ジェフリー・エプスタインと交友があった人物の名前が判明&杉原千畝『命のヴィザ』の虚構

 今日もお立ち寄り有難うございます。

 

 バイデン政権の闇が次から次へと暴かれていってますが、相変わらず日本のマスメディアは沈黙…。 これでは、日本も中国のことをとやかく言えませんね。国民を騙し続けて視聴料をとるNHKも購読料をとる新聞各社も詐欺師同然ですね。

 しかし、そんな真っ黒黒助のバイデンにすり寄り言いなりになる日本の政権も情けないったらありゃしない…

 

 さて、アメリカではさらに「人身売買、児童買春、児童殺害」の首謀者・ジェフリー・エプスタイン(東欧系ユダヤ人=ハザール人)と関わっていた新たな人物名が、エプスタインの愛人・ギレーヌ・マックスウェルの「秘密のカレンダー」というものから発覚したようです。

 

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●元オバマ政権時代の国務副長官・現CIA長官のウィリアム・バーンズ

●元オバマ政権WH顧問弁護士、ゴールドマン・サックスGの弁護士・キャスリン・ルームラー

●元クリントン政権 副大統領のアル・ゴア(地球環境問題の旗振り役)

民主党支持者の学者:ノーム・チョムスキーウクライナユダヤ人=ハザール人)

アンドレア王子

 

 「オバマクリントン民主党支持」というキーワードが揃っていますね。

バイデン大統領一族の「子供の人身売買」といい、民主党政権の「少女誘拐、売春、人身売買」…これが大国アメリカの中枢がやってきたことなのか…。

 

おっと、民主党と云えば「LGBT運動推進派」ですよね。

彼らのやっていること

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 米国民主党のドサヨさんたちは変態揃いですね。しかも「ロリコン」。親御さんたちは子供から目を離さないようにしないとね。

 

 あっ、そうそう、今年に入って日本共産党員がトイレで女子高校生を盗撮していましたが、マスメディアではあまりとり上げられませんでしたね。

女子高生盗撮容疑で逮捕の共産党員、非難していた痴漢 「性暴力に、本気で向き合う政治を」訴えも : J-CAST ニュース【全文表示】

 

 日本共産党が「LGBT推進」をしているのは、もしかして堂々と痴漢や盗撮が出来るようにするためなのかしら?

…で、その後にもシレッと「痴漢は重大な性犯罪」などと啓蒙活動をする日本共産党

「痴漢は重大な性犯罪」/政府が政策パッケージまとめる/市民と共産党の運動 国動かす

 

「市民と共産党の運動」とは、「LGBT推進で堂々と痴漢が出来る環境を整えましょう」ということでしょうか?それで「国を動かす」ということは、「日本から道徳的秩序を排除しよう」ということでしょうか?

 

 アメリカ民主党日本共産党も「マルクストロツキー派(第四インターナショナル)」なのかもしれませんね(マルクストロツキーも「ユダヤ人=ハザール人」)。

 

第四インターナショナル - Wikipedia

>第四インターナショナル統一書記局[編集]

United Secretariat of the Fourth International (USFI) 、いわゆる「マンデル派」。1963年の国際委員会(ICFI)と国際書記局(ISFI)の再統一により結成された。かつては「唯一の世界革命前衛」を自認していたが、現在は「小さくとも不可欠な世界革命潮流の一つ」と自己規定している。現在、反グローバル化運動への参画に力を入れ、各国における「反資本主義左翼統一戦線」の形成を当面の方針にしている。また社会主義革命運動におけるエコロジー運動やレズビアン・ゲイなどの性的少数者解放運動の意識化と実践を訴えている。

 

 エプスタインと仲が良かった民主党支持者のノーム・チョムスキー氏も民主党議員のブリンケンやビクトリア・ヌーランドと同じウクライナユダヤ人=ハザール人ということで…

 しかも、彼らの運動はユダヤ人のトロツキー派と同じ「エコロジー運動とレズビアン・ゲイなどの性的少数者解放運動」だとは…東欧系ユダヤ人=ハザール人は下半身に関して異常に興味があるようです。

 

 さて、ここから「杉原千畝『命のヴィザ』」の「定説」が虚構であったことを書いていきたいと思います。

【第二次大戦下リトアニアの難民と杉原千畝「命のヴィザ】の真相

シモナス・ストレルツォーバス著

ポーランドリトアニアで情報を収集する際に、フィンランド領事館が演じた役割については推測の域を出ない。

 しかし、杉原がカウナスの領事に任命される前に、ヘルシンキの日本公使館に勤務していたことを忘れてはならない。リビコフスキ大佐は自らの回想録で、カウナスポーランド諜報機関の関係者に及ぼした影響について記した。

 さらにその諜報網が、ローマ、リスボンからロンドン、パリ、ベルリン、ストックホルムワルシャワ、ビャウィストクを経てモスクワ、そして東京までに及んだことを明らかにし、重要な諜報拠点としてカウナスの名も挙げている

