怪しげな「村山談話」が、中韓の「恐喝外交」を促進させた

今日もお立ち寄り有難う ございます。

 

今日も「従軍慰安婦」というデマ(嘘)を流した変態たち - 姥桜

の続きの記事になります。

 

 

韓国の「反日」は政治が作り出した感情(JBpress) - Yahoo!ニュース

 >それまで慰安婦は国会で取り上げられたこともあるが、政府は「慰安婦は民間業者が連れて歩いていただけで政府は関与していない」と答弁していた。ところが軍が関与している証拠が見つかったため、記事の出た直後に韓国を訪問した宮沢喜一首相は謝罪に追い込まれた。

 

 このとき彼が謝罪したのは関与であって強制連行ではなかったが、朝日新聞記事に「従軍慰安婦」の説明として「挺身隊の名で強制連行した」という誤った解説がついていたため、慰安婦と強制連行が混同された。

 

 それを受けて1992年7月、加藤紘一官房長官が政府の関与を認める談話を発表し、これでいったん決着したように見えたが、韓国が「強制を認めろ」と要求したので、日本政府は1993年8月に河野洋平官房長官の談話を出した。

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加藤紘一」は元朝日新聞記者で、「チャイナスクール」と言われている人物です。

河野洋平も「紅の傭兵」と揶揄されるように、「中国共産党の言いなり」の人物です。

朝日新聞」は、「戦前は『プラウダ』、戦後は『人民日報』」と揶揄される、「国際共産主義コミンテルン)の機関紙」のようなものです。

 

従軍慰安婦問題」は、韓国発祥ではなく、「日本の変態左翼」が作り出したもので、そのバックには「中国共産党」が大きく係わっていたということでしょうね。

 

 これは強制連行を認めたわけではなく、日本政府は日韓請求協定の立場を維持していたが、その後の村山内閣でアジア女性基金を設立した。これに対して自民党から批判が出たので、1995年に村山首相は国会で「(韓国併合条約は)法的に有効に締結され、実施された」という政府の方針を確認した。

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アジア女性基金

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赤い四角で囲っているのは、「村山富市/和田春樹 編」と書いてある部分です。

「和田春樹」といえば、「韓国は敵なのか」というような不思議な署名運動を展開している人物です。 韓国からは「進歩的知識人」「良心的日本人」と言われて、よく韓国紙に出てくる人物ですね。

 

しかし、この人物がなぜ村山富市元首相と組んで「アジア女性基金」を作ったのか不明です。 

「和田春樹 Wikipedeia 」で調べると、和田氏は「親北派」ということが分かりました。

つまり「従軍慰安婦問題」も「中国共産党+北朝鮮」の謀略だったということなのかな?

 

慰安婦」の写真が「人民網」に出てくる写真と同じで、「河野談話」を拠りどころとした「従軍慰安婦」であるような印象が強いです。

河野談話」が「日本軍が従軍慰安婦を強制連行した」という“証明”だということなんでしょうか?

 

上記では「従軍慰安婦」に関わった人物は「親中派中国共産党のエージェント」であると説明させていただきましたが、それでは「村山富市」は「親中派」だったのか?と気になりますね。

 

実は、「村山富市 人民網」と検索したら…ザクザクとヒットして出てくるんですよ。

そして村山談話」が出た背景に…中国共産党が関与していることが分かります。

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人民網 2002年9月30日

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1995年5月3日、村山富市首相は中国人民抗日戦争記念館を見学した後、「正視歴史、祈日中友好、永久和平」(歴史を正視し、日中友好と永遠の平和を祈る)と記した。

帰国後の8月15日、村山首相は戦後50年に関する有名な談話を発表した。

 

人民網日本語版」2002年9月30日

 

もう人民網が「答え」を出してくれていますね。

「村山氏が中国訪問してから『村山談話』を発表した」

ということを…。

 

ちょうど、「従軍慰安婦問題」が問題視された時期(1995年)と「村山談話」が発表された時期が重なっていますね。

 

それでは、「村山談話」が発表された時のことを紹介したいと思います。

何年前だったか忘れてしまったのですが、たまたま本屋さんで、なにかの「月刊誌」を買って読んでみたら、「村山談話」と「従軍慰安婦アジア女性基金」のことが書いてありました。

かなり昔のことで、もう、その資料となるものは無いと思っていたのですが、「西村慎吾」氏のブログにありました!

