米国議事堂の暴動は茶番劇だった!&自民党「内モンゴル議連」検討

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

トランプ氏の弾劾裁判で、米国民主党が都合の良いように編集したビデオを出したそうです!

新時代ニュースさんの動画です。

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さらに詳しい内容はWWUKさんの動画を観て下さい。

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トランプ氏の「我々は議事堂を歩いて行きます」を、

民主党が提示したビデオでは「我々は議事堂を乗っ取りました」と吹き替えをしているのです。

しかも、トランプ氏「我々は平和的かつ愛国的に我々の声を上げるため 議事堂側に行進します」という演説がカットされているのです。

ここまでして政敵を貶める工作をするとは…これは、テロリストと同じではないでしょうか。民主主義の精神が完全に抜けています。

 

しかも、なんと議事堂暴動事件には裏でカネが動いていたというのです。

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及川幸久氏の動画です。

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CNNとNBCが議事堂暴動犯に3万5千ドル支払っていたということです。

つまり、1月6日の暴動は事前に計画されていた可能性が大きいということですね。

民主党下院議員議長のペロシがどうやら裏の事情を知っているみたいですが…

米国左派たちは、人としての良心を完全に失っていますね。

人を陥れ、大衆を欺き、民主主義を壊しているんですからね。

 

とはいえ、日本のマスメディアや労働組合共産主義者(偽平和主義、偽人権屋、偽反権力など)も例外ではありませんが。

 

 

ここから、自民党内モンゴル議連」立ち上げ検討の話になります。

中国の少数民族弾圧では「チベット人」「ウイグル人」への弾圧は皆さんもよくご存じだと思いますが、「モンゴル」のことはあまりよく知られていないのではないでしょうか?

かつては「大清帝国」の住人「満州人」も中共によって“浄化”されました(※元々これらの人々は中国人ではなく独立した立場の民族と捉えている私の個人的な思いで〇〇族と称することに反発して「〇〇人」と称しています)。

そして、かつて、ユーラシア大陸を席巻していたモンゴル帝国の末裔である「モンゴル人」も過去、現在に渡って“浄化”されつつあります。

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産経新聞 令和3年(2021)2月20日

少数民族弾圧」強まる反発の声

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>中国語教育が京かされている中国・内モンゴル自治区で暮らすモンゴル族の言語や文化を守ろうと、自民党の有志が議員連盟の設立を検討していることが19日、分かった。
 国会では中国当局による少数民族に対する人権弾圧に懸念を示す議連の動きが活発化しており、連携強化を期待する声も高まっている。

 

 内モンゴル自治区では昨年9月にモンゴル族の小中学生の国語教科書が標準中国語(漢語)に切り替えられた。モンゴル族は登校拒否や抗議活動を展開しているが、中国当局は「道徳」や「歴史」の教科書でも同様の措置を取る構えで、モンゴル語教育は消滅の危機にあるという。

 

 山田宏参議院議員上野宏史衆院議員ら自民党有志は内モンゴル出身者から現地の状況を聞き、5月にも議連を発足させる予定だ。関係者は「モンゴル族が誇りをもって生きることができる環境の実現に向けて取り組みたい」と語る。

 

 中国当局による少数民族弾圧は最近、特に深刻化。

 チベット自治区では信仰の自由が侵害されているなどとして、チベット仏教の僧侶らが焼身自殺などで抗議の意思を示している。

 

 19日に数年ぶりに活動を再開した超党派「日本チベット国会議員連盟」の集会には与野党から約40人が出席。チベット亡命政府の代表機関、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のアリヤ代表が「中国の政権は表現や学問などの自由を批判している。中国を変えなければ、中国がわれわれを変えることになってしまう」と支援を訴えた。

 

 このほか、自民の「日本ウイグル国会議員連盟」が10日、超党派へと改組し、中国側にウイグル族らの人権状況の改善を求める国会決議の採択を目指す。

 国民民主党山尾志桜里衆院議員らが主催する超党派「対中政策に関する国会議員連盟(JPAC)」は香港での民主派弾圧などを受け、中国への制裁法適用を議論している。

 

 議連の動きは活発化しているが、それぞれの特色や強みを発揮すると同時に、対中国で臨機応変に足並みをそろえられるかが注目される。

 

