スロバキアのフィッオ首相銃撃事件&ニュルンベルク裁判の不都合な真実「ナチスはユダヤ教徒の移住政策を計画していた」

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

さて、スロバキアのフィッオ首相が安倍元首相の様に銃撃をされました。

幸い命を取り留めたようですが、まだまだ安心できませんね。

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久しぶりの及川氏の動画より

youtu.be

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正直、私は「スロバキア」といえば「チェコスロバキア」というイメージしか沸いていませんでした。

あー、そういえば昔「チェコ」と「スロバキア」に分かれた国があったなぁ…という意識しかありませんでした。

欧州では、他にもこのように一つの国が民族の違いから内戦があったりして国が二つに分かれることがあるので、「どこの国だったっけ?」と混乱することがあります。

 

それにしても、及川氏の話を聞けば聞くほど「フィッオ首相は意識が高く、国民のため、平和のため、真実を追求し、正義を貫く素晴らしいリーダー」ということが判りました。

 日本の岸田首相とは「天と地」ほどの開きがありますね。

あるアンケートでは、世界一のリーダーは「プーチン大統領」だそうです。

これは納得です! ロシア国民は「愛国心」のある国民の財産と安全のために働く大統領の下にいて、本当に幸せだと思います。

 その点、日本の岸田首相は「DSの操り人形である認知症のバイデンに操られる日本の首相」でして…こんなに情けないことはありませんね。

岸田首相は国民より「外国人留学生は宝」と言うほどの人物です。実際、各地で多発する外国人犯罪には何の対処もせず、ただひたすら外国人労働者などを日本に受け入れています。岸田は「日本のバイデン」みたいなものです。

 

 しかし、プーチン大統領の次に「フィッオ首相」は、素晴らしいリーダーだと私は思います。 そんなフィッオ首相の命が狙われた原因は?

ウクライナへの軍事支援停止を公約

ウクライナ戦争は2014年のマイダン革命から始まっていると主張

●ワクチンやロックダウンによる被害の真相を解明すべきと主張

●LGBTQ、移民政策に反対

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 これって…全部アメリカの民主党共産主義)が推進してきた政策ばかりですね。

つまり、フィッオ首相は「反米国民主党」(反グローバリズム)ってことですよね。

…となると、銃撃した71歳の老人は米国のCIA辺りからカネで釣られたのかな?

先般のロシアのコンサート会場へのテロも、「MI6、CIA」が絡んでいるとの情報がありますからね。

 

 安倍元首相も「愛国主義」で、「国民の安全と財産を守る」という決意をされていて、プーチン大統領やトランプ元大統領と考えが同じでした。

 「国、歴史、文化、母語、秩序」等を排除して「統一政府」を計画しているDS(共産主義)にとって、「愛国主義者」は邪魔な存在で「暗殺の対象」になります。

 

 

 さて、ここから「ニュルンベルク裁判の不都合な真実」の続きを書いていきます。

ニュルンベルク裁判の完全崩壊〗

加藤継志著/沢口祐司監修

>◆「ユダヤ絶滅政策」の証拠文書

 このように、IMT(ニュルンベルク裁判)で提出されたガス処刑についての文書には全く証拠能力がありません。

 ならば、「ユダヤ絶滅政策」それ自体の証拠としては、どのような文書が提出されたのでしょう。

 48は、資料「PS-710」、1941年7月31日にヘルマン・ゲーリングからラインハルト・ハイドリヒに出された指令所の画像です。

 これを日本語に訳した文章を以下に引用します。先入観をできるだけ頭から排除した上で読んでいただきたく思います。

 

「1939年1月24日の布告により、すでに貴官に対して、時勢に即した最も望ましい解決としてユダヤ問題を、移住や疎開という形で処理する任務を委ねておいたが、これを補足するため、本官はここに貴官に次のことを委任する、すなわち、ヨーロッパのドイツ勢力圏内において、ユダヤ問題の全面解決を図るために必要な一切の準備を、組織的、実際的、物質的に整えること。 これに関し、他の中央官庁の権限に抵触する場合に限り、各中央官庁はこれに協力しなければならない。 次に本官は貴官に対し、ただちにユダヤ問題の、懸案となっている最終解決の遂行のため組織的、実際的、物質的な準備措置に関する全体計画を提示されることを委任する。」

 

 最初の文章では、明確に「移民や疎開(中略)によってユダヤ問題を処理する」と記されています。 それ以外の措置については一切説明されていない以上、常識的に捉えれば「ユダヤ問題の解決」は文字通り「移民や疎開」によって行われるものだと解釈されるべきです。

