平気で嘘を並び立てる恨国人&古びた日中友好を押しつける左派メディア

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

 中央日報 2020.7.24

「父の強制徴用の恨だけは晴らしてほしい」…三菱裁判で読み上げられた手紙(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース

 >(前略)

 この日の裁判には強制徴用被害者の故キム・グムチョンさん(死亡当時89歳)の孫が参加した。キム・グムチョンさんは1943年に全羅南道羅州(ナジュ)から三菱重工業名古屋航空製作所に連れて行かれて、2年間強制徴用被害を受けた。

 孫は「祖父は三菱重工業徴用されて耳が遠くなり、指もひとつもなかった」とし「後遺症のため職も持てなかった」とした。

以下略

 

この記事では「死亡当時89歳」とは書いているのですが、何年に亡くなったとは書いていませんので、実年齢がはっきり分かりません。

なので、昨年に亡くなったと仮定して計算をすると、1930年生まれですね。

徴用された年が1943年ということですから、キム・グムチョン氏は13歳で徴用工となったことになります。

10年くらい前に亡くなったとしたら1920年生まれで23歳で徴用されたことになります。

 

 

そうなると疑問が残ります。

1945年の15歳まで働いていた、もしくは25歳まで働いていたということになりますが、「耳が遠くなり、指も一本もなく職も付けなかった」のに、結婚して子供まで設けたんですよね。

どうやって、生活していたのでしょうか?

祖母がずっと家計を支えてきたのでしょうか?

 

もっと不思議なのは…

「日本統治時代の朝鮮人徴用 Wikipedia」によると…

>◆朝鮮人の戦時徴用(1944~45年)

 1944年9月、日本政府は国民徴用令による戦時徴用を朝鮮半島でも開始し、1945年3月までの7か月間実施された。1944年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加は第二次世界大戦の戦況の悪化もあってそれほど多くは無かったともいわれる。

 

朝鮮人の徴用が始まったのは「1944年9月から7か月間実施された」ということですが、キム氏の孫は「1943年から2年間働いた」と証言しています。

キム氏は日本の「朝鮮人徴用令」が始まる1年も前から日本で働いていたことになります。

これは、どう理解したらいいのでしょうか?

 

※「三菱重工場名古屋航空製作所」については、日本の左翼や在日朝鮮人が強く関わっています。

        ⇓

参考記事:「徴用工問題」の陰に日本共産党と「謎の市民団体」「日本教職員組合」が - 姥桜

 

日本共産党社民党中核派などのテロリストが、「反日」になった理由が分かってきます。 また、朴慶植の「強制連行」というデマが韓国でも「反日」の理由に使われています。

        ⇓

参考記事:「強制連行」というデマ(嘘)を流した『朴慶植』 - 姥桜

 ※朴慶植在日朝鮮人(朝鮮大教授)

 

 

辻褄の合わない「証言」で、勝手に「恨」を持たれても困りますよね。

「自称従軍慰安婦」も、証言するたびに「証言内容」が違ってきます。

 

そして、何より「国と国とが約束したことが破られる」状況には、とてもじゃないですが日本としては付き合いきれませんね。

 

 

お次は、もっと付き合い切れない中国関係の話です。

  以下の記事は以前にも出ていた内容です。

どういうわけか、同じような内容の記事がしつこく繰り返されています。

     ⇓

中立的な立場から、五〇年代はじめの日本と中国の束の間の友情を描く―加藤 徹『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』張 競による書評(ALL REVIEWS) - Yahoo!ニュース

 >(前略)

 1953年の春、状況が大きく動き出した。3月中旬、4937人を乗せた第一次帰国船が京都の舞鶴港に到着し、その後、帰国船は次々と日本に戻ってきた。

 

 山を動かしたのは、中国の赤十字会長を務める李徳全という女性である。

(中略)

翌54年、彼女は大きな手土産を持って日本を訪れた。 戦犯リストを公表し、全員を帰国させる意思を表明して朝野を驚かせた。

(中略)

本書でもう一つ特筆すべき点は価値中立的な立場である。

 

 

この「李徳全」は中国共産党工作員ですね。

「戦犯リスト」というのは、「シベリア抑留された日本軍」を中国共産党が「改造=洗脳」して日本に送り返された「中国帰還兵」のことです。

 これは以前の記事にも取り上げていますので、読んでみて下さい。

     ⇓

参考記事:中国と韓国の同盟関係『反日統一共同戦線戦略』⑥ - 姥桜

 

参考記事:野党、佐川氏証言を一斉批判=昭恵氏喚問へ圧力強める - 姥桜

 

そもそも、この当時の「中国紅十字会」の代表は二人も存在していたのですか?

窓口が二つもあったのですか?

もう一人の大物工作員の「寥承志」が代表だったはずです!

f:id:chaonyanko2:20200725160909j:plain

昭和毎日:日本人引き揚げ問題で日中会談

「シベリア抑留」された日本の兵士たちは、朝鮮戦争中に撫順管理所で中国共産党に過酷な洗脳(改造)教育を受けていました。

スターリン亡き後、朝鮮戦争の休戦(1953年)に、日本へ帰されたのが「中国帰還兵」です。

彼らは「日本軍の悪行」を日本中に広める役目を持っていました。

 

中国政府の要人で「中立」なんてありえませんし、「独裁全体主義」の国で「中立」なんてことは存在しません。

あまりにも、日本人を馬鹿にした記事です。

 

日中友好」なんて、微塵もないです!

 

こんな次期(中国が孤立している)に、恩着せがましく「日中友好」を押しつけてくる中国には本当に憤りを感じます。

 

困った時の日本頼み=「日中友好」「国家主席の来賓」「天皇の政治利用」

 

本当に中国には反吐が出ますが、中国の代弁者に成り下がった日本のメディアにも反吐がでます!

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字脱字がございましたらご容赦くださいませ。

リンクフリーの記事です。

皆様のお役に立ちましたら幸いです。