 

前回の「北京オリンピック」の時には、人民解放軍によってチベット人弾圧の動画が何者かによって(※おそらく中国側が仕掛けた妨害)真っ白に消されたこともあります。

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さて、今日は中国がどのようにモンゴル人を弾圧、抑圧、虐殺してきたかを一部ご紹介します。

産経新聞 令和2年(2020)8月9日から始まった 楊 海英さんの証言から

>《中国のモンゴル人への圧政は名前や言葉だけではなかった。2歳のときに文化大革命文革)が始まり、中国全土で政治闘争が吹き荒れ、特に故郷である内モンゴル自治区は多くの人が犠牲となった。自著『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』には、自身の体験がつづられている》

(中略)

女性の背後にはやせ細った老人がいて、小さな箱を抱えていた。後で母に聞いたのですが、箱には女性の夫で老人の息子の遺骨が納められていた。

 この男性は若くして副旗長(「旗」はモンゴル民族の行政単位)を収めるほど有能な人でしたが、文革の集会で批判され、暴行を受けて気絶し、そのまま高く積み上げた石炭や薪の上に置かれ、火をつけられた。燃え上がると、男性は意識が戻って立ち上がったのですが、今度は太い角材で次々に殴られて焼死したとのことでした。

(中略)

 男性の頭蓋骨には角材に仕込まれていた長い鉄くぎが何本も刺さり、肋骨はほとんど折れていたそうです。

(中略)

 5歳のとき、父方の祖母が「悪徳分子」とされて「批判闘争会」に引きずり出されました。漢人を雇っていたことを咎められ、自宅に100本以上の楡の木を所有していたことから「楡1本を雇っていた漢人1人に換算する」とされて「漢人を100人以上雇い、牛馬のように酷使した反動的な搾取階級」と断罪されました。実際は2世帯だけ、むちゃくちゃな話ですよね。幸い、雇っていた漢人が「(祖母は雇人と)同じ食事と同じ労働をしていた」と正直に話してくれたので最悪の事態は免れました。

 

 祖母の批判集会はその後も続き、同じ年配のモンゴル女性数人と「内モンゴル人民革命党員」「牛鬼蛇神(妖怪変化)」などと書かれた紙を体に貼られ、興奮した群集から罵声を浴びせられました。小さな監禁室に閉じ込められ、首からぶらさげた荷袋から茶碗を出して与えられた水を飲んでいた祖母を、心配して敗れた窓からのぞいたこともあります。冬場には吹雪の中を「労働改造」のため、数十㌔離れた町の生産大隊まで一晩中歩かされました。70歳を超えていた祖母はつえをつきながら歩いたため、左手は凍傷にかかり、亡くなるまで治りませんでした。

(中略)

フフホトに住んでいたトブシ氏です。1925年生まれで、中国東北部満州国があった時代に少年時代を過ごしました。日本が建設した興安師範学院で学び、その後は日本に留学して一高、東京大学に進んだ代表的なモンゴル知識人です。当時の日本軍は優秀なモンゴル人に日本刀を与えて表彰していたことから、こうした親日モンゴル人は共産主義中国となってからは「日本刀をぶら下げた連中」と称され、資本主義の手先として批判の対象になっていました。

(中略)

トブシ氏ほど中国共産党の陰謀に振り回されたモンゴル人を私は知りません。大学教授として平穏な暮らしが続き、副学長候補にもなっていたトブシ氏は63年2月、海外への郵便物の検閲で発覚した「祖国を裏切るグループ」の一員として逮捕、投獄されたのです。後に「二〇六事件」とされる謎の疑獄事件で、トブシ氏は私に日本語で、「二〇六事件の二の字も知らなかった」と話してくれました。

 

 トブシ氏不在の家族は文革の嵐に巻き込まれます。68年春、突然踏み込んできた共産党員たちによって妻が連行され、「牛小屋」と呼ばれる労働小屋に監禁されました。トブシ氏の妻は、昼間は重さ数十㌔もある毛織物製品や石炭を背負って運び、夜は午前零時すぎまで背の高い漢人に髪を引っ張られて宙づりにされ、延々と自分の罪状を自白される批判集会に出る日が続いたといいます。拘留中の母を心配して牛小屋を訪ねた次女は「お前の母親は死んで犬に食わせた」と言われて逆上し、共産党員に抗議したところ、ひどく殴られて重傷を負い、二度と回復しないまま、79年に亡くなりました。

