自国のジェノサイドを逸らすために、南京大虐殺を持ち出す共匪

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

もう、日本側の識者たちによって、中共の「南京大虐殺」はデマだったということがバレているにもかかわらず、今年も式典をしているようです。

 

産経新聞 令和3(2021)年12月14日

南京事件から84年】

【中国で国家追悼式典 習主席は出席見送り】

日中戦争時の1937年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」から84年となる13日、江蘇省南京市内の「南京大虐殺記念館」で国家追悼式典が行われた。習主席国家主席ら最高指導部メンバーは4年連続で出席を見送った。

 

 式典では、共産党指導部を構成する25人の中央政治局員の一人である孫春蘭副首相が演説した。 中国メディアによると、孫氏は「中国を侵略した日本軍が野蛮に南京に侵入し、凄惨な南京大虐殺事件を起こし、30万人の同胞が殺戮された」と主張。

 「歴史をかがみとして、未来を切り開く精神で新時代の要求に合致した中日関係の構築を推進する」とも述べた。

 

■香港 映像教材に児童泣き出す

 一方、香港紙の明報(電子版)によると、香港政府が提供した南京事件の映像教材を使った小学校の一部で、児童が怖がって泣き出す騒ぎも起きた。

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 1937年といえば…そうあの凄惨な「通州事件」が勃発した年ですね。

その前からも、その後も、中国人による日本人の虐殺事件が連続して起きていました。

 

参考記事:東京医大の杜撰な調査と偏見結果&「通州事件」セオドア・ルーズベルト・ジュニア夫人は見た!(続編) - 姥桜

 

そもそも「日中戦争支那事変)」は、盧溝橋事件(中共が仕掛けた事件)をきっかけに日本軍と国民党軍(蒋介石軍)とが戦った戦争です。

 

参考記事:「盧溝橋事件」の犯人は中国共産党!日本企業(ソニー)を恐喝する中国! - 姥桜

中共はその当時のことを指して言っているわけですが、実態は中国軍が同胞を殺害していたわけです。ちなみに、中共は日本軍と戦闘していませんが、「抗日戦争で戦った」と嘘をついています。

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中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実

フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ 著

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■わざと自国民を犠牲にする中国軍

 日本は橋頭堡を確保した。秩序を回復させようとした。中国との戦争ではいつものことだが数では10あるいは12対1で負けていた。しかし日本はもう五分五分で戦うつもりでいた。(※アメリカの)干渉をもたらそうという絶望的な努力が続けられていた。中国は何度も日本軍の砲火を国際租界に命中させようと企んでいた。最初の頃だが、中国軍機がキャセイホテルやパレスホテルに爆弾を投下さえした。中国人が何百人も死んだ後になって彼らは「これはミステイクだ」と主張した。

 

 しかし地上で見ていた多くの人は、これらのホテルの爆撃やエドワード7世通りその他の混雑した中心街を爆撃で血まみれにすることには計画性があり、干渉をもたらそうとしたのだと確信していた。

 

 どうしても諸外国の力を利用しようとしてやけっぱちになった蒋介石は、あろうことかバリケードや戦っている建物、移動車両の上に外国の旗を掲げさせた。しばらくはこのトリックは効果があった。日本は被害を抑えるために旗のあるその目標には攻撃しなかったのだが、事実が分かるとこれらの要塞を爆撃し射撃した。中国が望んだように失敗は確かにあって、東京を何度か熱く騒がせた。しかしなんとか危機を擦り抜けて、日本は干渉を避けることができたのだ。

 

 この流血の数週間、あわれな苦力とその家族は自国の兵隊が射撃に使った建物に羊のように群がった。そして兵隊とともに数百人と死んだ。これらの人々を救おう、避難させようという努力は蒋介石やその配下には全く見られなかった。苦力たちによって建物が一杯になると、それはバリケードとみなされた。南京の軍隊はただ移動してきて射撃を始めたのだ。

 

 共産主義プロパガンダを吹き込まれている世界の新聞は、大喜びで戦いが始まったことをわめきたてた。中国兵を上海から追い立てることに日本が失敗することを予告し、「よく戦った。そしてよく戦うだろう」と中国にひそかにエールを送ったわけだ。

(中略)

 何度も何度も日本軍指揮官は中国軍側に市民に近いところから戦闘地域を移動するように、あるいは薄っぺらな構造物を防禦に使うくらいなら少なくとも撤退するよう要請した。

 しかし中国軍とその兵隊はこの人道的な日本側指揮官の請願を拒否するだけでなく、警告もなくこのあわれな中国市民の身体と掘っ立て小屋を、敵への遮蔽物や生贄にしたのだ。

 

