韓国の英雄「独立軍」の不都合な真実②

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

【韓国の英雄「独立軍」の不都合な真実①】の続きです。

 

朝鮮紀行 英婦人の見た李氏朝鮮イザベラ・バード

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>わたしは朝鮮北部から満州北部を縦断するつもりでいた。ところが必ずどこかで紛争が起きている。移住者の大部分は受刑者か逃亡した罪人、軍の脱走兵、砂金採りや人参掘りである。こういった前途有望とはほど遠い移住者の行状には、コミカルなものすら感じられる。

 

 そのなかに馬賊の大組織がある。馬賊は統制がとれていて武装しており、官軍との衝突も辞さず、また勝つことが多い。ときには、わたしが奉天にいた当時のように、官軍の要塞を奪ってしまうことすらある。 太平天国の乱で官軍兵士が満州から出払っていたとき、こういった馬賊はいたるところに混乱と恐怖を引きおこし、町や村を襲っては、征服権(!)によりその町や村を支配したものである。

近年、政府は志願入植者を北部地方に定住させることを決め、物資援助まで行っている。

 それでもなお状況は悪く、馬賊は必要悪と見なされるようになり、「協定が結ばれて」いる。

 

 馬賊は平気で人命を奪い、南部から来た裕福な商人を捕まえると、その商人のギルドに使者を送って身代金を要求する。そして支払いを延ばすようなら人質の首をはねてしまうぞと脅すのである。冬季、泥土の固く凍ったときのみが陸路で物資輸送のできる時期で、牛荘、奉天などの南部からラバが引いて出発する、百台もしくはそれ以上の荷車の長い列が見られることがある。荷車はそれぞれ小旗を掲げているが、これはすなわち、馬賊の首領の仲介人にしかるべき貢を渡しており、輸送中の略奪は行われないというしるしなのである!

 

 のちにわたしがシベリア・満州の国境を訪ねたとき、馬賊はたいへんな勢力を持っており、なかば飢えた清国軍の脱走兵がそれに加わってあたり一帯を荒らすので、恐怖におびえた農民は農地を放棄して逃げだしていた。

 

 満州馬賊には、その悪行の度合いが農産物の豊凶や川の氾濫などに応じて上下するという奇妙な特徴がある。 つまり、ふだんはまじめな農夫が洪水や凶作の襲われると馬賊に加わり、つぎの季節にはもとの勤勉な農夫にもどる(!)というわけである。

 

 

親日派のための弁明②】金完燮著 

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>3・証言

 1920年代から1930年代にかけて臨時政府の重要人物であった金九は、満州地域独立軍の実態について、次のように書いている。

 

 

 

 ……私たち韓人(朝鮮人)は中国境内に居住したが、最初はどの家でも毎年独立運動機関である正義府や新民府に真心こめてせっせと税金を払った。

 しかし、このような純朴な同胞たちも、私たち武装隊伍の度外れな威力と侵奪を受けるようになると、次第に反発心が生じるようになった。 独立軍が自分の家や町に到達すると、秘密裏に倭奴(ウェノム※日本人)に告発する悪風まで生じた。

 また、独立運動家までも次第に倭(ウェ)に投降する風習が生じ、東北三省の運動根拠は自然と脆弱にならざるをえなかった。

 そのうち、倭奴の保護下に満州国が誕生し、満州は「第二の朝鮮」となっしまった。

これはどれほど心の痛むことだろうか。(『白凡逸志』1947年)

 

 

 

 朝鮮人がかつては「独立運動機関」に自発的に税金を払った部分は実に信じられないが、いずれにせよ当時、朝鮮人の間に、独立軍が現れれば日本軍に告発する「風習」があったことは、金九自身も認めている。

 そのうえ、最大限に婉曲した表現で「武装隊伍の度外れな威力と侵奪」と書いたが、前で引用した新聞記事をみれば、これが具体的にどのような行為であったかは容易に推測できる。

 

 独立軍は満州地域の同胞を武器で脅して財産を略奪し、殺人や放火、拉致、強姦などの犯罪を恣行し、それだけでは飽き足らず、随時国境を越えて入り込んでは同胞の財産を強奪していったのである

以下略

 

【中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実】

フレデリック・ヴィンセント・ウイリアムズ著

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>海の向こうで陰険なプロパガンダが広まっていることに日本ははと気づいた。しかし一つだけ日本を飢えから救う市場があった。 それは中国の北部である。そこには7千万の人々が住んでいた。 彼らは日本が与えられるものを必要としており、また日本に必要な天然資源を持っていた。

交換できるのだ。

少なくともヨーロッパの嫉妬深い貿易上のライバルたちは日本を避けるのであれば、日本はアジアのすぐ隣とビジネスを始める権利と機会を持っていると思ったのだ。

 

