今日もお立ち寄り有難うございます。
とうとう香港のリンゴ日報(蘋果日報)が中共の圧力で休刊(廃刊)となりました。
21世紀になっても、いまだに独裁国家の脅威が止まない現実。
それでも「対中非難決議」が出せない日本って…恥ずかし過ぎるよね。
産経新聞 令和3(2021)6月24日
【朋友、蘋果 等你回來!】
(友よ、蘋果よ、復活を待つ!)
> 香港紙で唯一、中国共産党を真向から批判してきた蘋果日報(アップルディリー)が23日、休刊に追い込まれた。中国・香港当局による、すさまじい言論弾圧である。香港の「報道の自由」は完全に失われた。
1960年、中国大陸から香港へ、12歳の少年が密航した。後に蘋果(ひんか)日報を創業する黎智英(ジミー・ライ)氏(72)だ。
中国広東省広州生れ。父は海運業で財を成したが、49年の共産中国の建国以降、裕福な暮らしは暗転する。資産家は目の敵にされ、一家は離散、苦しい子供時代を過ごした。
チョコレートを腹いっぱい食べたくて共産中国を捨て、自由と富の象徴だった香港を目指した。これが蘋果日報の原点である。
昨年6月のインタビューで、こう語っている。
「香港は、勤勉で努力する人には成功の道が開ける公平で自由な社会。私にとっては天国のような場所だった」と。
財を成した黎氏がその“天国”を守るため、95年に創刊したのが蘋果日報だった。昨年25周年を迎え、特別誌を発行した。タイトルは「これが最終章ではない」—。5年後の創刊30周年も祝ってみせるという意味が込められていた。
羅偉光総編集長(編集局長)(47)に初めて会ったのは昨年6月、香港国家安全維持法(国安法)が施行される直前だった。
羅氏は、①中国本土の取材ビザがなかなか出ない ②同紙記者だけ高官の取材の際に排除される—など当局の嫌がらせに悩まされている、とこぼした。聞いている内に噴き出しそうになった。
「産経新聞も同じですよ」。
2人で苦笑した。
国安法施行翌日の昨年7月1日、蘋果日報の1面の見出しは「悪法が発効、一国二制度は死を迎えた」だった。同じ日、産経新聞が「香港は死んだ」という見出しの記事を掲載すると、それを蘋果日報で取り上げたのも羅氏だった。
「ありがとう。でも気を付けて」。
そんなメールも蘋果日報の40代の編集関係者から届いた。羅氏も、黎氏も今は獄中にある。
私たちは、蘋果日報の発行停止を「休刊」と表現する。暗黒の時代が明け、香港がよみがえる日、それを市民に宣伝する香港紙は、蘋果日報をおいて他にないと考えるからだ。
リンゴは落ちた。しかし「最終章」ではないと信じている。
(藤本欣也)
参考記事:香港は死んだ&京都新聞と日本共産党員は頭が変 - 姥桜
リンゴは大地に落ちたけど…落ちたリンゴの種からまた芽が出てきます。
そう遠くない日に、また大地から芽が生えてくると信じています…
昨日(6月23日)の産経新聞記事の
【蘋果(ひんか)日報「最後の放送」】の記事を読みながら…
これが「共産主義国」の現実なのか…としみじみ感じた次第です。
>中国に批判的な報道を続けてきた香港紙、蘋果日報(アップルデイリー)が中国・香港当局の圧力で休刊に追い込まれる見通しとなり、混乱が広がっている。
(中略)
ネットで蘋果日報の動画ニュースを伝える番組の女性キャスターは21日夜、
「とても残念ですが、これが最後の放送になります」と説明。
「道は険しくても、真実を守るため引き続き職務に当たってほしい」と他のメディアにエールを送り、「香港人の皆さん、ご自愛ください。縁があればまた会いましょう。バイバイ」と番組を終えた。
(中略)
民主派政党、民主の羅健熙主席は「リンゴ(蘋果日報)のない香港なんて想像もできない」とコメント。
以下略
リンゴ日報の皆さんの悔しさを想像しながら…なぜか大東亜戦争終結後の樺太(当時は日本領)で起きたソ連兵襲撃による『真岡郵便局事件』を思い出してしまいました。
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共産主義とは、人の心も身体もがんじがらめにして自由や夢もすべて奪うものなんですね。
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