「中帰連」の話が韓国に輸出された

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

731部隊」の創作は「日本共産党」と「中国共産党」の合作で、「朝日新聞」が広報した物語です。

今度は「撫順戦犯管理所の奇蹟」という創作が韓国で宣伝されています。

なぜ今頃韓国で?と思ったのですが、

そういえば韓国の「ハンギョレ」と「週刊金曜日」は提携していたことを思い出しました。

731部隊」「撫順戦犯管理所の奇蹟(中帰連)」「従軍慰安婦」「南京大虐殺」は「朝日新聞記者(本多勝一植村隆)」を世に出しました。その連中が「週刊金曜日の代表」になっていましたね。

韓国人テロリストのビザ免除を中止せよ! - 姥桜

 

今、中国は日本の悪口を表立って言えないものだから、韓国の北朝鮮系のメディアに言わせているのではないでしょうか?

朝日新聞週刊金曜日」は北朝鮮中国共産党の傀儡ですからね。ここで中国の点数稼ぎでもしているのでしょうね。

 

問題の記事はこちら

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[書評]殺人鬼を善良な証言者にした「撫順戦犯管理所の奇蹟」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース

ハンギョレ 2020.1.19配信

>「謝罪しなければ人間ではない」撫順戦犯管理所日本人犯罪の生涯を扱った「大河ドラマ731部隊生体実験・虐殺・戦時性膀胱告白…孤立と殺害の脅威に怯まず生涯贖罪

『私は戦争犯罪者です』

キム・ヒョスン著/西海文集・1万9500ウォン

(中略)

 1956年、日本に帰還し始めた戦犯数百人は、日帝侵略の証言者として立ち上がり、血がにじむ声で反戦平和を叫んだ。

(中略)

特に矛盾戦犯管理所の改造作業にはキム・ウォン、オ・ホヨン、チェ・インゴルの朝鮮族3人の改造作業が目立った。なかでも管理所2代目所長を務めたキム・ウォンは、戦犯改造作業が「自分自身に対する教養でもあった」と明らかにするほど熱誠的だった。

(中略)

韓中日で発刊された手記と回顧録、論文と報告書、定期刊行物や映像資料などを精巧に築き上げた『私は戦争犯罪者です』(西海文集)は、でたらめが少しもなく緻密でしっかりした内容だ。

以下略

「でたらめ」と分からぬように、わざと“緻密” にしたわけです。

まあ、こういうことが理解できないのが韓国人らしいってことですね。

どんなに矛盾した話も「反日」ならば許される環境が韓国人の頭を劣化させているのでしょう。

それにしても「朝鮮族3人の改造作業が目立った」ということですが、言い換えれば「朝鮮族3人の共産党員の過酷な洗脳作業が目立った」ということで、「撫順へ引き渡された日本人を自殺に追い込むほど酷いことをした」ことを礼賛しているのですから…(呆)

つまり日本人兵士の証言が「脅迫」されて「偽証」したということなんですよ。

なぜ、こんなことがわからないのでしょうか?

 

 

中国共産党反日宣伝

「中帰連」から「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」まで 日本国内の反戦の声--人民網日本語版--人民日報

 

日本「中国帰還者連絡会」中国訪問写真集--人民日報ニュース--2000.10.02

 

中国侵略日本人戦犯供述書選--政治--People's Daily Online

 

日本共産党赤旗

日中不再戦を誓う/元戦犯管理所 設立60周年で式典/中国

 

この「中国帰還兵」の話はもう20年近く前に「中国共産党の人間改造(洗脳)」によるものだったとバレているんです。それでも、中国共産党日本共産党は「嘘も百回唱えれば真実になる」とばかり嘘をつき通しています。

この図太さにはある意味感心させられます。

 

一般的には「中国帰還兵」と言ってますが、正確には「ソ連強制連行(シベリア抑留)から、中国共産党に引渡された日本兵」です。

これは、「コミンテルンの暗殺者:周恩来」が中心となって行われた「人間改造(洗脳)」です。

 

【「天皇の軍隊」を改造せよ】

高尾栄司 著

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 >日本の降伏に伴い、関東軍ソ連軍の代表は8月18日、停戦交渉に入った。しかしスターリンソ連は、武装解除後の日本軍捕虜のソ連移送命令を下したのだった。日本が敗戦を迎えた時点で、旧満州地方には約170万人の日本兵がいた。そして、そのうち60万人を超える膨大な数の日本人男子が、ソ連軍によって次々に“男狩り”に遭い、シベリアまで連行され、収容者に入れられ、強制労働をさせられたのである。

ソ連侵攻とその後の混乱期に約18万人が死亡したとみられているので、婦女子を除く日本人男子の大部分が、極寒の地シベリアに送られたことになる。

 

 大部分の日本人捕虜たちは、それから5年の後、シベリアから帰国の途についたが、それでもまだ残されている者たちがいた。シベリアに最後まで残されたということは、ソ連にとり「重要な使命」を持った人物たちであるということだった。

 

 “人間改造”という特許事項

 毛沢東はそんな彼らに着目したのである。スターリンが日本人抑留者に行った政策は、抑留者たちだけではなく祖国の日本人からも反感を買うものとなったが、その点は毛沢東も分かっていた。それでもシベリアに最後まで残された日本人抑留者の引き渡しを要請した、ということは、毛沢東にはスターリンの上を行く計略があったということであろう。

(中略)

 国連の承認をまだ得ていない毛沢東は、日本工作を必須と考え、シベリアに残されていた“つわもの”の日本人捕虜を中国に連れてきて、彼らを“人間改造”し、内外の向けて活用しようと考えたのである。中国共産党を友党としてきたソ連スターリンは、毛沢東からの捕虜引き渡し要請を受け、日本帰還を待つ日本人抑留者たちを中国に送還することにした。

