「盧溝橋事件」の犯人は中国共産党!日本企業(ソニー)を恐喝する中国!

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

中国政府が、自分たちが起こした「盧溝橋事件」を日本軍のせいにして、日本企業のソニーに言いがかりをつけて約1170万円の罰金を科したそうです。

中国政府の「恫喝、詐欺、恐喝」に泣かされる日本企業…まさしくチャイナリスクですね。

 

 産経新聞 令和3(2021)年10月19日

【盧溝橋事件発生の日「新製品発表」の広告】

【中国、ソニーに罰金「国家の尊厳損なう】

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日中戦争の発端となった盧溝橋事件から84年に当たる日に新製品を発表するとの広告を出し中国国家の尊厳を損なったとして、北京市朝暘区の市場監督管理局は18日までに、ソニーの中国法人に100万元(約1770万円)の罰金を科した。 12日付け。

 

同局などによると、中国法人は今年6月30日夜に、7月7日夜に新製品を発表するとの広告をインターネット上に出した。 これが1937年の盧溝橋事件発生とほぼ同じ日時だったため、中国での批判の声が殺到。 7月1日に広告を削除し、不適切だったとして謝罪していた。

 

 中国法人は罰金を受け、同様のミスを防ぐために運用を改善してきたとし「この事例を教訓にしていく」とのコメントを出した。

 

盧溝橋事件は、日本軍が北京郊外の盧溝橋近くで演習中に銃撃を受けたなどとして中国軍を攻撃。 8年間に及ぶ日中戦争のきっかけとなった。

 

 

もう、かなり前から「盧溝橋事件」はコミンテルン側(共産党)の仕業だったということは知れているはずなのに、中国共産党は中国国民に嘘をついていますね。

しかし、この中共の嘘を日本でも「市民連合」「自治労」などの連中が今でも日本で垂れ流しています。

参考記事;日中戦争の陰にコミンテルンと大韓民国臨時政府が蠢く - 姥桜

参考記事:お里が知れるパヨクの「年金返せデモ」 - 姥桜

 

【マオ 誰も知らなかった毛沢東 上】

ユン・チアン 著

ジョン・ハリディ 著

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>■戦争拡大の陰に共産党スパイ

 1937年7月7日、北京近郊の盧溝橋で中国軍と日本軍が衝突した。日本軍は7月末には華北の二大都市、北京と天津を占領した。蒋介石は宣戦布告しなかった。少なくとも当面は、全面戦争を望まなかったからだ。日本軍も全面戦争を望んでいなかった。

 

 この時点で、日本には華北以遠に戦場を広げる考えはなかった。にもかかわらず、それから数週間のうちに1000㌔南方の上海で全面戦争が勃発した。

 蒋介石も日本も上海での戦争は望んでいなかったし、計画もしていなかった。日本は1932年の休戦合意に従って、上海周辺には海軍陸戦隊をわずか3000人配置していただけだった。8月中旬までの日本の方針は、「進駐は華北のみとする」というものであり、「上海出兵には及ばない」と明確に付け足すことまでしていた。

 

 『ニューヨーク・タイムズ』の特派員で消息通のH/アーベンドは、のちにこう回想している。

 <一般には…日本が上海を攻撃したとされている。が、これは日本の意図からも真実からも完全に外れている。日本は長江流域における交戦を望まなかったし、予期もしていなかった。 8月13日の時点でさえ、日本は…この流域に非常に少ない兵力しか配置しておらず…」 8日、19日には長江のほとりまで追いつめられて河に転落しかねない状況だった。>

 

 アーベンドは、「交戦地域を華北に限定しようという日本の計画を転覆させる高名な計画」の存在に気づいた。確かに、そうした計画が存在したという点について、アーベンドの読みは当たっていた。アーベンドが読み切れなかったのは、計画の首謀者が蒋介石(アーベンドはそう思っていた)ではなく、ほぼまちがいなくスターリンだった、という点である。

(中略)

 すでに前年から、スターリンは公式に日本を主要敵国とみなしていた。事態の急迫を受けて、スターリンは国民党軍の中枢で長期にわたって冬眠させておいた共産党スパイを目ざめさせ、上海で全面戦争を起こして日本を広大な中国の中心部に引きずり込む——すなわちソ連から遠ざける——手を打ったものと思われる。

 

 「冬眠」から目覚めたスパイは張治中(チャン チーチョン)という名の将軍で、京滬(けいこ)警備(南京上海防衛隊)司令官だった。(中略)モスクワは国民党軍の高い地位にスパイを送りこもうという確固たる意図を持っていた。(中略)周恩来は張治中に対し、国民党の中にとどまって「ひそかに」中国共産党と合作してほしい、と要請した。こうして、1930年代半ばごろには張治中はソ連大使館と密接な連絡を取り合うようになっていた。

  (中略)

 しかし、8月9日、上海飛行場で張治中が自ら精選し中国軍部隊によって日本海軍陸戦隊の中尉と一等兵が射殺された。さらに、一人の中国人死刑囚が中国軍の軍服を着せられ、飛行場の門外で射殺された。日本側が先に発砲したように見せかける工作である。

 

 日本側は事件を穏便に処理したいという意向をしましたが、張治中は攻撃許可を求めて蒋介石を攻めたてた。

 (中略)

