韓国の英雄「独立軍」が起こした残虐な鬼畜の「間島(琿春)事件」

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

今日の記事も【韓国の英雄「独立軍)の不都合な真実①②】の続きのような内容になります。

 

「北村一輝」が準主役の反日映画が大ヒット ソウルで鑑賞した本誌記者の感想は(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

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>ボイコット・ジャパンに忙しい韓国では反日映画も大ヒット中だ。中でも「鳳梧洞(ポンオドン)戦闘」(ウォン・シンヨン監督)という作品は、韓国併合後に初めて日本軍に勝利した独立軍の話。“極悪”日本軍の将校を北村一輝(50)が演じ、日本でも話題になった。 ただ、このポンオドンなる戦い、寡聞にして聞いたことがない…。

(中略)

三・一運動が始まった翌1920年6月、中国・満州の山間部で起きた朝鮮独立軍と日本軍との闘いを描いた作品で、満足な武器も持たない独立軍が知略で日本軍に初めて勝利を収めたストーリーである。

(中略)

「話はとにかく単純で、“日本は悪で韓国は正しい”という構図です。北村が演じている安川二郎少佐は、冷酷無比な殺人マシーンです。(略)」

(中略)

「日本軍はもちろんひどく描かれています。独立軍を追って村を襲撃するシーンでは、笑みを浮かべた日本兵が、無防備な老人、子供、女性を銃で撃ち、刀で斬り、なぶり殺しにしていきます。レイプされる女性もいますし、殺された子供を抱いて泣く母親を見て、笑い転げる日本兵も描かれます」

 

 そこに出てくるのが“正義”の独立軍である

 

「いかにも韓国映画的ですが、それまでドンパチやっていた独立軍が最後に北村や池内を追い詰めた時には、刀での斬り合いとなるんです。主人公は北村にこう叫びます『戦争遊びはもうやめて帰れ!』と捨て台詞を吐いて去って行く」

 

韓国人はスカッとするだろう。日本人だって、こんな日本軍はイヤだもの。

 

「アクション活劇なら構わないのですが、困ったことにエンドロールで、独立軍が発行していたという『独立新聞』がクローズアップされてるのです。この物語は史実がベースである、と……まあ、韓国人が日本兵を描けば、こうなるのは仕方ないかもしれませんが、それにしてもこの映画は酷い。私も正直言って不愉快でしたね」

 

 劇場からは、「歴史を忘れた民族に明日はない」と呟いて出て行く韓国人もいたという。

 

■日本軍はいなかった

「鳳梧洞戦闘」は韓国の高校では、必ず教科書に載っており、日本軍の死者157人、負傷者300人に対し、独立軍の死者はたった1人とされる。朝日新聞は「韓国独立の苦難を語り継ぐ アジアの教室から」(1995年7月17日付)と題して、こう報じている。

 

<六月末、ソウル市にある漢城科学高校の、三年生の国史の授業を見せてもらった。(中略)この日の授業では、一九一九年の三・一独立運動後に、各地で編成された独立軍の戦いぶりを取り上げた。一九二〇年に中国東北地方で日本軍に対して勝利を収めた「鳳梧洞(ポンオドン)の戦闘」「青山里(チョンサンリ)の戦闘」が中心だった

 

さすが韓国通の朝日である。日本に勝利したことは事実あるようだ

 

<日本軍の韓国人虐殺を記した歴史書の一節も、スクリーンに映し、読み上げた。

「かまゆで、皮をむき、妻の前で夫を殺して見せ、妊婦の腹を刺し……。それでもわが独立軍は屈しなかった」。 残虐な行為の連続に、生徒からどよめきが上がった。金先生は終始、淡々と授業を進めた

 

 映画と同じ論調である。朝日の記者諸氏には当たり前の史実かもしれないが、日本人でこの話を知っている人がどれほどいるだろうか。日本の歴史家(現代史学)・秦郁彦氏に、どんな戦いだったのかを聞いてみた。

 

ポンオドン? 知りませんねえ。ちょっと待って、韓国の国定教科書を見てみるから。 ああ、あった。 1920年満州でねえ……、当時、満州には100万人もの朝鮮人がいました。 後に北朝鮮国家主席となる金日成(キム・イルソン)もそうです。

ただ、そのころ、満州の朝鮮国境付近に日本軍は駐留していません。 一体、どういう戦闘だったのでしょうか。それほどの被害があったのなら日本にも記録があるはずですが、それに街頭するような記録は見当たりません」

 

記録がない?