 それは、この指令の1年前の1940年7月3日に、外務省のユダヤ部局長であるフランツ・ラデマッヘルによって作成された、「ユダヤ問題の平和条約」(中略)と題する報告書でも(NG2586-B)全く同様です。

 

「来るべき勝利は、欧州のユダヤ問題を解決する可能性、私の意見では義務をもたらすだろう。 全ての最も望ましい解決とは、全ユダヤ教徒を欧州から追放することである。」

 

「(マダガスカル)島は自治領としてドイツに移譲される。〔…〕それ以外に、ユダヤ教徒は、この地域で自治権を得る:彼ら自身の市長、彼ら自身の警察、彼ら自身の郵便局および鉄道管理など。島全体の価値の共同責任を負う。

 

 ナチスマダガスカル島ユダヤ自治区を設立し、欧州のユダヤ系住民をそこに移住させる計画を立案していました。 当時のマダガスカルは、ドイツに降伏したフランスの植民地でしたので、このマダガスカル計画は、フランスに対する交渉材料となったのです。

 実は、「マダガスカル計画」が存在したこと、そして少なくとも1940年までは「ユダヤ問題の最終解決」がヨーロッパからユダヤ「移住」「疎開」「追放」であったことについては、ホロコースト正史の立場からも一切異論はありません。 ただし、正史派は1941年中のどこかの時点で、「最終解決」は「移住政策」から「殺害政策」に変更された、としているのです。

 

 ところが、1941年以降もナチスの文書では一貫してユダヤ教徒の「移住」について記し続けています。

 マダガスカル計画は戦争の進展に伴い実現が困難になり、最終的に1942年2月に放棄されました。外務省ドイツ局でユダヤ問題に責任を負っていたラデマッヘルは、1941年2月10日に、外務省のハロルド・ビーフェルトに次のような書簡(NG-5770)を送りました。

 

「1940年8月、私は、私の部局が作成したユダヤ問題の最終解決のための計画を発送した。それによれば、講和条約において、フランスにマダガスカル島を求めることが必要であるが、実際の課題の実行は国家保安本部にゆだねられるべきであるという。 この計画を調整するにあたって、上級集団長ハイドリヒが、ヒトラーからヨーロッパのユダヤ問題解決の実行を委任された。一方、ソ連との戦争のために、ほかの地域を最終解決のために利用することが可能となった。 このために、総統はユダヤ教徒マダガスカルにではなく、東部特に追放すべきであると決定した。だから、マダガスカルを最終解決に予定すべきではない。」

 

 つまり、ヒトラーユダヤ教徒の移住先をマダガスカルから東部の占領地区に変更したのです。 しかし、1942年6月24日、ヒトラーは総統本営で、

 

戦争が終わったのちには、ユダヤ教徒が町から出てきて、マダガスカルその他のユダヤ民族国家に移住するまで、次々とハンマーで町をたたいていくという自分の立場を厳格に守る。」(中略)

 

 と述べているのです。つまり、東部地区へのユダヤ移住措置はあくまでも戦争に伴う一時的な回避であって、ヒトラーの本命はあくまでも(戦後の)マダガスカルなどへの移送であったことが窺えます。

 いずれにしても、文字として残された資料においては、「ユダヤ問題の解決」は例外ではなくナチス支配圏からのユダヤ教徒「移住政策」となっています。

 

以下 続く

 

ナチスヒトラーが、ユダヤ教徒マダガスカルへ移住させる計画を立てていた」という話しは…

参考記事:全ての定説(思い込み)を疑うことから真実が見えてくる&杉原千畝とユダヤ人難民の真実 - 姥桜

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〖第二次大戦下 リトアニアの難民と杉原千畝〗シモナス・ストレルツォーバス著の本の中では「1937年にポーランド政府」が「ユダヤ教徒マダガスカルへ移住させる」という計画を立てていた」と書かれています。

 

 欧州の「ユダヤ人問題」は、なにもナチスヒトラーだけが問題にしていたわけではないんですね。 これは当時から「宮廷ユダヤ人」の悪辣と、ロシアを乗っ取った共産主義で過激派のボルシェビキの欧州人に対してのポグロムが原因だったわけですね(現在では、欧州の人々がユダヤ教徒に対してポグロムしたという通説になっている)。

 

 それにしても、「ユダヤ教徒を移住させる」というナチスヒトラーの計画が、なぜ「ユダヤ人絶滅計画」にすり替わったのでしょうか?

 そして、世界中の人々が「大嘘」を信じ込まされてしまっている…本当に怖いことです。罪もない人々が残虐にも処刑されいったのです。

 

 最後までお読みくださいまして有難うございます。

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