今日もお立ち寄り有難うございます。
さて、日本の左翼陣営では「朝鮮戦争」の位置づけを「米ソ冷戦の代理戦争」と言ってるようですが、共産主義者のお得意の嘘なんですよ。
騙されないようにしましょうね。
『マオ 誰も知らなかった毛沢東 下』ユン・チアン&ジョン・ハリディ著
1949年3月、毛沢東率いる人民解放軍が勝利に向かっているとき、金日成はモスクワへ行き、大韓民国攻略を援助してくれるようスターリンの説得を試みた。
スターリンの返事は「ノー」だった。
アメリカとの対決に発展する可能性があるからだ。
そこで金日成は毛沢東に乗り替えることにして、1ヶ月後に国防相代理を中国へ派遣した。
毛沢東は金日成に対する援助を確約し、ピョンヤンの南攻を支援するにやぶさかではないが、自分が中国全土を制圧するまでいま少し待ってほしい、「北朝鮮政府が南に対する全面攻撃を1950年前半に予定してくれれば、はるかに好都合だ…」と答えた。
そして、「必要ならば、ひそかに中国兵を差し向けることも可能だ」と、わざわざ付け加えた。
朝鮮人と中国人はどちらも髪が黒いから、アメリカ人は見分けがつかず「気づかないだろう」、というのが毛沢東の考え方だった。
『中国人民志願軍』Wikipedeiaより
すでに1949年5月の時点で、毛沢東は金日成に対して南へ侵攻してアメリカと対決するようけしかけ、中国からの人的支援を持ちかけていたことになる。
この段階では、毛沢東は中国人兵士を朝鮮人に見せかけてひそかに北朝鮮へ送り込むことを考えており、アメリカと正面から衝突するつもりはなかった。
しかし、ソ連訪問中に毛沢東は考えを変え、アメリカと正面から対決する決意を固めた。
中国を世界一流の軍事大国にするために必要な援助をスターリンから引き出す方法はこれしかない、と考えたからだ。
中国がスターリンに代わってアメリカと戦い、それと引き換えにソ連が技術と装備を提供する—毛沢東が考えたのは、煎じ詰めればこういう取引だった。
(中略)
中国と北朝鮮が手を結んで朝鮮戦争を戦うことになれば、ソ連にとって数えきれないほどの利点がある。
ソ連製の新兵器、とくにミグ戦闘機を実践でテストしてみることができるし、アメリカの技術を見ることもできる。
さらに、アメリカの技術を一部入手できるし、アメリカに関する貴重な情報も得られる。
(中略)
しかし、スターリンにとって朝鮮戦争の最大のうま味は、毛沢東が中国の膨大な人的資源を使って多数のアメリカ兵を殺すか釘付けにしてくれれば軍事バランスがスターリンに有利に傾き、その結果、陰謀が実現可能になるかもしれない、ということだった。
スターリンの陰謀とは、ドイツ、スペイン、イタリアをはじめとするヨーロッパ諸国を占領することだった。
朝鮮戦争のあいだにスターリンが検討したシナリオのひとつは、日本と朝鮮のあいだの公海上で(1950年9月、インチョンに向かっていた)アメリカ艦隊を空爆するというものだった。
実際、スターリンは1950年10月10日、毛沢東に対して、この時期は千載一遇のチャンスである、なぜならドイツと日本という有力な資本主義国二ヵ国も軍事的に動けない状態にあるからだ、と発言している。
(中略)
毛沢東には、自分がアメリカに負けるはずがない、という確信があった。
中国には何百万もの兵隊を使い捨てにできるという基本的な強みがあるからだ。
ちょうど厄介払いしたいと思っている部隊もあった—朝鮮戦争は、国民党部隊の敗残兵を戦場に送って始末する恰好の機会になるだろう。
彼らは内戦末期に部隊ごとまとまって投降してきた国民党軍兵士で、毛沢東は意図的に彼らを朝鮮の戦場に送り込んだ。
万が一国連軍が始末をつけてくれなかった場合に備えて、後方には特別の処刑部隊が待機して戦線から逃げ戻ってきた兵士たちを始末することになっていた。
『中国人民志願兵』Wikipedia より
『共産主義黒書 —犯罪・テロル・抑圧—<コミンテルン・アジア篇>』
ステファヌ・クルトワ&ジャン=ルイ・パネ&ジャン=ルイ・マルゴラン著
1950年6月25日、計画的な侵入作戦が実行され、北朝鮮軍部隊は奇襲的に南を侵略した。 これが恐るべき戦争の始まりだった。
この戦争で、朝鮮の全住民のうち50万人を超える死者を出すことになる。
マッカーサー将軍率いる国連軍部隊によって北朝鮮が全面敗北の危機に瀕した時、彼らを援助にやってきた中国人兵士のなかで、約40万人の死者とそれをやや超える負傷者が出た。
北朝鮮軍兵士の死者は少なくとも20万人、韓国軍兵士の死者は5万人に達し、アメリカ軍の死者は5万人を超え、さらに数百万人の住民が家を失った。
国連軍のフランス軍大隊は約300人の死者と800人の負傷者を数えた。
(中略)
列挙した死傷者の苦しみだけでなく、たとえば戦争捕虜がこうむった苦しみ(6000人のアメリカ人兵士と、それとほぼ同数の、大部分は韓国人兵士からなる、米国以外の国の兵士とが拘留中に死んだ)も、現地のソウルにとどまり、北朝鮮軍部隊により逮捕され、ついで収容所に送られたフランスやイギリスの外交官スタッフや、同様に収容所送りとなった、韓国で働いていた宣教師の長い苦難の道のりもまた、共産主義の責に帰すべきものである。
『読売新聞 2007年4月』より
大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦時、「日ソ中立条約」を破ったソ連が、武装解除した日本軍、民間人を襲い、約76万人がシベリアの強制収容所に強制連行されました。
『読売新聞』より
『異国の丘』とソ連・日本共産党(第1部)blog より
今も日本の左翼陣営と、韓国の人たちは、北朝鮮や中国、旧ソ連を持ち上げて、日本を責めていますが、この事実を知らない? 知らなかった? とでも言うのでしょうか?
拙い長文に最後までお付き合いくださいまして有難うございます。
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