 

(中略)

現在、この映画は、アメリカ、カナダ、ドイツ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、オーストラリア、ニュージーランド、中国、シンガポール、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、タイの15カ国での公開が決定したという。

以下略

    ⇑

この「鳳梧洞の戦闘」というのは、「間島(琿春)事件」のことだと思います。

 

間島事件 - Wikipedia

>間島事件または琿春事件とは、朝鮮と国境を接する間島の一部である中華民国吉林省の琿春が1920年9月12日と10月2日の2回にわたり馬賊などに襲撃された事件。

 

「ポンオドンの戦闘」なんて聞いたことがないのは当たり前です。

韓国の「創作」だからです。

 なぜ、「鳳梧洞(ポンオドン)」などという変わった名前に変更をしたかというと「間島(琿春)」は「朝鮮」ではなく、「満州(現在の中国東北部)」だからです。

馬賊(独立軍)が「中華民国」に入り込んで、日本人町を襲撃した事件だからです(不法侵入)。

秦先生がおっしゃる通り、そこには「日本軍」はいませんでした。なので、「戦闘」などあり得ません。

 

そして、「日本軍が行った残虐行為」というのは、実は「独立軍(馬賊・匪賊)」が日本人と朝鮮人に対して行った残虐行為だったのです。

つまり、この韓国映画の「無辜の老人、子供が残忍に殺され、女性がレイプされた」という被害者は日本人(朝鮮人含む)だったのです!

 

神戸大学新聞文庫 大阪毎日新聞 1920年10月9日

過激化せる間島匪賊團 

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昨年三月朝鮮独立示威運動勃発以来多数の不逞鮮人は間島地方支那官憲の取締緩慢なるに乗じ、此地を不逞運動の策源地として其暴威を逞うし、密に露領方面より武器弾薬の供給を受け昨年五月、間島帝国総領事館の一部を焼き打ちたるを手始めに、屡次帝国国境内に襲撃して多数の日鮮良民を殺害し、公衙を爆破し、朝鮮銀行護送現金を強奪し、商埠地内に襲撃して白昼帝国警察官吏を殺害するなど、所在残忍兇行の有らん限りを尽くし、最近に至りては各地に兵舎を設け武官学校を経営して荘丁の徴募教練をなし、多量の糧食を蓄うるなど、次第に其基礎を固め一挙にして朝鮮の武力を侵撃せんとする情勢を示すに至りたるが、

(中略)

多数の不逞鮮人、露国過激派、馬触並に支那官兵の服装をなせる多数の支那人より成る匪賊の一団は在琿春帝国領事館を襲い郵便室外一棟を除き本館、官舎等悉く灰燼に帰せしめ、佐谷警察署長を始め十数名の帝国警察官の殺傷せられたる外商埠地内に火を放ち、邦人中多数の被害者を出し、老幼婦女子にして見るに忍びざる虐殺を受けたるものがあるが如き、近来稀有の一大椿事を惹起するに至れり。

思うに近時奥地に蟠居したる不逞鮮人が支那側の追い払いに遇い多少の失望と不平を抱き各馬賊と相接近せんとする徴候を呈し其行動益々激越を加え露国人と通ずるに至りたると、今回琿春襲撃の匪賊が特に帝国領事館を襲い多数帝国官民を殺傷したる事実に顧みる時は、右は従前に於ける単純なる馬賊と認め難く、過激派的色彩を有する暴徒たるに至りしは、何人も首肯するところなるのみならず、現に該馬賊中百余名の不逞鮮人、五名の露国人の加わり…

以下略

 

神戸大学新聞文庫 大阪朝日新聞 1920年10月11日

琿春出兵通告 小幡公使より支那政府へ(東京電話)/大総統令出づ(北京九日発)/

鴨緑江沿岸の不穏(奉天特電十日発)/不逞鮮人蠢く 其後の間島状況(東京電話)/大庭中将急遽帰任/過激派の摩手か 上林咸鏡北道長官談(清津特電)/琿春死傷者

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神戸大学新聞文庫 大阪毎日新聞 1920.10.16

摩手に弄ばれた琿春 其残虐は尼港以上 我居留民必死の防戦振り】 

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>賊徒は館内に闖入りせり内鮮人の巡査はバタバタと倒れ、火は刻々に猛威を振るうて本館は全く火焔に包まれ了れり。 賊徒等は其の摩手を逞しうしつつあり。 領事館危急同胞危うしと見て数名の決死隊員等は此れ大修羅場に向かって闖入し来りしが哀れ正門を入らんとする。

