が上まで届いた。
「所持品を調べろ。貴重品は全部取れ」と違う声がした。
「裸にしろ。金歯をしていたら、歯を引き抜け」
淑世は恐ろしさで震えていたが、ただじっと待っていた。
「全員、裸にしたぞ」と叫ぶ声がした。
(中略)
思った通り、彼らは共産主義の兵隊たちで4人で略奪品で一杯になっ袋を背負って崖を登ってきた。彼らはここに隠れて路線伝いの引揚者を見張っているに違いない、と淑世は思った。
「分捕った物を分けよう」
淑世はその声に聞き覚えがあった。昨夜のあの声である。
「今はダメだ。俺の家で集まって分けよう」
背の低い兵隊がリーダーのようだった。
「お前は欲しい物を一人占めして、また俺たちに屑を渡すんだろう」と話す低い声が聞こえた。
「そうだ」ともう一人も加勢した。
「黙って、俺の言うようにしろ」
「だめだ。今、宝を分けろ、さもなくば俺はお前のことを暴露してやるぞ」
突然、背の低い兵隊の機関銃が火を噴き、銃撃音が山中に響いた。煙は淑世が座っていたところまで上がってきた。
「さあ、お前たちも死にたいか、それとも俺の言う通りにするか」と男は言い、彼がたった今殺した男を冷たく見下ろし、立ち去った。
(中略)
雪は吹雪に変わった。靴底はボロボロになり、朝鮮服は凍り、そして淑世は疲れ切っていた。一寸先も見えなかった。大きな木の根元に座り込んだ。とても眠りたかった。それでも、眠らないようにと頭を振った。
僕はまだここで死ぬ訳にはいかない、と思った。しかし何も食べずあとどれくらい歩くことが出来るだろうか。
涙が流れ、あかぎれの顔にひりひりと染みた。手はひび割れ出血していた。まつげは凍りかけていて、何度も瞬きをした。
淑世はもう一度歩くことを決めた。 全身の力を振り絞って立ち上がった。
以下略
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小説の中の全ての文章を引用したいところですが、とりあえず、朝鮮人(特に共産党軍)の行動部分を引用させていただきました。
朝鮮人にかぎらず、「共産党軍」というのは、元が「匪賊」だったり「馬賊」だったり、「囚人」ですので、「人質」「椋奪」「レイプ」「虐殺」は、当たり前の行為だったわけです。
「韓国」が「歴史の捏造」をしている限り、韓国人はますます日本人から嫌われ、世界からも嫌われて孤立していくのではないでしょうか。
参考記事:二日市保養所 慟哭の戦争レイプ - NAVER まとめ
「淑世が全身の力を振り絞って立ち上がった」部分を強調させたのは…
淑世のような日本人が「それでも生きた!」証しであって、当時の先人たちが今の日本を築いてくれた感謝の気持ちを込めました。
PS:韓国では、テレビ局が「真実を語る者」を陥れる報道をしています。
Kこく地上波テレビが僕を勝手に放送(WWUK TV) - YouTube
【ご報告】言いたい事も言えないこんな世の中じゃPOISON - YouTube
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李氏朝鮮時代から、「真の改革派」は弾圧を受け、殺害されました。
このような理不尽なことが続く限り、韓国から「まともな人間」は居なくなることでしょう。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
誤字・脱字がございましたらご容赦くださいませ。
リンクフリーの記事です。皆様のお役に立ちましたら幸いです。