コミンテルン日本支部・志位氏が墓穴を掘る

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毎日新聞2019.10.4 

共産・志位氏「厚顔無恥な世界史の歪曲」 首相の所信表明演説に(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

共産党志位和夫委員長は4日の記者会見で、戦前の日本による提案が国際人権規約につながったとした安倍晋三首相の所信表明演説について「これほど厚顔無恥な世界史の歪曲(わいきょく)はない。歴史への無反省が表れた」と批判した。

 

 首相は演説で、日本が1919年の第一次世界大戦に関するパリ講和会議で「人権平等」を提案したことに言及。「欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は強い反対にさらされた」と紹介した後、「日本の大いなる理想は国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則になった」と続けた。

 

 志位氏は「国際人権の基本理念は『民族自決権』だ。それを踏みにじって(朝鮮半島の)植民地支配をしていたのが戦前の日本だ」と指摘。「(首相の)歴史への無知と無反省が表れた。こういう姿勢だから日韓問題もより悪くなる」とこき下ろした。

 

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パリ講和会議で米国大統領のウィルソンが提唱しましたが、これは欧州向けのものです。

しかも、その後もイギリスやフランス、オランダ、ポルトガルアメリカも植民地支配を続けています。

実際、「有色人種」はサル扱いをしています。

因みに「黄色人種」は「黄色いサル」と言われていました。

 

同じ黄色人種でも「中国人」と「韓国人」だけはその事実を理解できません。

なぜなら、「バカ」だから…というか「中華思想」なので、どんなに外国からバカにされても、「中国は偉大」「韓国は偉大」という変な自己満足というか優越感をもっていますので。

ある意味、幸せですね。

 

実際に欧米の「植民地支配」が終わるのは、第二次世界大戦が終わった後のことです。

日本が「アジアの解放」のために戦った事実は間違いありません。

 

 

さて、コミンテルン日本支部の志位氏は「日韓併合」が不当だったと言いたいわけですね。

 

実際はどうだったのでしょうか?

【悲しい歴史の韓国人】宮脇淳子

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日韓併合条約はきちんとした手続きを踏んで締結された

 1910年8月29日、韓国皇帝は詔勅を出して首相に全権を委任してから「日韓併合に関する条約」を締結して日韓併合となります。

 ところが、韓国はいまになって、これは日本から強要されて結ばされた条約なので有効ではないと主張しています。

 

 日韓併合条約はきちんとした手続きを踏んで締結されていて、書類もすべて残されています。

1907年に高宗を継いだ純宗が腹心の部下に丸投げしたという事情はあったとしても、国家間で条約を結んだ以上、締結国は条約を遵守する義務があります

いまごろになって銃で脅されたなどと言っても通りません。

以下略

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驚きですね!

「国家間の約束」を難癖付けて破る!

もう開いた口が塞がりませんね!

日本は何度も「約束破り」をされております。

韓国は絶対に信用してはいけません!

「息を吐くように嘘をつく」のが、韓国なんですよ!

 

「銃で脅された」…これってコミンテルン日本支部の志位氏が「民団」でそのようなことを演説していましたよね。

韓国民団 光復節中央記念式/志位委員長のあいさつ(全文)

 

コミンテルン日本支部と韓国は「口裏合わせ」をしているのでしょうか?

 

朝鮮半島の場合は「植民地支配」ではなく「併合」ですし、「強制」でも「武力侵略」でもないので、何の問題もないということです。

そして「人権」についても何の問題もありません。

朝鮮人にも教育を受けさし、朝鮮人にも仕事を与え給与を与え、文明的で平等の権利を与えていたのですから。

 

実際にコミンテルン日本支部の党員の約半数は在日朝鮮人であり、帝大卒の者もいました。

しかし、醜い「差別」をしたのが、「コミンテルン日本支部日本共産党)の日本人党員自身」だったことは明らかになっています。

かけはし重要記事

 

参考記事:「血のメーデー事件」1952年5月1日 - 姥桜

 

 

さて『民族自決権』をもとに朝鮮半島内では『三・一運動』が始まったわけですが、

この『三・一運動』は「コミンテルン」が扇動したものだったんですよ。

 

>3月にモスクワで世界同時革命を目指すコミンテルンができて、5月4日に北京大学の学生が反政府運動反日運動を開始したわけです。

これはコミンテルンの工作がいかにうまくいったかという証拠です。

 