第四章

残虐きわまる中国軍を糊塗するプロパガンダ大戦略

 ■「焦土作戦」と「氾濫作戦」

 蒋介石の宣伝係はプリンターインクで戦っている、兵隊や銃ではない。しかし一般のナイーブなアメリカ人や世界の人々をうっとりさせるような大当たりを取っているのだ。

 新聞の見出しやニュースのコピーでうまくいったものがある。「焦土作戦」である。

蒋介石の宣伝係は言った。「侵略者「」を引き返させるために、「彼らの背後のものをすべて破壊した」と。 これはいつもこの作戦に固執している中国の軍閥の私兵のためには皮肉か冗談の類いである。退却するときも、もし彼らが外国人を殺しも椋奪もしないならば、自分と同じ民族相手にやるまでである。やられる方は、長い付き合いでこういうことにはもう馴れてしまったよと言うしかなくなるまでやるのだ。

(中略)

 これに継ぐのが「氾濫作戦」である。蒋介石の配下が黄河の堤防を切って数十万の中国人——男も女も子供も溺れさせたのである。逃走する中国兵を追ってくる日本軍をストップさせるためである。彼らは堤防を切った。自分の首と財産を守るためである。そして結果として死んでいく彼らのかわいそうな同胞のことなどちっとも考えなかった。こんなことが起きたらどんな政府でも、普通は世界から忘れるなと非難されるだろう。しかし総統の宣伝係は多くの自己犠牲と愛国心によるものとみなされると、うまいこと取り繕ったのだ。

  (中略)

 蒋介石の側には、「焦土作戦」や「氾濫作戦」を正当化する宣伝が作り上げられてはいたが、開戦後1年もすると、彼の配下の中国軍の乱暴行為のニュースが検閲を逃れて外部世界に少しずつ漏れ出してきた。凶暴で抑制が効かず、自国の町や市を椋奪して廻る中国兵のことが「漏れ出し」、外国人への影響を抑えるために、なんらかのプロパガンダが必要とされたのだ。中国兵が自国民から椋奪しているということは、蒋介石とその軍閥に反作用を及ぼしていたのだ。

 (中略)

第十章

反日を煽る偽写真

■上海の廃墟に泣き叫ぶ赤ん坊

 カメラはアメリカにおける中国のプロパガンダの中で、日本への反感と中国への軍閥への同情を引き起こすのに掛け値のない役割を演ずるものである。これらの中国の宣伝屋たちによって、今までかつてないほど沢山の贋物写真がアメリカの新聞雑誌にこっそりと挿入されている。彼らは次々と人々に恐怖を起こさせようと、実にタイミングよくリリースしていったのだ。

 

 代表作の一つは、上海の中心の爆撃で破壊された通りの廃墟に泣き叫ぶ赤ん坊のポーズの写真だ。これはニュースを操った。そしてこれは合衆国では最近でも毎日のようにプリントされている。写真はビルディングを写している。そしてぼろを着たちっちゃな赤ん坊が目をこすり、口を開けて泣き叫んでいるのがはっきりと分かる。

 

 この写真には、アメリカの公衆には決して分からない二つのアングルがある。最初の場所では赤ん坊は中国人によって爆撃された通りでポーズしていた。南京の飛行機がキャセイホテルやパレスホテルに破壊弾を落としていたときである。外国人に干渉させようと試みたと多くの人にになされる場所である。粉々に破壊されて何百人も死んだ。中国の惨劇は自国民の中になされたのである。しかし、煙が晴れ、残骸が撤去されたとき、この子供は通りに持ち込まれ、カメラの照準が合わされたのだ。しかしながら一つのカメラは子供のそばの中国人を捉えている。

(中略)

 何百万のアメリカ人がまさに赤ん坊が泣き叫んでいる、爆撃で破壊された通りのさまを見た。「無法行為」をしでかした「非人間的な日本人」への反感から、義憤が立ちあがってきたのだ。このような写真が沢山ある。そしてこれらの写真は日本の敵には大変な名声を博しているのである。

 

 ■銃剣で処刑される中国兵

 まだ他にもアメリカ人を反日に向けて興奮させる写真はある。そしてそれはこの国の公衆を騙すための見え透いた嘘なのである。そしてそれはこの国の公衆を騙すための見え透いた嘘なのである。しかしそれは激しい嫌悪の感情を引き出そうとばかりに、呼び鈴を鳴らしていたのだ。

 私はそれを詳細に記述しておこうと思う。そして私も諸君や何百万の他の人と同じく、これでショックを受け、ぞっとしたことは請け負う。

 

