中国共産党と日本共産党に操られる古賀誠&戦前から続く中国の諜報活動

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

古賀誠といえば、「道路族」で北朝鮮の川砂利利権にも関わっていた人物ですが、今でも中共に使いまわされていますね。

TBSの報道特集に過去の人をわざわざ出演させて「中共の代弁」をさせるということは、TBSの報道特集中共が繋がっているという証拠ではないでしょうか?

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デイリー 2021.10.9

古賀誠氏 岸田首相に「悪魔の言うとおりは本末転倒」 誰?「安倍さん麻生さん」報道特集(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

自民党宏池会(現岸田派)の前会長、古賀誠氏(81)が9日放送のTBS「報道特集」にインタビュー出演した。6日に膳場貴子キャスターのインタビューを受けた内容が放送された。

 

 番組では岸田文雄氏が昨年に総裁選で敗れた後、古賀氏と確執がある麻生太郎氏の支援を得ようと動き、それを見た古賀氏は名誉会長の座を退き、岸田氏とは距離ができたと説明された。

 

 古賀氏は、岸田首相について「まず大事な役割に取り組んでいただく中で、私も温かく見守る」としつつ、「保守本流の政治を基本にして考えていただかなければいけない。宏池会はあくまで憲法に流れる平和主義、基本的人権主権在民、これだけは堅持すべき」と主張した。

 

 ただし、「正直おっと驚きますよ」と岸田首相が「敵基地攻撃能力も有力な選択肢」などと発言したことを指摘。総裁選で勝利した経緯を踏まえ「いつまでもその人たちの言い分を聞いていかなきゃいけないというのであれば本末転倒だと思います」と述べた。

 

 膳場キャスターのそれは誰かの問いに「安倍さんであり、麻生さん」と答えた。

 

 古賀氏は、マックス・ヴェバーの「職業としての政治」を引用し「悪魔と握手してそれを達成するというのも責任論理だとマックス・ヴェバーは言っているんですね。しかし、その悪魔の言うとおりになったら本末転倒で、それは許せません」と持論を述べた。

 

戦争に近づいていこうとしている環境作りに対しては、より慎重であってほしいし、時と場合では、僭越ですが、もう一度考える必要があるのではないかという議論はさせていただきたいなと思う」と語った。

 

 

中共コミンテルン中国支部)悪魔」の言うとおりになった古賀誠が言うことかね?

そもそも自民党の「党是」は「GHQに押し付けられた憲法を改正する」だったはず。

「日本人のための日本国憲法」を作るのが「保守本流」の役目でしょうに。

 

 

そもそも、古賀誠が「しんぶん赤旗」に登場すること自体が異常です。

中共の工作に遭った人間は、日本共産党コミンテルン日本支部)が宣伝工作に使うといった構図が出来上がっています。

 

参考記事:北朝鮮の最高人民会議選 総連議長など5人当選=朝鮮新報 - 姥桜

 

しんぶん赤旗 2015.3.1

安倍暴走に批判 自民元幹部から次つぎ/右翼政治みたい■痛みわからぬ

自民元重鎮 首相を批判/野中氏 死んでも死に切れぬ/古賀氏 恐ろしい国になった

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「死んでも死にきれぬ」と言いながら、死んだじゃん…

 

 

中共の工作が宏池会に入り込んだことが克明に書かれています。

上記の「しんぶん赤旗に登場する売国奴のことも書かれています。

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【中国対日工作の実態】

福田博幸 著

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>■工作されていた安岡正篤

 

 昭和16年(1941年)12月7日、真珠湾の奇襲が決行された。この真珠湾攻撃の10日ほど前のこと、中国重慶駐在のアメリカの武官が国民政府の「国際問題研究所」の所長である王梵生を訪ねて戦跡見物に誘った。そのとき、王は「すでに芝居の終わった舞台を見物してもつまらん。それよりも、これから上演されようとしている新しい芝居の筋書きに注目しては如何か。日本は近々貴国を攻撃しますよ」と言った。「それは大いに結構」と言って武官は取り合わなかった。

