今日もお立ち寄り有難うございます。
広島、長崎の原爆の報道の中で、その時期、満州の大地で邦人に対して同じような非道なことが行われていたことをどこのテレビ局も報道していませんでした。
今朝(8月12日)のテレ朝で池上彰氏が「ソ連侵攻の中の満州の従軍慰安婦」について解説がありました。
「ソ連侵攻」とタイトルがあったにも関わらず、ソ連が「日ソ中立条約を破って突如満州に侵攻してきたて、邦人を大虐殺した」ことは、完全にスルーでした。
当時、満州にいた「従軍看護婦」という高齢のご婦人の証言だけでした。
内容は、「ソ連軍が参戦してきて、関東軍が撤退する際に負傷兵が足手まといとなるので、青酸カリを注射して殺害した」「負傷兵は『お母さん…』と口にしながら悶え苦しみながら死んでいった」という内容でした。
けっして嘘の話ではないでしょう。若い兵士たちの無念さを思うと辛くなります。
しかし、「ソ連侵攻」「当時の満州の状況」を知らない現代人はこの番組を観てどう思うでしょうか?
「ソ連が参戦」?―日本の国土が非道なアメリカ軍によってB29の攻撃に遭い、激しい沖縄戦に遭い、原子爆弾を落とされて虫の息の最中に、「日ソ中立(不戦)条約」を破って攻めてきたんですよ。
「非戦闘員」を皆殺ししたんです!
そして…ソ連軍、中国共産党軍は無抵抗な日本人に何をしたのか。
その結果、北方領土は盗られ、武装解除した日本兵は極寒のシベリアへと強制連行されて命を落としていったんですよ。
アメリカ軍、ソ連軍、中国共産党ともども「ハーグ陸戦条約違反」をしているんです!
戦犯は、アメリカ軍、イギリス軍、ソ連軍、中国共産党軍なんです!
参考記事:なぜ、今頃に日本共産党員(峠三吉)の礼賛記事を載せる? - 姥桜
昭和毎日 1945.8.8
【ソ連が対日宣戦布告】
>ソ連が日本に宣戦を布告、満州(中国東北部)や朝鮮などに進撃した。日本とソ連は1941年4月、中立条約に調印して太平洋戦争ぼっ発以降も中立関係を維持した。
なぜ、軍が負傷兵に青酸カリを飲ませたのか…
「足手まとい」なんかではありません。
戦前の日本にはまだ「武士の情け」が残っていたからです。
その理由は「本人の首に刀で斬り即死させて、痛みの負担や苦痛を軽減させるため」なんです。
その介錯には失敗は許されません。失敗すれば切腹人を苦しませることになるからです。なので剣の達人が選ばれたのです。
(※実は私の母方のご先祖が道場を開いていて、かつ、「首斬り役人」と云われていたと聞いています)
メディアでは伝えませんが、ソ連兵や中国共産党などの拷問は、とても人間がするようなものではありません。
彼らは日本人が思うような人間ではありません。その残虐さは想像を絶するものです。
軍には「捕虜となって人間らしく死ねないのなら、日本人として誇りを失わせないように」という配慮があったものと思われます。
池上氏のように、テレビ受けしてお金になるので「日本軍悪玉論」を垂れ流す人が多いので困ったものです。
テレビのニュースなどでは流れませんが、75年経った今頃にも旧ソ連に強制連行された旧日本軍の名前が特定されています。
産経新聞2020.8.8
【旧ソ連の抑留死 新たに10人特定】
>厚生労働省は7日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留された日本人で、シベリア地域で死亡した2人と、樺太地域などその他の地域で死亡した8人を特定し、都道府県別の出身地とともにホームページで公表した。これで抑留死亡者の特定は、シベリア地域(モンゴル地域を含む)で4万462にん、その他地域で1009人となった。公表された10人は次の通り(漢字の字体は厚労省発表に基づく。敬称略)。
ここで驚いたのは、女性の名前があったことです。
「女性もシベリア抑留されていた」とは何かの記事で読んだことはありましたが…
「【北海道】岡田光代、山本タケ、平尾林藏、佐々木光子、竹花留五郎、高橋権三郎」
(「タケ」さんは、もしかしたら男性かも?)