(中略)

 兄弟はフフホト空港から国際便に搭乗する直前、オルドスに戻らざるを得なくなったのです。こうしてモンゴル人をまんまと支配下にいれた共産党は51年6月、奇琳花氏の兄に「国民党の女スパイと接触した」罪などをかぶせ、公開処刑にしました。

 奇琳花氏の調べでは、兄は共産党に招待された北京のダンスホールで女性と踊っただけで、女性も中国共産党が送り込んだ人民解放軍の看護婦だったとのことです。

 

 奇琳花氏は「兄は舌にようじを刺されたうえ、口にタオルを詰め込まされ、抗議できない状態で処刑場に連行されました」と話していました。

(中略)

 奇琳花氏は制裁場所に行くように命じられ、集団暴行を受け、髪の毛までむしり取られました。制裁後の強制労働では逃亡しないように毎晩、肩を脱臼させられ、朝には肩を戻して労働に駆り立てられた。お正月の食事には毎年、豚の餌が出され、漢人の看守から「モンゴル人民族分裂主義者は豚より下劣」と言われたと言います。

(中略)

奇琳花氏の夫は、(中略)法案審議の日に強制的に入院させられ、そのまま帰らぬ人となりました。「毒殺された」との見方が一般的です。

(中略)

《医師として文化大革命文革)から多くの被害者を救った「内モンゴルシンドラー」ことジュテークチ氏は、自らも暴力の嵐に巻き込まれていた》

(中略)

同年6月には病院やフフホトしないにジュテークチ氏に関する壁新聞が貼り出され、「民族分裂主義者の黒い手先」「日本のスパイ」などの罪名が列挙されたのです。

 その後、批判集会が開かれるようになり、(中略)要職を解かれました。

手術をしてひと休みしていると批判集会に引き出されたり、病院の漢人労働者たちに「サッカーの練習」と称してひたすら蹴られ続けたりしたこともあったといいます。

(中略)

「態度が悪い」と虐待をエスカレートさせます。

ジュテークチ氏は暴力によって右耳、右目が不自由となり、下腹部も痛めつけられて男性としての機能を奪われました。67年3月には「牛小屋」と呼ばれる幽閉施設に押し込められ、監禁されることになったのです。

 

《あまりの惨劇が名医の決意を固めた》

 69年10月、ようやく牛小屋から解放されて病院に戻ったジュテークチ氏は、この2年半でモンゴル人の惨状に驚きます。

 連日、運び困れる患者たちの症状は「失明させられた」「腕や足を切断された」「頭の何くぎを打ち込まれた」などで、「生き地獄を見た」と振り返っていました。

以下略

 

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長文をかなり抜粋して書きましたので、少し読みづらいと思いますがご容赦くださいませ。

シナ大陸で生きるって…まともな人間には地獄でしょうね。

こんな中国に憧れる日本人左派の人たちや親中派の気が知れません。

日本国内で「差別だ」「人権弾圧だ」と叫んでいる左翼の皆様…自由の国・日本だから好き勝手に暴れることができるんですよ。

日本が中国みたいな共産国だったら、福島瑞穂や笛美みたいな人物は共産党員にぶん殴られて、手足を折られ、丸坊主にされて公開処刑されていますよ。

 

今、現在もこうした中国政府による人権弾圧、民族浄化は進行中なんですよ。

こんな中国が「平和の祭典・五輪」を開催する資格があるのでしょうか?

 

それにしても、「言葉を奪い」「文化を奪い」「弾圧した」と日本共産党や韓国の人たちが日本を糾弾していますが、中国が周辺を侵略してやっている行動そのままですよね。

どこでどう間違って中国の惨状が日本にすり替わったのでしょうか?

因みに、自民党が立ち上げた「議連・超党派」に日本共産党社民党は参加していませんよね。「人権、平和」が大好きな日本共産党社民党なのにね。

 

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字脱字がございましたらご容赦くださいませ。

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