一刹那悉く敵弾に斃れたり。本館は将に放り尽されんとして館内の同胞は館外に逃れ出でしが、無残賊の一斉射撃に悉く枕を並べたり。 中には爆弾を擲付けられ身体粉砕せしものあり。遉は日本人婦人なる哉。彼の渋谷警部夫人や原田領事館員の夫人は、子供を背負いながら拳銃を手にして立ち居たりという伝う。 猛火の裏を駆摺廻って奮闘したる渋谷夫人は軈て夫の姿を見失い狂気の如く渦巻く火焔の中を辛くも辿り出で、乳飲子を背負える体を板塀に手を懸けて乗越えんとする。一刹那三名の賊徒は夫人の身近く迫り未だ其塀を降り切らざる背後より、数段を浴びせ懸けたり。 其一弾は夫人と小児の脳天に命中して、脳漿飛出し付近の板塀に付着せり。 是さえも実に惨中の惨なるに、賊徒は尚傔らず四肢を切り、耳舌を切断し、凡ゆる凌辱を加えたり。真に悪虐無道の極みなり。鈴木商店員・野中右一氏は健闘力竭き領事本館の焼落つるに及んで纔に身を以て逃れ裏手の煉瓦塀を乗越え支那人の店を突き抜けて街路に出でんとする所を不運にも賊徒の目撃する所となり、毒弾に非業の最期を遂げたるが、賊徒は小銃剣を突き刺して死体を抉り廻し、更に所持の金品を奪い、洋服を引剥ぎたり。

(中略)

財物を積める十台の馬車に手を縛められたる三名の内地人、四十名の鮮人鞭を当てられつつ続けり。支那軍は賊徒引揚げ(中略)支那官兵の所業は実に言語道断にして、賊徒と入換りに、日本人宅に闖入し、実地被害状況を検査すと称して、盛に残れる商品や家財を椋奪したり。

(中略)

領事館内の内外に斃れたる十二の死体は、半ば焼け焦げ、何れも惨らしき虐みを加えられたるを見る。 賊徒は其銃殺したる死体を更に銃剣にて幾十となく突き刺して、蜂の巣の如くならしめ、手を断ち、肉を切り、婦人は首を締め付けられ、子供は頭蓋骨を粉砕せられ居たり、死者の数は少けれども、其残虐さは尼港以上にして聞くさえ、戦慄を覚えしむるものあり。 気の毒なるは遭難者にして家を失い、子供を失い、又、両親を失って泣く三歳の小児を見るに及んでは、只涙のみ。 身に数弾を受け「死にたかった」とてヨヨと泣伏す婦人あり 悲哀は尽きず城内に入りて見れば、茲は九月十二日襲撃を被りて鮮人街は大半鳥有に帰し、琿春は挙げて破壊と混乱の巷となり了せり。

(中略)

琿春に来襲せし賊徒の集団は襲撃後遠くの北方の山中に引揚げたるが、其拉致せる内鮮人中、歩みの遅きものは途中にて片っ端より殺害し、我追撃隊は是等二十五の死体を発見せり。 

以下略

 

※「尼港事件」参考動画:

 教科書が教えてくれない   歴史】

尼港事件 - Wikipedia

 

神戸大学新聞文庫 大阪毎日新聞 1920年10月12日

惨儋たる災後の琿春 邦人は斯うして虐殺された 再度来襲した匪賊團の系統(慶源特電十日発)/大活動開始されん(間島特電十日発)/禍根を将来に絶たん 堺間島総領事代理の論告(間島特電十日発)】

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邦人と見れば悉く惨殺

 第二回目、万順等の来襲は前回の馬賊的なるに反し、全然パルチザンと同一の遣り口にして、惨酷を極め、邦人と見れば悉く惨殺せり。 弾丸に中りて斃れしものにも無数の突傷あり。 又手、足、耳を取り去られし死体あり幼児の頭蓋骨を割られたるあり。 婦人の弾丸に斃れ更に絞殺されたるあり。 賊団は言語に絶する残虐を敢てせり。 今尚犠牲者の死体を納めたる棺は血潮に塗れ居れたるあり。 殊に気の毒なるは六歳の小児の父母にして其の子は賊に殺され、自らも亦左足を撃たれ、人に世話をされつつあるものあり 見る者をして暗涙に咽ばしむ

以下略

 

当時の新聞の一部を引用させていただきました。

※「神戸大学経済経営研究所」の方々には、このような貴重な資料をまとめてくださり、また、一般の私たちにも閲覧できるように配慮してくださり、心から御礼申し上げます。

 

さて、韓国の「反日映画」なるものが、韓国人の手で世界にばら撒かれているようです。

全く「史実」とはかけ離れているどころか、韓国(朝鮮)人自身が、日本人や同胞の韓国(朝鮮)人達を惨殺していたわけです!

 

朝日新聞」が、どうして韓国のデタラメ歴史を広めているのか?と不思議ではありますが…「朝日新聞」には訂正記事を出してほしいと思います!

 

それにしても、韓国人は「めでたい」人たちですね。

自分たちの祖先が「独立軍(馬賊・匪賊)」に虐殺されていたというのに…

韓国人って「狂っている」としか言いようがないですね!

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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