 中国の五・四運動は、ソ連共産党が支援したと私は考えていたのですが、当時はまだソ連邦も成立しておらず、シベリアでは反共産主義者との間に内戦があって、とても国外に目を向ける余裕はなかった。

ソ連邦が成立したのは1922年なのです。 資金はアメリカの労働組合が出したのだと最近知りました。

 

 朝鮮半島における三・一運動にしても、結局はコミンテルンおよび共産主義に影響されたもので、民衆が自発的に植民地支配に対して立ち上がったというものではなかったというのが真相です。

    

この本の内容を裏づけるような当時の新聞記事があります。

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神戸大学新聞文庫 大阪毎日新聞 大正8年(1919年)4月6日

過激思想の悪潮を日本に持ちこまんとする露国、上海の在外鮮人

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>3月31日より4月2日に至る5日間騒擾の著しき箇所100余箇所に上れり、乃ち暴民の多数派棍棒、鎌、斧、剃刀等の兇器を携え、或は警察官舎に殺到し、慶北義州地方の如きは憲兵駐在所に3000の暴民押寄せ庁舎を破壊し、忠清南道平川に於いても約600の暴民憲兵駐在所を襲い器物を破壊し、郵便所事務所を襲い電線を切断し、京幾道安城群警察駐在所にも約2000の暴民来襲放火してこれを全焼せしめ、郵便所事務所を破壊し、電柱を焼き其他内地人の家屋を破壊し、或いは橋梁を焼くが如き狂暴各所に続出する状況なり。

 

 而も交通の不便と応援困難の為僻地の駐在所には憲兵1名、補助員3名位にて数千の暴徒の襲撃に対抗し弾薬尽きて退却の已むきに至りたるものあり。

斯くの如き騒擾の激甚は在外鮮人就中露領在住の帰化鮮人、間島在住鮮人及び上海に根拠を有する鮮人等、種々画策援助する由るものにて、これらは朝鮮内地に入りて密に過激思想を吹こみ、先ず朝鮮内地の秩序を破壊し、次いで日本内地にもこれを波及せしめんとするものの如しと東京電話

 

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※「過激派」=「共産主義

 

コミンテルンは「朝鮮人」を洗脳し、日本人をも洗脳させようと計画していたということですね。

そうなると、「コミンテルン」自身が『民族自決権』を侵害しているということですよね。

朝鮮民族」や「大和民族」の内部を破壊させて、「共産主義思想」に洗脳させるのですから、『民族自決」になりませんよね。

 

このような卑怯なコミンテルンの手先として、日本国を破壊させようとしていたのが「日本共産党」なんですよ。

どの口で安倍首相を批判しているのでしょうか。

歴史の真実を歪曲しているのは志位氏です!

厚顔無恥な世界史の歪曲」をしているのは、志位和夫です!

 

それにしても、当時の朝鮮人の暴動は野蛮ですね。

現在の韓国のデモの原型なんですね。

 

日本共産党コミンテルンの手先だった証拠が残っています。

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神戸大学新聞文庫 東京朝日新聞 昭和9年6月22日

毎月定額の出資

機関紙編輯をも指揮

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>その事務的連絡のためソヴエト大使館にしばしば出入りしていたが、加藤は昭和6年11月、日本共産党の正式党員として入党。

 

友の会の党細胞となる外各種の左翼文化団体内部の党勢拡大の任務を帯びて活躍していたので、その間に彼はソヴエト大使館のガルコウイッチ参事官より、友の会機関紙の購読料あるいは広告料の名目で毎月定額の金の提供をうける一方、機関紙の編輯方針等についてもガルコウイッチ氏の指導を受けていたことを自供、更にガルコウイッチ氏らと友の会の席上においても、共産党員として運動関係が日本官憲の眼に触れるが如き人物は、かかる会合の席には遠慮してもらいたい…

以下略

 

ソ連から「資金」をあてがわれ、「指導」も受けていたということは…

つ・ま・り…日本共産党コミンテルンの飼い犬だったということではないですか。

因みに、ソ連の資金が途絶えた時に日本共産党は「銀行強盗」をはたらきました。

非常時共産党 - Wikipedia

赤色ギャング事件 - Wikipedia

 

志位さんが語れば語るほど「墓穴を掘る」ことになりませんか。

 

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