 日本は中国の大衆が一般的に持っている怠情や欠点をよく知っていた。中国軍閥の信義のなさや貪欲もよく知っていた。 

しかし日本はその軍閥とその傭兵匪賊集団を満州から放逐してしまった

そして、そこを北支人が嫉妬するほどの国に変えてしまった。

数千万に上る彼らが毎年満州国の国境を越えようとやってきた。

そこで彼らは高賃金で働けた。暮らしよさと治安の安定は較ぶべくもなかったのだ。

以前の満州満州国となった。

 

 3千万の人口に、椋奪と殺戮をこととする約30万の匪賊が横行していた。その軍閥は“張学良”とその部下たちによって支配されていた。今ではその張学良の軍閥も消えた。

新しい帝国では匪賊たちが3万以下に減り、学校ができ、工場ができ、鉄道、幹線道路、ビルディングが見られる。

零落した村、見捨てられた土地、耕作放棄地はなくなった。

 

 日本は思った。もし3年以内に満州の混乱を整理し、秩序をもたらすことができたなら、少なくとも北支にある強力でまともな政府との間になにかビジネスが始められるだろうと。

 日本は蒋介石に大きな期待をかけていた。しかし真実の蒋介石はずうっと軍閥であったということだ。

(中略)

 軍閥というのはかつて匪賊だった者が兵隊になったものだ。彼らは私兵を引き連れて、次々に将軍となっていった。軍閥は最下層の苦力から貢物を強要した。私兵集団は大衆を犠牲にして維持されていたのだ。

(中略)

 蒋介石と彼の軍隊は外国人を嫌っていた。そしてその軍隊は行く先々で虐殺や強姦を行うことで外国人に知られていた。 他にもあるそうした犯罪は、蒋や彼の近年の西洋の同盟国によって注意深く隠蔽されてきたのだ

 

 しかしながら盧溝橋事件やその後の宣戦布告なき戦争に先んじて、その背後で何が起こっていたかを知っておくことは有意義である。

以下略

 

神戸大学新聞文庫

満州日日新聞 昭和11年

【匪賊を庇護支援し治安攪乱を図る】

共産党鮮人部長の逮捕でソ連側の背信暴露】

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>去月28日三江省饒河県警務局で逮捕した同県共産党鮮人部長王可文の取調べにより、計らずも左の如きソ連側の不法背信行為が判明したが、右は満州国が屡次にわたって抗議したるにも拘らず、依然ソ連側が満州国に蟠居する匪賊を庇護支援し、国内の治安を攪乱せんとする最も非友誼的な不信行為であるので、去る21日綏芬河外交部弁事処長陳道氏は駐綏芬河ソ連領事ガルブツオーフ氏に対し、厳重抗議するとともにこの種不信行為の即時停止、将来の保障、責任者の処罰を要求した。

 

一、本年1月七里星に不時着のソ連飛行機、飛行士を李学万および海勝匪の部下4名ならびに魯従とその部下2名、計8名にて饒河対岸ヴァシリエフスカヤに護送せしめこれが返礼として大型拳銃爆薬800、毛皮他外套4、防寒靴4、馬1を受領帰来

 

一、康徳2年3月ビキンで小銃4600発の供給を受く。 同11月に饒河対岸ツァシリエフスカヤで食塩200ブードの供給を受く

 

一、同年9月日満部隊の匪賊討伐戦闘の際、負傷せる李学万匪を対岸ビキン病院に収容加療せしむ

 

一、その他屡々匪賊をソ連共産学校に入校せしめたり

 

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以上のことは、「抗日パルチザン - Wikipedia」にも詳細に書かれています。

韓国の英雄「独立軍=大韓民国臨時政府」は、実は「馬賊、匪賊」であったこと(中国共産党、国民党も同様)。

 

アメリカ人の書いた本で「蒋介石:国民党軍」も、実は「匪賊」だったことを知り、驚きました。

南京大虐殺」なるものも、実は「国民党軍」がしたことが分かりました。

この『中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実』は、すべての日本人に読んでもらいたいと思うような内容でした。

 

そして、その馬賊、匪賊集団を裏で操っていたのが「ソ連」だったということが、戦前の新聞でも分かります。

蒋介石」も「中国共産党」も「日本共産党」も「馬賊、匪賊(大韓民国臨時政府)」も、み~んなソ連の手下だったわけですね。

 

日本軍は、実は「レッドチーム(馬賊、匪賊)」と戦っていたんですね!

 

それにしても…「韓国の英雄」って、世界的にみて…常識的に考えても「えーっ!」と思うような人物ばかりですよね。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字・脱字がございましたらご容赦くださいませ。