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朝鮮日報 2019.10.7
在米大韓帝国公使館、工事代金未納で抵当権設定(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース
>米ワシントンにある大韓帝国公使館が補修工事代金の未納で現地業者に抵当権を設定されていたことが6日までに分かった。 公使館を管理する韓国文化財傘下の国外所在文化財財団は今回の一件で米国の裁判所に民事訴訟を起こされ、関係者が警察当局の取り調べを受けている。
金栄珠(キム・ヨンジュ)国会議員(共に民主党)が入手した裁判所資料によると、国外所在文化財団は在米僑胞のB氏が運営する現地業者に公使館の補修代金約12万1000ドル(約1290万円)を支払わなかったとして、今月3日に提訴された。
訴状によると、同業者は昨年2月から今年5月にかけ、総額15万4500ドル相当の工事を完了したが、うち3万3000ドルしか受け取っていないと主張した。
業者は公使館の建物に根抵当権を設定した。 また、公使館の館長と幹部は工事代の支払いに関する契約書の署名を偽造した疑いでワシントン警察当局の捜査を受けているという。
そもそも『大韓帝国公使館』って何?
日本が清国に勝利して、下関条約で『李氏朝鮮』を独立させたわけだけど、『皇帝』でもない朝鮮の王が勝手に『大韓帝国』という国名を付けたんですよね。
でも、高宗は閔妃の尻の下に敷かれ、国の運営など全く出来なかった。
閔妃は国民からカネを吸い取っては散財して国家破綻していました。
ロシアに保護を頼んだものの、実はロシアも貧乏で「カネ」がない。
このとき、日本はロシアから賠償金さえもらえなかった。
結局、日本に泣きを入れて「日韓併合」になったわけだけです。
たった…たった…13年間の『大韓帝国』を、しかも国として「体を成していなかった」のに、なんで米国の首都に『公使館』を建てたんでしょうね?
韓国人って…本当に見栄っ張りですねぇ。
『公使館』というくらいですから、韓国が運営しているのかと思えば、どうやら「在米韓国人」の個人が経営しているらしい。
しかも、契約書の署名まで偽造というから、悪質極まりありませんね。
韓国人って、大手を振って詐欺をするんですね!
さて、本国の韓国も実に恥ずかしいことをやっております!
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朝鮮日報 2019.10.9
明成皇后記念メダル(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース
>韓国造幣公社が8日、ソウル市鐘路区の景福宮乾清宮で、「明成皇后冊封金宝」記念メダルを公開した。 「明成皇后冊封金玉」は1897年の大韓帝国宣布後、高宗の妃が明成皇后(閔妃)に冊封された時にささげられた金宝(王室印の1種)だ。8日は明成皇后殺害から124年目。明成皇后は1895年10月8日、乾清宮で殺害された。
韓国では「閔妃」を180度誤解しているようです。
朝鮮をボロボロに喰い潰した「閔妃」を「記念」するって…傍から見たら「基地外」としか思えません。
朝鮮の「改革派」を徹底的に弾圧して虐殺した「閔妃」を祀り上げる韓国人は真正の「基地外」です。
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>明成皇シンドローム
「明成皇后」は日韓で教科書問題が起こった2001年、韓国文化界の話題であった。
明成皇后とは、朝鮮末の改革に徹底して抵抗し、日本と朝鮮の革命勢力の攻撃を受け殺害された王妃である。
この人物は、評価のしかたによって閔妃、閔后、明成皇后などと複数の呼称をもつが、かつて韓国では「閔后のような女」といえば女性に対する最大の侮辱であったという。
閔妃は朝鮮を滅ぼした王妃として人民たちの軽蔑の対象だったのである。
そんな人物が教科書問題以降、にわか愛国と忠節の象徴となり、ドラマ、ミュージカル、演劇、映画など、あらゆるジャンルで万古の愛国者として追慕されはじめたのだ。
(中略)
おわかりのように、この閔妃に対する神話は、歴史的事実を180度糊塗したものだ。では、はたして閔妃の真実とはどのようなものだったのか。
(中略)
日本がロシアに屈服して遼東半島から撤収したという知らせを聞くと、閔妃と朝鮮の守旧勢力はロシアをバックに再び政権を掌握する。
閔妃は金弘集と朴泳考が率いる革命政府を徐々に圧迫し、甲午改革の成果を一つひとつ元に戻しはじめた。
時が経つにつれ、朝鮮の政界は次第に親露派の勢いが強くなり、数ヵ月後に金弘集は失脚、1894年の革命政府樹立に決定的な役割を果たした日本公使・井上馨も、退潮する日本勢力とともに東京へ帰ってしまった。
このような情勢のなか、1895年8月になると朝鮮内閣には改革勢力が1人もいなくなり、閔妃に唆された親露派だけが残った。 閔妃が主導する親露派は、施政改革の中心だった軍国機務処を解散し、改革政府が成し遂げた改革の成果を無にしはじめた。