 リビコフスキは、自分がかつてロシア白衛軍に属していた「ビョートル・イワノフ」であって、ロシアの内戦が終わると満州国に逃れてきた、と申し立てている。その偽名が記された満州国のパスポートを受け取ると、彼はストックホルムに移って活動を継続した。

 

 杉原千畝ポーランド地下運動との連携は、1940年9月上旬に彼がカウナスを去ってからも続いていた。 杉原とともに、ヤクビャニェツとダシュキェヴィチもリトアニアを離れてベルリンに向かった。

 興味深いことに、この時すでに彼らは日本のパスポートを受け取っている。ベルリンに到着すると、ヤクビャニッツは「クンセヴィチ」という偽名で、満州国領事館に勤務した。この領事館の庇護を受けながら、彼はドイツ軍についての情報を収集し続け、その情報はストックホルムにある日本領事館に送られた。

 ヤクビャニェツのスパイ活動は、彼がゲシュタボに逮捕される1941年7月まで途絶えることはなかった。ダシュキェヴィチも、ケーニヒスベルクで日本領事館を隠れ蓑としながら、同じような活動を遂行していた。

 

■結びに代えて――通過ヴィザを携えて日本に向かう難民たち

 1939年の末に始まったフィンランドソ連の冬戦争は、リトアニアにいたポーランド人の難民および抑留兵に影響を及ぼした。 

(中略)

 ポーランド人による出国の可能性はほぼなくなった。ポーランド人地下組織を指導していたポーランドの在外公館員たちは、有能なポーランド兵を、リトアニアから危険を冒すことなく搔き集める新たな方法をさぐらざるを得なくなった。ダシュキェヴィチは1947年になって、回想録の中で次のように書いている。

 

 「1940年4月、ヤクビャニェツ大尉の命令で日本領事館に行き、そこで独ソ国境においてソ連が準備を整え、軍を終結させていること、どうやら臨戦態勢に入ったようである、と大尉に代わって報告したソ連領内で上がった情報を日本の領事に伝えた後、領事からは日本への通過ヴィザを発給することを決めたということで、彼の返答を聞いた」。

 

 1940年6月にソ連軍がリトアニアに侵入してからは、状況は一層混迷の度を深めた。しかし最終的には、東京の了承を得てポーランド人難民に600通の通過ヴィザを発給することとなった。 その結果、リトアニアを出国する別の方法をどうしても見つけたい、というポーランド人の願望は、何とか実を結びそうであった。

 

 ここまでの物語で何よりも興味をそそるのは、ポーランド人の目的を果たすことができるように中継地点の役割を担うことになったのが、日本領事館であった事実である。

 ダシュキヴィチは回想録の中で、南米の海岸近くにある島々についても触れている。1940年の段階でオランダに属していた植民地のキュラソースリナムは、次第に伝説と化しつつある杉原千畝の「命のヴィザ」の物語では、今や中心的なキーワードとなっている。

 (中略)

 戦争、難民、そして圧倒的な本能の力が、多くのことをしばしば成し遂げる。したがって、何千人ものユダヤ人がシベリアへの流刑もホロコーストも、そのいずれをも避けるために、ソ連占領下のリトアニアから離れることができるヴィザを、いったいどのような状況で入手できたのかと問われても明確な解答は得られない。そのようなものがあるはずがない。

 歴史では白か黒か、はっきりさせることは決してできない。したがってこの場合、

揺るぎようのない事実はただ一つ、ヴィザはオランダと日本の二人の領事によって発給された、ということである。

 ソ連は最終的に、1940年の終わりから1941年の初めまで、こうした難民が自国領内を通過することを許可した。

 

 すでに触れたように、杉原からヴィザを最初に入手したのは、ポーランド人の地下組織である。 またリトアニア側も、ソ連との合意に向けて尽力し、ついにソ連から、ユダヤ人難民による領内の通過を許可する保証を得た。

(中略)

 忘れてはならないのは、この物語ではユダヤポーランド難民に日本領事、そしてリトアニアが利益を求めたばかりではなく、ソ連も自国の利益を主張したということだ。

 しかも、ソ連が何か言えば、それで話の決着がついたわけではないことは明らかなのである。

 (中略)

 1940年4月21日、ウラジミール・デカノゾフはソ連人民委員会議議長にして外務人民委員のヴャチェスラフ・モロトフに手紙を書いた。

 なぜポーランドからのユダヤ人難民が、ソ連領を通過するのを許すことに価値があるのか、その理由を説明したのだ。この移動によって、3000名ぐらいの人々が影響を受けることから、これならソ連は18万ドルほど受け取れそうである、とデカノゾフは計算していた。

 こうしたお偉方が関わりだすと事態は進展する。ついにソ連は難民の旅立ちに許可を与えた。

 しかし、以前から議論の的になっていたオデッサイスタンブールパレスチナ間のルートは、1940年末には閉鎖されてしまう。それはトルコが、自国領内を難民が通過することを拒否したことが原因である。