(中略)

 撫順戦犯管理所

 呉浩然は1919年吉林省敦化県に生まれ、若くして東北民主連軍に参加した。(略)

 呉は朝鮮族中国人で日本語教育を受けていたため、完璧な日本語を話せたし、書くこともできた。

 そんな彼に、中国共産党公安部から撫順という町に行って働くよう指令が出されたのである。 正式な名は秘密にされていたが、東北戦犯管理所と名付けられたところで、そこはソ連のシベリアから移管されてくる約1000人の日本人捕虜と元満州国の指導者たちを収監する重要な監獄、ということであった。

(中略)

 呉浩然の他に董玉峰という工作員も、中ソ国境において約1000人の日本人捕虜の接収に携わった。彼は次のように証言している。「(中略)汪部長は、『中央から連絡があって、7月18日に日本人戦犯、8月1日に満州国戦犯が綏芬河に到着し接収することになった。それについて、周総理から次のような指示も受けた』と私に言いました。

『一人の逃亡者も出してはならない、一人の死亡者も出してはならない』と」(同前書)

以下略

 ※旧満州の「ラストエンペラー」の「愛新覚羅兄弟」もシベリア抑留から撫順に引渡されました。これで分かるように、「満州を侵略したのは日本ではなく、ソ連中国共産党」だったということです。

通化事件 - Wikipedia

 

【検証 旧日本軍の「悪行】

田辺敏雄 著

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>学習班はまず、日本語に訳されたレーニンの『帝国主義論』、野呂栄太郎の『日本資本主義発展史』や日本共産党編さんのいくつかの学習資料を回し読みする。

(中略)

「『学習』『認罪』『自己批判』、とめどもないこの運動、朝起きると寝るまで、一ときとも頭の休まる時がない」と星野幸作軍曹(六三師団独歩八七大隊)は当時を回想して次のように記す(要旨)。

 

「一体、国に帰れるのか、それとも殺されるのかと不安な空気が部屋中に充満する。そのうち、手洗い水の原液を飲んで自殺する者、便所で自殺する者も出始める。このため、屋外の便所のドアは取り外され、便器の口を木で狭めたりして自殺者の出ないよう処置がこうじられた。こうした中で多くが末梢神経症にかかり、重傷者は小便の出るのもわからない始末であった。また、記憶にも錯覚が起こってくる。『俗にいう監獄病だよ』と誰かが言う」

 

 こうして各自が書いた「罪行」は検察側の資料として残ることになる。

中国侵略日本人戦犯供述書選--政治--People's Daily Online

 5月になると、個人の認罪の段階からグループの認罪へと進んだ。計画通りの進行であった。グループ別の認罪運動は同じ部隊、同じ職場にいた十数名が一組となった行われ、「まだ隠している」などと仲間を吊るしあげる壮絶な場面も現出したのである。

(中略)

 グループ別の認罪の模様を富永正三中帰連会長は次のように書いている。富永会長は三九師団二三ニ連帯の歩兵第十中隊長(中尉)であった。

 

〈1954年ごろから進歩分子による自分の犯した犯罪行為の告白―これを坦白といった―

が始まった。それは死刑を覚悟する、勇気の要る行動であった。やがて中央から派遣された検察官―私たちの犯罪に対する豊富な資料を準備していたの前で、お互いにその行動を知っている同じ部隊、同じ職場の者、十数名ずつの組を作り、一人ずつたって坦白を行った。

 仲間から「まだかくしている」、「お前の態度には被害者に対して相すまない、という心からの謝罪の気持ちが現れていない」、「殺される被害者の無念の思いがわかっていない」等々の声が上がった。 何度もやり直し、食事もノドを通らぬ状況もあり自殺者も出た。内容が検察官の資料と一致し、悔悛の情が認められてやっとパスする。

 この深刻な、命がけの自己批判と相互批判の学習が数か月続いた。佐官、将官クラスはさらに長く続いた。憲兵、警察、高級将校の中には、海千、山千の頑固者もすくなくなかったが、最後には跪いて謝るようになった。この苦難の学習を経て私たちの顔つきが変わった。鬼畜の状態から人間的良心を取り戻した。つまり、鬼から人間に立ち帰った、ということである。

 こうして1955から56年にかけて、個人差はあれ、ほぼ全員が、これではどのような刑罰を受けても止むを得ない、むしろ当然である、といった心境になった。この時期に自分の過去の行動、犯罪行為を反省をこめて書き綴ったのが『三光』に出ている手記である〉

 

以下略

 

つまり、中国共産党が用意した“ストーリー”を日本人兵士に刷り込ませて「日本軍が残虐な侵略行為を働いた」と世界に宣伝したわけですね。

中国共産党の工作に加担したのが、日本共産党朝日新聞だったわけですね。

 

『検証 旧日本軍の「悪行」』の本をお持ちでない方は、田辺敏雄氏のHP『脱洗脳講座』を参考にしてください。

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脱・洗脳史講座

日本兵の凄まじい残虐 その1 ( 脱・洗脳史講座 )

 

そして、今は関係のない韓国が「被害者」として名乗りをあげだしました。

「どうせ馬鹿な韓国がやっている事だから…」「いつものことだから…」と無視していると「従軍慰安婦」や「徴用工」のように「嘘」が独り歩きするのではないでしょうか。

もう、そろそろ中国共産党日本共産党、左翼(主に労働組合)を追求してやってもいいのではないでしょうか。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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