 

 戦跡見物後、王がその新しい芝居の筋書きを語り、日本軍の配置まで詳細に話した。武官は「あなたは、日本の天皇でもないのに、どうして軍の配置までお分かりですか」と笑いながらメモを書いた。そして確度の低い情報として本国に報告した。

 

 ところが、真珠湾の奇襲が現実のものとなるや、アメリカ政府は慌ててワシントン駐在の中国大使に、その情報の出所について再調査を依頼した。その結果、この的確な情報の出所は、「国際問題研究所」だったことが分かった。このことがあってから、国際問題研究所の存在が俄然注目され、米・英・中(蒋介石・国民党)が資金援助することとなった。特に米・英は、第二次世界大戦中、この研究所に莫大な資金をつぎ込み、そこを唯一の対日情報源とした。

 

 コミンテルン及び中国共産党の工作は、日本の北進論をいかにして南進論に転換させるかということを全力をあげており、その具体的方法として日本を中国との全面戦争にひきずり込み、そのうえでアメリカと戦わせることであった。

 

 ゾルゲ機関の工作が成功し、日本は北進してソ連を衝かず、南進に踏み切りアメリカとの全面戦争に突入した。ゾルゲ機関の存在と尾崎秀実の名前は知っていても、もう一人のゾルゲ機関の対日工作員「王梵生」の存在を知る者はほとんどいない。

(中略)

だが、後にこれらの情報は研究所と王が捏造し、組織的かつ計画的に米・英へ提供していた偽情報であったことが判明した。しかし、当時の米・英は知る由もなく、全く疑わず受容するだけであった。そして原爆投下への決断へと進展していくこととなる。

(中略)

 1945年(昭和20年)2月、蒋介石に秘して、スターリンチャーチルルーズベルトの3巨頭によるヤルタ会談が開かれた、この件に関して台湾の諜報機関は、「おそらくアメリカは、国際問題研究所と王梵生の情報のもとにしてヤルタ会談を開催したのであろう」と後に分析している。

 

 ヤルタ会談の決定によってソ連満州侵入を許し、その後の極東情勢は一変する。国際問題の偽情報を信じたアメリカは、日本への上陸作戦に際して、関東軍の来援を阻止しようとソ連への極めて高価な代償を与えてしまった。すなわち、ソ連の対日参戦の代償として、外蒙古の主権とソ連日露戦争以前に満州で持っていた権益すべてソ連に渡す旨の約束をしてしまったのだ。これが終戦後の極東情勢を一変させた根本原因である。

 

 こうして5月にはドイツが、8月には日本が全面降伏することとなるが、ソ連を優位にするために米・英に偽情報を流し続けた王梵生という工作員蒋介石が最も信頼し、国民党政府がつくり上げ、さらに米・英が唯一の日本に関する情報源として信頼した国際問題研究所。この研究所の王梵生所長こそ、国際共産党コミンテルン)のメンバーであり、同研究所こそ中国におけるゾルゲ機関であったのだ。

(中略)

 では、中国のゾルゲ機関=国際問題研究所、ひいては王梵生は、刻々と変わる日本の極秘情報をどこから入手していたのであろうか。彼のもとへは日本の情報すべてが的確に入っていた。

 その情報提供者は誰だったのか大きな謎であった。それは誰であろう。戦前・戦後を通じて歴代総理の指南番とわれた「安岡正篤」氏その人だ。

(中略)

 王梵生の情報源だった安岡氏は、王梵生が国際共産党工作員であることを知らなかったようだ。むしろ王梵生を、民族主義者と思い込んでいた節がある。

(中略)

工作員・王梵生の期待通り、安岡氏は戦後においても政界、財界、官界の御意見番として国の方向付けに極めて大きな影響力を持ち続けた。

(中略)