それほど経たないうちに、朝鮮の改革は水の泡となる危機に瀕した。日本の支援がなくなった朝鮮の改革勢力は、あまりにも非力だった。そこで、当時朝鮮の革命勢力を率いていた朴泳孝は、守旧派の首魁である閔妃を排除する決心をしたのである。
(中略)
事実、閔妃はその政治的な性向から改革に強く抵抗した反逆者であったが、人格的にもそれほど肯定できる人物ではなかった。
閔妃は王妃になって以来、高宗の愛妾たちを一人残らず捕らえて拷問したり殺したりしたと伝えられている。 当時の王宮の権力は、王妃が管掌する内命婦(宮女たちの世界)と王が管掌する外命婦(官僚・官吏の妻や王の娘)に分かれていて、王といえども内命婦のことには関与できなかった。
したがって、王妃には王と同衾した宮女たちを拷問したり殺したりする権限があった。
閔妃は高宗の愛妾たちに宮刑を加えて殺したが、なかには高宗の哀願によって死を免れ、王宮から追い出された宮女もいた。
閔妃は愛妾たちを虐待することで高宗を掌握したのである。
また、閔妃は無知で強欲で、ひどく利己的であった。 彼女はあらゆる悩みを迷信に頼って解決しようとした。 かつて閔妃は2歳になった王子坧(後の純宗、朝鮮の最期の王)を世子にするため、清国の李鴻章に銀20万両という夥しい賄賂を贈った。
坧が清国から世子として冊封を受けた後は、1万2千もある金剛山の山嶺のひとつに1000両のカネと米1石、絹1疋を捧げ、世子の無病長寿を祈ったという。
国庫金1200万両を迷信に蕩尽してしまったのだ。
当時は米1石が1両、牡牛1頭が20両だったから、これがどれほどの巨額かがわかる。
また、いつも宮中にムーダン(巫女)を呼び入れて巫儀式が行われない日はなかったという。優れた占い師にはその場で絹100疋とカネ1万両を渡すなど、湯水のごとく国のお金を使った。
閔妃が政権を掌握した後、このような4年が流れると、朝鮮の国庫は底をつき、すべて公務員への俸給が滞るようになった。 以来5年間、朝鮮の文武百官は政府から一銭の給料ももらえなかった。
俸禄が出ないと、官僚たちは利権ブローカーとなって蓄財し、人民の暮らしは日に日に悪化していった。
閔妃だけではなかった。
閔妃が朝鮮の国政を壟断した22年の間、閔妃の一族である驪興閔氏らは朝鮮のあらゆる要職を独占して、庶民の膏血をしぼった。
閔妃の執権期間中、公職にあった驪興閔氏は2000人を超すという。
つまり、閔妃は朝鮮の自主独立を願った救国の希望ではなく、朝鮮を滅ぼした亡国の元凶だったのである。 閔妃は決して朝鮮のジャンヌダルクではなく、むしろ中国の西太后に匹敵する人物だ。 西太后は清朝末期に中国を48年間も統治して、亡国の危機に至らせた女帝である。
(中略)
閔妃には国がどうなろうと関係なかった。腐りはてた李氏王朝を維持し、自分の一族の繁栄のために、日本についたり清国についたりロシアについたりして、ことごとく朝鮮の改革を妨害した人物だ。このような女を今になって、自主独立の殉教者であるかのように描写するのは、歴史に対する深刻な歪曲にほかならない。
(中国)
閔妃や閔后と呼ばれていた人を、なぜ突如として明成皇后と呼ぶのか、理解できない。 朝鮮が大韓帝国に名を変えたのは1897年であるが、閔妃が死んだのは1895年である。
日本が清国と戦争して勝利したから、朝鮮は500年ぶりに初めて中国から独立し、帝国という名を使用できるようになったのである。
閔妃は生涯、王妃または王后にすぎず、一度たりとも皇后であったことはない。この呼称は死んだ後に付けられたものである。
死後の呼称も、最初は「嬪」に格下げされたが、後に閔后とされ、大韓帝国成立後、初めて明成皇后と追認されたのである。
朝鮮人は長い間、閔妃または閔后と呼んでいたので、これが自然な名前である。
死後の名前といえどもあえて賤しめて呼ぶことはないが、高宗を高宗皇帝と呼ぶのがおかしいのと同様、閔妃を明成皇后と呼ぶのは不自然である。
国民は飢え死にしかけ、官吏の俸給は何年間も滞り、すでに十分な軍隊さえなくなって、外国軍2000人に簡単に占領されていた。
そんな朝鮮が、突然、建元稱帝(独自の年号を用い皇帝と称すること)をして国号を変えたからといって、王が皇帝になり、王妃が皇后になるのではない。
およそ皇帝とは「王中の王」という意味である。
アジア大陸ではもっぱら天子のみに付けられる呼称だったのだから、朝鮮の王が皇帝を称するのはちゃんちゃらおかしい。
英語では“Emperor”であり、この呼称が適用される君主は、大陸の天子と日本の天皇ぐらいだ。
以下略
韓国人の“妄想”は韓国内だけで通じるものです。
しかし、こうして日本のネット新聞に出るようになると、もはや“韓国人の妄想”で済まなくなりますね。
恥をかくのは今の韓国人です。
そして…未来の韓国人(韓国の子供達)です。
世界の笑い者になっているのが分からないんでしょうかね?
どうして韓国人は“矛盾”に気がつかないのでしょうか?
息抜きのための参考動画:YouTube (ピザの起源は韓国?)
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