 一日戦闘をおこなったところで、蒋介石は18日に攻撃中止を命じた。

 しかし、張治中は命令を無視して攻撃を拡大した。8月22日に日本側が大規模な増援部隊を投入するに至って、全面戦争は避けがたいものとなった。

 (中略)

 蒋介石が全面戦争に追い込まれたのを見て、スターリンは積極的に蒋介石の戦争続行を支援する動きに出た。

 (中略)

1937年12月から1939年末までのあいだに、2000人以上のソ連パイロットが中国で戦闘任務につき、日本の航空機約1000機を撃墜し、日本占領下の台湾に対する爆撃までおこなった。

以下略

 

 

さらに、別方面からの証言も…

     ⇓

【中国対日工作の実態】

福田博幸 著

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>■盧溝橋事件は中国の謀略だった。

 

 日本と中国との8年間にわたる戦争は日中戦争と呼ばれている(当時は支那事変)。中国政府は60年余たった今でも、事ある毎に、この日中戦争を「日本の侵略戦争」と非難し、日本を“悪い国”と決めつけ、反日教育を繰り返している。

 

 この日中戦争の発端となったのは、1937年(昭和12年)7月7日発生した盧溝橋事件だ。 中国は、この盧溝橋事件は日本軍が計画的に起こしたもので、これを口実に中国へ侵略戦争を開始したと位置づけ、いわば「日本の侵略戦争」の代名詞として盧溝橋事件を中国国内での反日教育や、日本に対する脅しの材料として使っている。

 

 ところが、近年、時間の経過とともに中国の資料も流出し始め、分析整理した結果、盧溝橋事件は当時、中国を統治していた国民党軍と日本軍を戦わせる為に仕組んだ中国共産党の謀略だったことが判明している。

 

 終戦後、中国共産党の謀略工作員となり、のちに日本へ亡命した石原栄次氏は「延安にある工作訓練所に入れられた時、工作用の指導者には“謀略をやるなら盧溝橋事件のように巧妙に実行するもの”と書かれてありあの盧溝橋事件は中共の謀略だったことがはっきり分かった」と語っている。

 

 さらにこのことを明確にしているのは、葛西純一訳の「新資料盧溝橋事件」(昭和49年出版)だ。 翻訳者の葛西純一氏は、戦前は満鉄社員でもあり、のち関東軍の兵士となった人物。戦後、1945年(昭和20年)9月に中共軍将校となり、53年(昭和28年)日本へ帰国したという経歴の持主だ。葛西氏は、「新資料盧溝橋事件」の冒頭の「序に代えて」の中で、“盧溝橋事件の謀略の主人公は、中国共産党劉少奇(後の中国国家主席)であった”と明言している。

 

 葛西氏によると「私が、盧溝橋事件の仕掛け人が中国共産党であった事を知ったのは、1949年(昭和24年)10月1日の北京政権樹立直後の事で、河南省洛陽市西宮に駐留する中国人民解放軍第四野戦軍勤軍械部(兵器弾薬部)第三保管処に現役将校として勤務している時であった。 中国人民解放軍総政部発行のポケット版『戦士政治読本』は次のように述べている。 『七・七事件(盧溝橋事件)は、劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が、決死行動を以って党中央の指令を実行したものである。これによって、わが党を滅亡させようとして第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく、蒋介石南京政府(国民党政府)と日本帝国主義であった』」と。

 

 中国問題研究者としては第一人者と言われた佐藤慎一郎氏は、盧溝橋事件で実際に諜報工作を実行した中国共産党中央委員会の「統一戦線工作部」の大幹部に直接、その時の経過を聞いている。

 その幹部は「日中両軍を全面交戦にひきずり込んだ盧溝橋事件を誘発したのは、中共の指導する”抗日民族解放先鋒隊”が中心だった」と語ったという。

以下略

 

『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』には、盧溝橋事件の黒幕は「スターリン」で、直接の手を下したのは「共産党の張治中」ということでした。

私はこの説が正しいと思います。

なぜなら、「中国共産党は抗日戦争で中国を守った」と国民に嘘をついている都合上、「ソ連スターリンの計画で、スターリンの命令で共産党員の張治中が工作した」とは口が裂けても恥ずかしくて言えないでしょう。

なので、「劉少奇」や「抗日救国学生」の手柄に仕立てたんだと思います。

 

因みに、当時の中国共産党は「コミンテルン中国支部」であって、1931年~1937年頃には『中華ソビエト共和国』だったこともあります。

瑞金/中華ソヴィエト共和国

さすがに、中国共産党が「ソビエトスターリン」の子飼いだったとは面子が命の中共は中国人民に知られたくないことですからね。

 

どちらにしても、「盧溝橋事件」は、日本軍が中国侵略のためにしかけた事件ではないということは確かです。

それは、中国共産党自身が一番わかっていることです。

中国共産党が文書で「盧溝橋事件は劉少奇と抗日救国学生が仕組んだ事件」と書いてあるのなら、中国共産党に非があって、日本はもう謝る必要がないと言う事ではないでしょうか。

これ以上、先人を貶めることは止めて欲しいし、子供や孫まで永久に中国に悪者扱いされて搾取され続けなければならないのかと思うと、本当に悔しい思いです。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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