今日もお立ち寄り有難うございます。
今日は戦後75年の節目の「終戦の日」ですね。
英霊たち、ご先祖様に感謝を込めて黙祷を捧げました。
さて、そのような日にまたもや中共の禁断のビデオ爺さん(村山富市)がよからぬ寝言を呟いていました。
産経新聞令和2年(2020)8月15日
>村山富市元首相は15日、戦後75年を迎えるにあたり、平成7年の「村山談話」に託した思いとして談話を発表した。「中国・韓国・アジアの諸国はもとより、米国・欧州でも、日本の戦争を侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地解放の戦争だったなどという歴史認識は全く受け入れられるはずがないことは自明の理だ」と改めて強調した。
( ゚Д゚)ハァ?
先の大戦は日本が中国・韓国・アジア諸国を侵略するための戦争だった?
何を寝言をほざいていらっしゃるんでしょうか?
そもそも当時の支那大陸は欧米列強にパズルのように占領されていたではありませんか!
その証拠に、戦後にポルトガルからマカオが、イギリスから香港が返還されたという事実があります。
因みに、「満州国」はそもそも「漢民族中心の中国」とは違います。満州国は遊牧民の満州族のもので、「大清帝国」の継続国家です。
韓国は当時すでに「日本」と併合していたわけです。
現在の韓国は日本を「戦犯国」などと罵倒していますが、当時の韓国人は日本人と一緒になって米国と戦っていたんです。
「大韓帝国」なんてものは、「日清戦争」で日本が勝利して「下関条約」によって、大清帝国から独立できた国です。つまり、朝鮮半島は日本によってやっと独立できた国なんです。なぜ「日韓併合」に至ったかって?そりゃあ、当時の高宗は国の経営を立派に果たせなかった、嫁の閔妃が贅沢三昧で国のお金がなくなって日本に借金を申し込んだが、結局返済できないほどの最貧国だったということですよ。
東南アジア諸国は、みんな欧米の植民地でした。
日本がアジアで戦わなかったら、今もアジア諸国は欧米の植民地のままだったかもしれません。
「アジアの解放」を促したのは、間違いなく「大日本帝国」です!
さて、その「村山談話」なるものですが…
過去記事:怪しげな「村山談話」が、中韓の「恐喝外交」を促進させた - 姥桜
この「村山談話」は、実は「チャイナスクール」の「谷野作太郎」が原案を作成したという事実があります。
⇑ こちらをクリックすると記事が出てきます。
中国語研修(チャイナスクール)、香港総領事館副領事、ソ連大使館一等書記官、中華人民共和国大使館一等書記官、アジア太平洋局南東アジア第二課長、アジア局中国課長、内閣総理大臣秘書官、韓国大使館公使、…インド大使、中国大使…日中友好会館副会長…
すごい中国通なお方なんですね。
この方も「禁断のビデオ」組かしら?
この方、「村山談話」に限らず、「河野談話」にも関与していたんですね。
「アジア女性基金」の立ち上げにも尽力したとか…
「中国大使」時代、「韓国大使」時代に「禁断のビデオ」で天にも昇る生活を満喫していたのかもしれませんね。
さて、その「村山談話」なんですが、なぜか「人民日報」が多用する語句が含まれているようですよ。
⇑ こちらをクリックすると記事が読めます。
<「村山談話」閣議決定時は“異様な雰囲気”人民日報が多用する語句も 検証プロジェクト>
>1995年8月15日、当時の村山富市首相が戦後50年の節目に発表した「村山談話」を検証するプロジェクトで、事務方の内閣官房副長官だった古川貞二郎氏が、閣議決定時の異常な雰囲気を証言した。
また、村山談話の中に、中国共産党の機関紙「人民日報」がよく使用するフレーズが使われていたことにも、プロジェクトチームは注目しているという。
(中略)
村山談話については最近、「謝罪ありきで、理論的裏付けもなく、秘密裏につくられた」という批判が噴出している。古川氏の証言は「閣僚に十分な根回しをしなかった」ことを裏付けるものといえそうだ。
検証の中で、実に興味深い指摘があった。
和田氏は「村山談話の中には『疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し~』という部分がある。チームの一員である拓殖大学の藤岡信勝客員教授によると、この『疑うべくもない~』というフレーズは、人民日報が頻繁に使用しているという。どうして、これが入れられたのか…」と首をかしげる。
確かに、ネット検索で「疑うべくもない」「人民日報」と入れると、「第二次世界大戦後の裁判結果は疑うべくもない」(人民日報日本語版、3013年3月16日)、「忙しい仕事の合間を縫って旅行することは、生活における最高の癒しであることは疑うべくもない」(同、15年4月30日)などと、いくつも出てくる。人民網は、人民日報のニュースサイトである。
以下略
そりゃあそうでしょうよ。チャイナスクールの禁断のビデオ君(谷野作太郎)が作成したんだもの。禁断のビデオ君(谷野作太郎)は、中共の工作機関といわれている「日中友好会館」の副会長をされているわけですから、「人民日報」と同じ文言を使うのは「友好」の証というか…中共のオウムみたいなもんですから。
最初の産経新聞の記事で村山富市が使っている「自明の理」という言葉も、中国の機関紙がよく使うフレーズですよね。
要は、「根拠となる証拠」が提示できない場合に「疑うべくもない~」「自明の理」と物事を断じるフレーズを用いて、相手を納得させようとしているんでしょうね。
こういうところは、大雑把な中国っぽさを感じさせます。
人民日報 2013
⇑
村山富市が手にしている色紙に「歴史を鑑に~」と書かれていますが、この文言は鳩山由紀夫が民主党代表時代に北京を訪問した際にも「歴史を鑑に~」と言わされています。
村山富市も鳩山由紀夫も、一体のどこの国の「歴史」を学んでいたのでしょうか?
いや~、それにしても「禁断のビデオ」の効き目は凄いですね。
みんな、一瞬で中共のオウムになってしまうんですから。
因みに「歴史を鑑に、人民日報」と検索すると、沢山の記事に使われています。
皆さんも試してみてください。「歴史を鑑に~」のフレーズがいっぱい出てきます。
鳩山訪中から見る中日関係発展への道--人民網日本語版--人民日報
>歴史を鑑とするのは、やはり中日関係を良好で健全に発展させることが目的
鳩山訪中から見る中日関係発展への道 (2)--人民網日本語版--人民日報
>歴史を鑑として、初めて未来に向かうことができる
日中関係、歴史を鑑として初めて「氷を砕く」ことができる―中国大学教授|レコードチャイナ
>日中関係、歴史を鑑として初めて「氷を砕く」ことができる
あっ、感心していてはいけませんね。
つまり、日本の歴史的事実が歪められて、中国の創作した歴史観を日本人に植えつけられているってことですから憂慮すべきことですよね。
戦後75年の節目に禁断のビデオ君・谷野作太郎を国会招致して色々聞きだして欲しいものです。
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