その他の方々もご冥福をお祈りいたします。
さて、テレビなどが「ご先祖様への感謝」を捨てているものですから…
産経新聞 令和2年(2020)8.11
【薄れゆく戦没者への恩義】
>「『お国のために戦ってください。もし死んだら靖国神社にご祭神として祀りますから』。そう約束されて、われわれの父親は戦って亡くなった」
日本遺族会会長で参院議員の水落敏栄は語る。戦没者の追悼は、75年以上前のこととはいえ、国が「靖国神社に祀る」と約束した以上、責務といえる。それを形で示す首相の靖国神社参拝は、今でこそ国内外で賛否両論が起こるが、以前は自然な光景だった。
吉田茂は独立回復が決まったサンフランシスコ平和条約調印後の昭和26年10月、独立後の27年10月にも参拝した。戦没者への報告の意味合いがあったに違いない。短期政権を除く歴代首相の多くが春秋の例大祭などに参拝し、大きなニュースにならなかった。
50年8月15日、終戦の日に首相として初めて参拝した三木武夫は「私人」を強調。
参拝が公人か私人かがクローズアップされたが、中国や韓国の抗議はなかった。
「喧騒の靖国」となったきっかけは60年8月15日、中曽根康弘の参拝だ。首相としての「公式参拝」を表明すると、中国が初めて公式に抗議した。中曽根はその後参拝をやめてしまい、結果として外圧に屈した形となった。
平成5年に首相に就任した細川護熙は先の対戦を「侵略戦争」と断定。国会で「わが国の侵略行為や植民地支配」「深い反省とおわび」に言及しつつも、戦没者への明確な追悼の言葉はなかった。
「反省」「おわび」は7年8月15日に村山富市が出した「村山談話」でも踏襲され、定番となった。
以下略
三木武夫の妻である三木睦子は、「九条の会」の発起人で、人権侵害の北朝鮮が大好きな変わり者です!
それにしても、日本政府はどうして中国の内政干渉に反論しないのでしょうか?
先の対戦は、日本が中国や韓国を侵略するための戦争だった?
ふざけてるよねぇ!
「満州国」は「中国」とは全く違う民族の国で、日本が後ろ盾となって建国できた「満州族」の国です。「漢民族」の国ではありません!
参考記事:習近平「朝鮮半島は実は中国の一部だった」 - 姥桜
また、韓国も当時は日本国に統治されていたわけで、韓国人が「侵略戦争」というのは間違っています。
そもそも、日本に統治される前は「満州国」の前身である「大清帝国」の属邦に過ぎませんでした。韓国が大清帝国から独立できたのは、他ならぬ大日本帝国のお陰なのです!
どうして細川護熙はそんな「歴史的事実」を知らなかったのでしょうか?
それとも、知っていながら「中国の言いなり」になっていたのでしょうか?
もしかして、ヤサ男の細川護熙も「禁断のビデオ」に撮られていたのか?
あっ、因みに「村山談話」の原文を書いたのは、「チャイナスクール」の「谷野作太郎」です!
「村山談話」を書いた元官僚・谷野作太郎氏、その誕生秘話と意義を明かす | 「日本」を考える~私たちはどこへ向かうべきか | ダイヤモンド・オンライン
「村山談話」閣議決定時は“異様な雰囲気”人民日報が多用する語句も 検証プロジェクト (1/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK
「谷野作太郎」って、他にも日本を貶めることをやっていたと思うんですけど…
言葉が悪いですが…どいつもこいつも、中共の忠犬に成り下がって日本を貶めているんですね。
こいつらには「愛国心」という崇高な思いは欠片もなく、下半身の言うまま行動している動物にも劣る劣等人間です!
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