 その結果、1940年の夏以降新しいルートが構想され、日本を通過することとなった

  (中略)

 領事館の門の前に立つ難民を撮影した有名な写真がある。写真には10人から11人の男性の難民が写っているものの、いつ撮影されたものかはわからない。ここで思い浮かべてほしい。高級住宅地を抜けていく幅の狭い静寂な通りがある。そこに200人を超える男性の難民が立っている。家人を同伴していれば、その数はもっと増えるかもしれない。杉原が日曜日にヴィザの発給を休まざるを得なかった理由は、こうした状況にもあるのかもしれない。

  (中略)

 ここで偶然にも、運が難民に味方した。1941年の春、英国政府はユダヤ人難民の移住を進行させまいとして、すでに行動を起こし始めていた。目的達成のため、斯界の大立役者である日本の外務大臣接触が試みられた。実例を示しておこう。これは英国外務省から、日本の外務大臣に送られた手紙である。

 

 「…現在ラトヴィアとリトアニアにおりながら、将来パレスチナに移住する可能性のある者が数百名おります。英国領事館員が撤収する以前に、リガとコヴノで英国当局から移住の許可を得ていたこの者たちに、通過ヴィザを発行するよう、ソ連駐箚の日本外交官を説得する努力がおこなわれていることを、閣下にお知らせいたします。…たとえ通過ヴィザを取得していても、パレスチナ政府はいかなる移民の入国も認めないことを日本の関係当局に通知されるよう、閣下のご高配を賜るようにとの指示を小職は受けております…」

  (中略)

 …昨年1年間で、ドイツとオーストリアから約4000人のユダヤ人難民が、他の国々へ向かう途中で日本を通過しました。今度は、まったく新しいユダヤ人難民の移動が始まりました。

 ソ連占領下のポーランドリトアニアから、このたびポーランドユダヤ人およびリトアニアユダヤ人がおこなった大移動です。

 約1万人のユダヤ人難民が、ポーランドからリトアニアに移動したのが1939年10月のことです。このとき、ポーランドの一部はソ連に占領されていました。彼らはリトアニアなら安全にして安心できる国であろうと考えていました。

 

 しかし1940年6月、リトアニアソ連に譲渡されると、こうした難民の大部分がソ連政府に対して、他国へ移住する許可を求めたのです。

 自分たちの宗教的、そして民族的な信念のために、ソ連国民のままでいることを望まなかったからです。

 これと同時に、彼らは移住を援助してもらおうと、ユダヤ人に同情する人々やユダヤ人組織による支援を求めました。

 (中略)

 

 在カウナス杉原千畝領事代理から松岡洋右外務大臣

 電報第50号

 1940年7月28日発

  

 右の電報を現代風に表現すると、次のようになる。

 「赤軍の進軍とともに、ソ連国家政治保安部はポーランド人、リトアニア人、ユダヤ人の政治団体本部への襲撃を開始、構成員の名簿を没収した上で、選挙の3日間から名簿記載の一斉逮捕に取り掛かり、現在も継続中。ヴィルニュスで1500人、カウナスおよびその他の場所では2000人が逮捕された。逮捕者の大半が、旧ポーランド軍人や官吏、白軍将校、さらに政権与党である国民主義党と社会主義政党の幹部、ユダヤ社会民主主義労働者協会員、シオニストユダヤ人である。メルキース前首相とウルプシース外務大臣は、家族とともにモスクワに送られた。

 粛清が始まった当初から、多くの人々が危険を感じて農村に逃げ込み、ドイツ領に逃げた者も数百名と言われる。ユダヤ人は、日本を経由して米国に向かうためのヴィザを手にいれようと、我が領事館に殺到。その数は毎日百人前後を数えた

 

 なぜ杉原が日本を通過するヴィザをあれだけ多く発給したのか、これ以上の説明が必要だろうか。おそらくあるまい。すべては明白ではなかろうか。

 以下略

 

 

 長い引用になりましたが、それでも足りないくらい重要なポイントが沢山ありました。

 最後の杉原千畝が松岡外務大臣宛てに書かれた電報の内容を読めば、ユダヤ人たちが「何から逃れようとした」のかが理解できますね。

 ユダヤ人達はドイツ軍から逃れようとしたのではなく、ソ連赤軍から逃げていたんですね。

 

  それなのに、どうしてイスラエルはじめユダヤ人コミニュティは「ヒットラー」に「ホロコースト」を擦り付けたのでしょうか?そして今も「嘘」を通そうとしています。 どうして「共産主義国」のソ連を庇うのでしょうか?

 あっ、そうか…当時は英国・チャーチルと米国・ルーズベルトソ連スターリンは同志でしたからね。 すべて承知の上ということでしょう。

 英国のチャーチルも米国ルーズベルトユダヤ人)も、「戦争がしたくて仕方なかった」お二人でしたからね。そして彼らの背後には「ドイツ系ユダヤ人のロスチャイルドやロックフェラー等」がいたんでしたね。

 

 最後までお読みくださいまして有難うございます。

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