 それは二人の男の写真であり、どちらも兵隊である。1人は銃剣を相手の胸に構える。彼は縛られ、目隠しをされ、杭に縛り付けられ、自由な男の鉄の一突きの前に絶望的な状態だ。写真のキャプションには、日本兵が中国兵捕虜を銃剣で刺す練習をしているとなっている。別の言葉で言えば、日本兵は銃剣の練習に人間を標的に使っているというわけだ。

 

 諸君は最初の一瞥で打ち倒されただろう。諸君は嫌悪と恐怖で当然の反応であり、そういうことができる人々への嫌悪と非人間的行動への恐怖である。もし人間がこういうことをすれば、論外としかみなされないだろう。

 

 ところでこの写真と込みになっているちょっとしたジョークがあるのだ。二人とも日本人でなはないというのである。拳銃を持つ兵隊も違う。どちらも中国人なのである。ポーズを取らせた写真でもない。他の沢山の写真と同じように、プロパガンダの目的の為写真なのである。

 これは写真であり、本当の写真である。少しばかり前だが、蒋介石の兵隊の一人が自分と同じ民族の血を持った兵士を処刑しているところなのである。キャセイホテル事件と同じで、その残虐性はまさに洗練されている。この仕事に取り掛かろうとしている処刑者は中国南京政府の兵士の制服を着ているのであって、それ以外の何物でもない。

 大体中国軍や日本軍と一緒にいたことがあれば、その制服をよく知っているわけで、直ぐに一瞥で分かるというものだ。しかしアメリカ人で中国兵や日本兵を見たという人が、さてどのくらいいるのだろうか。

 

 定評のあるニュースサービスがこうした宣伝写真の無意識の犠牲者を生み出す。その光景は何百万の人々を反日にし、憎悪とまでは行かなくても、心の奥深く鬱積した憤りの炎を燃やし続けるのだ。そしてもちろん、写真についたキャプションや描写には真実などはない。これは全くの処刑であり、何といおうと恐ろしい方法の処刑である。しかし日本人による処刑ではない。

(中略)

 事実という何の根拠もない写真によって濡れ衣を着せられ、我々の同情をゆすぶるのに使用されるのなら、止めろと言うべきなのだ。

 

 

1937年当時に蒋介石軍が使った「偽写真」を、84年経った21世紀の現在でも中共が使用しているというわけですね。

 

Wikipedia より

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「上海で泣く叫ぶ赤ん坊」の写真は、日本の左翼も使っていましたよ。

たしか…「ノーモア南京の会」とかいう団体でした。

今は、「南京大虐殺記念館」らしき写真に置き換えられています。

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 10年くらい前のHPでは、メンバーを見ると、元朝日新聞記者で「南京大虐殺」を広めた「本多勝一」という名前もありました。本多勝一日本共産党の「しんぶん赤旗」にも登場していましたね。

日本国内で大々的に反日活動をしていられるなんて、なんて日本国って懐の深い国なんだろうと思いますね。

 

 それにしてもですよ、中国兵が中国人を虐殺しておきながら、すべて日本軍のせいにして、今でも当時のプロパガンダ写真を小学生の子供に見せる神経って…世界中探してもそんな非人間的な政府ってないですよね。

 

 そもそも、当時の中国の「軍閥」というのは、みんな「土匪」とか「匪賊」、「馬賊」といったならず者たちの集団だったわけです。だから中国人たちは彼らを全く信用していませんでした。

 ちなみに、中国共産党は「共匪」と呼ばれていたんですね。

なので、みんな「残虐」なんですよ。

 

 今は、世界中から「ウイグル人へのジェノサイド」を追求されているものだから、中国も必死で、「南京大虐殺」を宣伝して世界の目を逸らそうとしているのでしょうか。

それにしても、当時南京の人口は「20万人」と言われていたのに、「30万人」もの人が殺されたというのは、どうにも計算が合わないのですが…

 これも、中国人特有の「ちょっとしたジョーク」なのでしょうか?

 

参考記事:「南京大虐殺」は中国軍の仕業だった 南京入城時の内外紙の報道から検証した本当の歴史(1/9) | JBpress (ジェイビープレス)

 

日本政府もちゃんと真実を発信して「言うべきことは言う」ことをしないとダメですよ。

 

.追伸

HARANOHARANO Timesさんの動画です。

いつも、日本人が知らない真実の情報を届けて下さっています。

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 共匪はこうして、‘’脅し‘’で他国を意のままにしようとしています。

 小国のリトニアは本当に頑張っています。

 日本の岸田政権もここは踏ん張ってリトニアのように正義を貫いて欲しいと思います。

 

 最後までお読みくださいまして有難うございます。

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