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不可解な、村山談話の朗読 | 西村眞悟の時事通信 | 西村眞悟事務所

>この村山談話は、戦後五〇年の国会謝罪決議の後に、突如発表されたものである。

それまでの歴代内閣は、歴史に対する評価は後世に任せる、総理大臣が、良かったとか悪かったとか公表する問題ではない、との態度であった。

 そのなかで、村山富市総理大臣が、我が国の歴史は悪かったので反省して謝罪するとの談話を発表したのである。

(中略)

 一九九五年、平成七年、内閣は自社連立の社会党内閣であった社会党は、先の細川内閣で与党となり大臣病患者が大量に発生する。 そして、その病状につけ込まれて自民党との連立に走り、自民党は与党に返り咲くのである。

(中略)

 そのような緊迫した状況になった金曜日の夕刻、今でも不可解であるが、新進党議員に対して、党国会対策幹部から、

「本日は本会議が開会されないので、各自選挙区へお戻りください」という伝達があった(この幹部は、現在の自公連立の一員である)。

よって、私どもは、新幹線や飛行機で帰省し始めた。

 

 すると、謝罪決議阻止派が東京からいなくなったのを見届けてから、土井たか子衆議院議長は、午後七時前に本会議のベルを押した。

 その結果、本会議は大量の欠席者があったものの、強引に開会され、出席者の全会一致で謝罪決議は衆議院で採決されたのである。

 

 本会議開会のベルが押されたとの連絡を受けたとき、私は新幹線で浜松付近を走行していた。 そして、名古屋で列車を降りて乗り換えてまた東京に引き返した。

 しかし、とっぷりと暮れた国会は、ライトアップされているだけで、もぬけの殻であった。

「ちくしょう、だましやがったなー」と地団駄を踏んで国会を見上げた。

その直後、私は、

「夜陰に乗じて、衆議院決議を窃取した卑劣な輩」と社会党内閣を非難する報告書を同志に送った。

以下略

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これです!この文章です!

村山富市」「土井たか子」以外にも、中国共産党と結託していた輩が居たということです。

 

それにしても、これは酷いと思いませんか。

社会党は国民を騙したということです!

よくも、こんな騙し討ちが出来るもんだと思います!

 

さて、皆さんは「村山富市」をどのように見ていますか?

メディアの宣伝報道を見ていると「清貧で、庶民派」のイメージが湧きませんか?

実はこの爺さん…とんでもない人物なんですよ。

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【政治とカネ 海部俊樹回顧録海部俊樹

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>すると自民党は、あろうことか、昨日まで敵だった社会党との連立与党を画策し、その上、衆議院の首相(首班)指名で、村山富市社会党委員長に投票することを決定してしまう。

 

 私は「夢なら覚めよ!」の心境だった。自民党が、社会党政権の馬脚になってどうするというのか。 思想も信条も、まるで水と油ではないか。

第一、村山富市氏は長い間国対委員長を務めていたが、約束は破る、八百長はする、本会議はめちゃくちゃにする、といった許し難い人物だった。

 

 私は、河野洋平総裁に、

衆議院第一党は自民党なのだから、君が得意の正論を説いて、まずは政権を担当し、選挙の審判を受けると国民に訴えるべきだ。それが、議会政治の王道というものだ」

 と、懸命に説得したが叶わなかった。

 

 党の最高顧問には私の外に中曽根氏、宮澤氏、竹下氏がいて、中曽根氏は連立反対派。宮澤氏は、倒閣後で茫然自失。

竹下氏は乗り気で、目前に控えたサミットを苦にする村山氏に、「台本はこちらで書くから」と、早速得意の段取りを算段し始めた。

(中略)

 私は暗澹たる思いで、自民党から離党することを決意した。

以下略

          ⇑

メディアの宣伝とは大違いですよね!

メディアも、中国共産党の力が働いているということでしょう。

 

もともと、「村山富市」という人物は「信用に値しない」人物だということだったんです。

そもそも、「河野洋平」も「竹下登」も、中国共産党のエージェントですから、「村山(ゴロツキ)担ぎ」は中国共産党の要請があったのではと思います。

 

参考記事:やはり、村上春樹は中国の宣伝利用に使われている - 姥桜

 

 

韓国では、韓国マスメディアが「北朝鮮」のプロパガンダを垂れ流して洗脳されてしまっていますが、日本でもマスメディアが「中国共産党北朝鮮」のプロパガンダ垂れ流しなので、両国民は「茹でガエル」のようになってしまっています。

「茹でガエル」とは、最初は水の中で心地よく、段々温まり、感覚が鈍ってしまい、「熱い!」と気がつく前に…「死」んでいたということですね。

 

こうして出来上がった「村山談話」の継承が、徐々に…真綿で首を絞められるように日本人が苦しむ結果となっています。

 

まだまだ、「恐喝国家」の「恫喝外交」は続くものと思われます。

なぜなら、戦前に「中国国民党の対日宣伝」が上手くいき、「第二次世界大戦」に日本を引き摺り出して日本を叩き潰した成功例がありますので、彼らは絶対にあきらめることはしません。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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