今日もお立ち寄り有難うございます。
韓国民団 光復節中央記念式
志位委員長のあいさつ(全文)
植民地支配によって、国を奪い、文化を奪い…日本国民は忘れてはならないと思います。
前回に続いて、志位和夫の言っている内容の検証させていただいています。
『悲しい歴史の国の韓国人』宮脇淳子著
李氏朝鮮の時代にそれまであった車輪がなくなってしまった。
モンゴル軍が来ているので、もちろん馬もいました。先に述べたように、済州島は日本にも近いので、モンゴル人が直轄地にして日本攻略の拠点として、馬を入れたのです。
李氏朝鮮時代になっても、この済州島の馬は死に絶えなかったのですが、羊はいなくなってしまいました。 おそらく食べてしまったのでしょう。
また、高麗時代にあった荷車が、李氏朝鮮時代には車輪がなくなってしまいます。
(中略)
車がないということは、重いものすべて人間が背負って運ばなければまらないということです。 しかも樽をつくれないので、お酒はあったとしても、すべて、土甕(つちがめ)に入れて人が背負う。
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上級階級の者は、このような人力?で移動していたのですね。
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染料がないので白い服を着るしかなかった。
交易といえば、シナの王朝である明や清に朝貢して、モンゴル馬や宦官や女官などを贈り、シナの王朝から下賜されるかたちでモノをもらうしかありません。
通貨も第四代の世宗大王の時代に鋳造して普及させようとするのですが、もともと経済活動の発展がないので、ほとんど流通していません。
シナから輸入された染料などの貴重品は人口の一割以下しかの両班しか使えません。両班だけは衣類に染色もしましたが、庶民は染色するお金があったら食べものを優先させてしまうので、みんな真っ白い服を着ていた。 日本統治時代すら、どの写真を見てもみんな汚れた白い服を着ています。 生成りの色のままで、色ものを着なかったという証拠です。
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さて…それでは、あの韓流歴史ドラマのド派手な衣装は?
画像はお借り致しました。
もしかして、シナの皇帝ドラマを模倣したのでしょうか?
しかも…
兵士、書士、庁舎の雑卒、両班と文人階級の男たちにそこら辺のひま人が集まり、大声を張り上げるわ戸の紙を破るわであるから、わたしはうんざりする2時間を味わった。
清国と同じようにおよそ野卑で不作法な文人階級の男たちを先導とする朝鮮人の野次馬は、ただただ耐え難い。
しまいにわたしは女たちの住まいのほうへこっそり引っ張っていかれたが、そこではまたべつの飽くことを知らぬ好奇心のえじきになった。
朝鮮の下層階級の女性は粗野で礼儀知らず、日本の同じ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそほど遠い。
(中略)
農家の女性にはなんの楽しみもないといえるかもしれない。 仕事の一部を嫁に肩代わりしてもらえる日が来るまでは、働きづめに働くばかりである。
30歳で50歳に見え、40歳ともなればたいがい歯がない。 おしゃれへの関心すらごく若いうちから消えてしまう。
そんな朝鮮人女性に日本は光を与えました。
『「日韓併合」の真実 韓国の主張する「七奪」は日本の「七恩」だった』
水間政憲著
写真① 朝鮮人女性の服装の洋風化を伝える『大阪朝日・南鮮版』
(1941年11月25日付)
朝鮮人女性は、これによって「乳出し」しなくても良くなったわけですね。
素朴な疑問として…乳出しは、夏は蚊に刺されるし、冬は寒風にさらされて寒いのではないかと思うのですが、どうして乳出しの衣装が伝統となっていたのか不思議です。
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もしかして、志位和夫は男性として「乳出し」ルックをやめさせた日本を恨んでいるのかもしれませんね。
韓国人が、本当に日本に文化を奪われたと思っているのなら、また「乳出し」ルックに戻ればいいことではないでしょうか。
つづく
最後まで拙い長文にお付き合いくださいまして有難うございます。
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