 国際共産党工作員である王梵生は日本にいた。駐日中国大使館に所属していた。日本の偉い人たちは、みんな彼に会っていた。もちろん、王が工作員であることを知らずに。とりわけ安岡氏は、戦後も王を異常なまで信頼し続け、自らの講演で度々王梵生について触れ次のように話していた。「大使館におられた王梵生さんという方は実に素晴らしいお方でございまして、私はしょっちゅうお話を伺っております」と、ここまでくると、論語読みの論語知らずの一言に尽きよう。

(中略)

 田中首相が訪中する8日前の1972年(昭和47年)9月17日午後2時半、デモ隊が待ち受ける台北空港に政府特使・椎名悦三郎が降り立った。田中首相の親書を携えていたが、その親書には次のように書かれていた。

(中略)

この親書は、外務省アジア局の依頼を受けて安岡正篤氏が起草したものだが、当時の外務事務次官・法眼晋作氏によると、安岡氏は「台湾の要人が一読して、腹を立てながらも、しかしうまいことをいうなぁ…と言わしめる文章を書こうと言って引き受けたという。超一流の学者なのだろうが、やはり、この人物は学者馬鹿で人間の情とか機微を全く分からない人物だ。

 だから、中国共産党の工作に利用されても全く気がつかないのだ。

 前項で紹介したように安岡氏は、日本の敗戦によって戦犯となって処刑されるところを蒋介石総統の恩情により命を救ってもらった。いわば蒋介石は命の恩人だ。

(中略)

人の道を教える「陽明学」の権威者安岡正篤氏は、利に走り、義を捨てた田中角栄にして日華友好断絶に協力、「仇を恩で報いる」として日本を救い、自らの命をも助けてくれた蒋介石総統に対して「恩を仇で返した」行動をとったと言ってよいだろう。

(中略)

 戦後の自由党吉田派は、池田勇人佐藤栄作に二分された。池田は、前尾繁三郎大平正芳宮沢喜一ら大蔵官僚時代からの後輩や吉田派の長老、党人らを結集して1957年(昭和32年)、自民党池田派派閥「宏池会」を旗揚げする。池田死去後、前尾が継承、71年(昭和46年)4月に大平正芳が会長の座に就いた。

 

 この宏池会」の名付け親は安岡正篤氏だ。当然のことだが、池田首相が師事していたのだから安岡氏は首相の指南番として君臨した中国の諜報機関が、この安岡氏ラインを見逃すはずが無い。安岡氏を巧妙に活用しながら、宏池会事務局長を安岡氏に次ぐ情報源として工作した。

 

 57年(昭和32年宏池会結成と同時に事務局へ入り、61年(昭和36年)から事務局長を務めた。この間、首相秘書官も務めている。気配りの人だったようだが、諜報活動には全く無知な人であったようだ。この時期、中国へ、派閥の動きや政界全体の動向がすべて筒抜けになっており、中国情報機関にとっては、日本政界情報源の拠点となっていた。しかも宏池会の事務所はアメリカ大使館の真ん前にあり、中国の工作員にとって、これほど地の利にも恵まれた拠点はなかったようだ。

 

 こうして宏池会を活動拠点とした中国の諜報工作員は、次第に事務局ラインを活用して首相官邸へも進出、内閣調査室(当時)への工作を開始、警察情報をはじめとする、治安情報を入手する工作にも取り組んだ。

 

 伊東正義を筆頭に加藤紘一古賀誠河野洋平谷垣禎一親中派の大物議員が多いのはその為だ。

以下略

 

 戦前、戦後を通して「安岡正篤」氏によって、日本は過酷な戦争へと進み、そして多くの国民が犠牲となり敗戦となりました。

それもこれも「安岡正篤」というノー天気な人物の漏洩から出た惨事だったとは…

そして、岸田総理のおひざ元の「宏池会」にまでその惨事が及んでいたわけですね。

 

 しかし、岸田首相を牽制するために、過去の遺物である古賀誠報道特集に出演させるなど…つまり、中国共産党は相当窮地に追い込まれているのかもしれませんね。

古賀誠おじいちゃんしか「駒」がないって…ショボすぎです。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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