赤い悪魔(大韓民国臨時政府)が来りて笛を吹く

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

前回の続きです。

2010年8月16日に、日本共産党志位和夫が韓国民団の光復節中央記念式において、「日本共産党は、戦前の時代から、日本帝国主義による朝鮮への植民地支配に反対し、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった政党…」とあいさつしています。

 

まず、日本は日清戦争の勝利により、下関条約で朝鮮を大清帝国から独立させました。

そのことを、志位和夫は全く無視しているのか?それとも無知なのか?語りません。

また、韓国は「大韓民国臨時政府の継承国」と言ってますが、日本が清朝から独立させて、新たに「大韓帝国」という独立した新国家が出来たわけです。

反日を謳いながら「大韓」を使うのはいかがなものかと思います。

恥を知れ!と言いたいです。

 

そして、そんなに独立を望んでいたのなら、なぜ、明朝、清朝から独立する努力をしなかったのか?と思います。

 

さて、日本共産党大韓民国臨時政府というテロリストとどのようにして日本と闘ったと思いますか?

 

関東大震災朝鮮人虐殺」の真実』工藤美代子

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過激な抗日運動家

 大正六(一九一七)年のロシア革命による社会主義の勃興に続いて大正八年春、朝鮮半島を席巻した「三・一独立運動」の嵐は日本内地への流入を否応なく促進した。

 

 労働運動指導者と民族主義者、底辺の労働者、学生が一体となって日本を運動拠点に定め、朝鮮独立と社会主義運動の拡大を目指したからである。

 以来、日本における朝鮮人の犯罪が新聞に載らない日はないといっていいくらい事件が多発している。

 細かな事件まで網羅すれば紙幅がいくらあっても足らない。そこで危険な犯罪テロの温床となる事件のみ絞って以下新聞から要旨を拾っておこう。差しあたって、大正九(一九二〇)年から十二年の震災までの間をざっと見ておく必要がある。「流言」の前に何が実際に起きていたのかの検証が肝要である。

(中略)

「十五万円強奪の不逞鮮人の片割れ 神戸に捕はる」(以下略)

「首相邸を襲はんとした 鮮人の大陰謀露顕―爆弾数個と陰謀書類」(以下略)

「在阪鮮人の宅に爆弾数個を発見」(以下略)

「変名して早大に入り 上海間島方面と連絡を取る」(以下略)

 

 長い引用を敢えてしたのは、震災二年前、大正十年ごろになるとこうした独立運動家による活動が活発化し、さまざまなケースが新聞紙上で報じられ、国民の恐怖感はいやが上にも増大していたことを確認しておきたかったからである。

 今日の感覚からすれば過剰な思想弾圧、家宅捜索に見えるかもしれないが、大正期では大いに社会状況が異なっていた。

 

 再三繰り返すが、天皇が御不例中で若き皇太子がこの十一月に摂政宮に就いて父宮大正天皇名代を務めねばならなくなる矢先である。摂政宮就任の儀式が執り行われる二十日前には、原敬首相が暗殺される。安田善次郎が暗殺されたのも九月のこと。

 朝鮮半島からは続々と移住者が流入していた。

 

 そんな折に、独立運動を日本国内で展開しようとする一群の抗日運動家が活動を活発化していれば、内務省警保局が中心となって警察を動員したのは当然の捜査活動であろう。

 

 この記事によれば、首謀者は上海や間島との連絡を密に取っているという。

 上海には「三・一」暴動で容疑をかけられた者が半島から脱出し、フランス租界に「大韓民国臨時政府」を樹立していた。

 首班は李承晩である。

 この亡命活動家たちは、現金強奪で資金を作り、密航しては爆弾を運び、東京や大阪市内でテロに向けての謀議を重ねていたのだ。

 国民に「朝鮮人は安心だ」と説得するほうが無理というものだろう。大多数の健全な朝鮮人への裏切り行為だという点も重ねて記憶しておきたい。

 

 今述べた日本国内の不安定な政治、宮廷の状況を見透かしたように上海を軸とした彼等の抗日活動は活発化していた。次の報道からは内務省主導による内偵捜査もまた必死だったことが分かる。

「不逞鮮人崔の自白から判明した事実 内地在住の一味も知れた」(以下略)

総督府投弾の犯人は 田中大将を狙撃した男」(以下略)

「大仕掛の武器密売 拳銃一万挺、挺弾九十万発」(以下略)

(以下略)

 

※当時の朝鮮(現・韓国含む)人が日本で起こしたテロなどの詳細は『大韓民国臨時政府 Wikipedia』にも20項目ほど載っていますので参考にしてください。

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神戸大学 新聞記事文庫 神戸新聞 1928.5.6』

『不逞鮮人の魔手を藉つて 世界に延る恐るべき陰謀』

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日本共産党の研究 下』立花隆

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党の末端を支えた朝鮮人活動家

 先に述べたように、この時代の党も全協も末端の活動力は大きく朝鮮人に負っていた。 全協でいえば、構成員の三〇パーセントから四〇パーセントが朝鮮人で占められていた(三二年で半数、三三年には過半数になっていたという推定もある)。

 

 朝鮮人活動家は、日本人よりもはるかに戦闘的だった。三三年一月の「全協当面の任務」は朝鮮人活動家は、日本人よりもはるかに戦闘的だった。

三三年一月の「全協当面の任務」は朝鮮人の組織的獲得を強調して次のようにいう。

 

「見よ!ある地方に於けるメーデー参加者のうち三分の一も朝鮮人労働者であったことを!民族的、人種的搾取の対象とされ、豚のカイバにもひとしい低賃金で最も過酷な筋肉労働に従事させられているのだ。かかる二重、三重の圧迫、迫害の下におかれている彼らこそ、本質的に最も革命的な階級なのだ」

 

 特に天皇制打倒とのかかわりにおいては、朝鮮人は先鋭的だった。

以下略

 

日本共産党という組織は、戦前から朝鮮人活動家(大韓民国臨時政府)と共に、日本国崩壊へと活動をしていたのです。

そして、現在もまた在日朝鮮、韓国人と共闘して、日本国崩壊(共産革命のつもりらしい)を狙っているのです。

 

それが、今では「日本人による差別」「官憲の言論弾圧」などと、誤魔化しているのです…共産主義派は悪魔思想ですから嘘も平気なんですね。

 

長くなりましたので、続きは次回にさせて頂きます。

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