今日もお立ち寄り有難うございます。
昨日、「SARS」の時の中国政府の対応のYouTubeを見つけました。
まだ生きている患者を集めて“焼却処分”して終息をはかったそうです!
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この動画を観ていて思い出したことがあります。
中国政府は、犠牲者もろごと列車をそのまま畑に埋めてしまいました。
ところが、一人の作業員が埋められた列車から女の子の声を聞き、2歳になる女の子を救出したのです。
西側諸国でしたら、遺体を遺族に渡して列車を空っぽにして、原因究明のために車輛基地に戻しますよね。
こういうところが、杜撰を通り越して「人権」「人としての情け」「人命」のない中国という国の姿を現していますね。
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「毛沢東の大躍進政策」の失敗で死者が約3767万人にも上ったと言われています。
【マオ 誰も知らなかった毛沢東 下】
ユン・チアン&ジョン・ハリディ著
>これは20世紀最悪の飢饉、人類史上最悪の飢饉だった。毛沢東は計算ずくで何千万という人々を餓死や過労死へ追いやったのである。
(中略)
―毛沢東が死は祝うべきことだと言ったからである。
毛沢東は大量死に実用的な利点まで見出した。1958年12月9日、毛沢東は最高幹部に対して、「死はけっこうなことだ。土地が肥える」と発言している。
この理屈に従って、農民は死人を埋葬した上に作物を植えるよう命じられた。これは農民に大きな精神的苦痛をもたらした。 以下略
今回、急遽武漢に専門の病院を建設しているとのニュースが入ってきました。
不思議なのはわずか10日間で建設するそうです。
あまりにも工期が短すぎますね。プレハブなのでしょうか?
これって、もしかしたら…「SARS」の時のように「患者の焼却処分」をするためのカモフラージュではないでしょうね?
病院内に入って行った人は、二度と外へ帰って来れなくなる…
それで武漢の人たちが揃って「愛国歌」を歌い出したのかな?
まるで頭がどうかしたかのように…
「私達は中国政府の忠実な人民なので、焼却処分しないでください!」
と必死の抵抗なのかも…
ところで、今朝の産経新聞で「武漢」は「漢口地区」だったことを知りました。
なぜだか日本では学校でも教えていませんが、昭和の初期にはチャイナで「日本人狩り」というものがありまして、多くの日本人が虐殺されました。
1927年に「革命軍(現・中国共産党)」による邦人大虐殺「漢口事件」という恐ろしい事件があったところだったんですね。
参考記事:僭越ながら申し上げます。 - 姥桜
となると、武漢の地下には日本人の遺体が埋まっているということですよね。
合唱
今回、日本政府はとても粋な対応しています。
武漢にチャーター機を出した際に、日本からチャーター機に大量のマスクや防護服などを積んで行き、中国側に渡したそうです。
日本人らしさというか、こういう気配りが良いですね。
そこで、また思い出したことがあります。
【中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実】
フレデリック・ヴィンセント・ウィリアズム著
>■通州事件
私が住んでいた北支の150マイル以内のところに、200名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。20名はほんの子供のような少女だった。
家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉をつながれて、村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。
共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、ゆれる身体を銃弾で穴だらけにした。
日本人の友人であるかのように護衛者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。
それは1937年7月29日の明けがたから始まった。そして一日中続いた。
日本人の男、女、子供は野獣のような中国兵によって追いつめられていった。
家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもから襲い掛かられた。それから男たちとともにゆっくりと拷問にかけられた。
ひどいことには手足を切断され、かれ等の同国人が彼らを発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別も付かなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。何時間も女子共の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。
これは通州のことである。
(中略)
中国人たちは焼けたワイヤーを鼻から喉へと通し、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの「助けてくれ」との叫びを聞こえなくさせた。 目玉を抉り出し、自分の拷問を見られなくした。
(中略)
■日本にいる中国人は安全である。
こういう事件が起こっているときも、その後も、日本帝国に住む6万人の中国人は平和に生活していた。彼らの生命や財産は、日本人たちとの渾然一体となった友好的な社会関係の中で守られていた。
私は横浜のチャイナタウンを歩いたことがある。他の町でも遊んでいる中国人の子供を見つけた。危険や恐怖など何も知らない表情だった。
かたや中国では、かの国人が暴徒化して、日本人の子供を好きなように捕まえていたのである。
(中略)
通州で無辜の日本人たちを虐殺したまさしくその中国兵たちが、捕虜になったときは日本軍によって給養され、「罪を憎んで人を憎まず」のサムライ精神によって、「もうああいうことをしてはいけない。さあ行け」と説かれていたのである。
日本軍の将官は虐殺の罪を無知な兵隊に帰するのではなく、南京の軍閥やモスクワ、無知な耳に叩き込まれた反日宣伝のせいだとしたのである。
以下略
日本の侍精神は、今も日本政府の中に残っているということでしょうか。
でも…それが通じない相手が中国と韓国、北朝鮮なんですよね。
日本がどんなに誠を尽くしても、それを逆手に取って日本を貶めることしか考えていません。
これからは、「日米韓同盟」ではなく、「日米台同盟」になればいいのにね。
もう、中国や韓国、北朝鮮とは絶対に関わりたくないですね。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
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