今日もお立ち寄り有難うございます。
先日、文藝春秋の村上春樹のエッセイが中国で話題になっているとの記事がありましたので、今日も先日の続きを書きたいと思います。
ハフポスト 2019.5.12
【村上春樹さんが、亡き父の従軍体験を綴った「猫を捨てる」。中国兵“処刑”の描写に中国での反応は?】
>中国メディアが紹介
村上さんがこのエッセイを発表すると、紅星新聞など複数の現地メディアが「村上春樹が、父親がかつて中国を侵略した日本軍にいたことを明かした」と題し、エッセイの一部を中国語に翻訳して伝えた。
紅星新聞は「村上春樹は政治的なメッセージとは無縁だったが、ここ数年で変化がみられる」と論評している。
ただこの記事では村上さんの父親について、自身が捕虜を手掛けたようにも読めてしまい、正確ではない部分もある。
(中略)
今回の記事は中国のネットで拡散され、関連する書き込みはすでに2億回以上閲覧されている。
中国は「南京事件」について「30万人が犠牲になった」と主張していて、「どれが正しいかを認定することは困難」とする日本の見解と対立するなど、歴史問題で日本に向ける視線は厳しい。
今回のエッセイについても、中国人が犠牲になったことが描かれていることから、日本を避難するコメントが多い。エッセイが中国側の主張を補強するものと感じたのか「これこそ真実だ」などといった書き込みもある。
一方で(中略)「戦争を起こしたのは国家だ、日本の国民も被害者ではないか」などと冷静さを求める声も上がった。
以下略
長い記事から、気になる部分を抜粋させて頂きました。
「中国人が犠牲」「中国側の主張を補強するもの」
これこそが、中国共産党の狙いなんだと思います。
最近は、国民が中国共産党(以下、中共)のプロパガンダを信じなくなる傾向があり、中共としては危機感があったのではないでしょうか。
米国からの経済的圧力で、景気の減速が続いています。
そもそも“革命”というのは、経済が行き詰まった時に起こるものですから。
それは“国民の怒り”ではなく、為政者が国民のルサンチマンを駆り立て、利用して、現政権を倒すことにあります。
中共では「天安門事件」をきっかけに、国民の目を逸らすために「反日教育」をいっそう強化しました。
コンチクショウ(金丸、竹下、小沢)に「天皇訪中(天皇の政治利用)」をさせたのも、「天安門事件」で中国が世界から批判されて経済制裁されてしまい…その突破口として日本の天皇陛下(エンペラー)を訪中させて、なんとか世界からの経済制裁を解こうとしたものでした。
なんと、それが“当たり”だったんですね。
世界からの経済制裁が解かれたんです。
その後、小沢一郎は民主党政権の時に、習近平のために二回目の“天皇の政治利用”をしました。
今は「安倍政権」ですから、日本共産党も立憲民主党、社民党も「安倍政権打倒」に必死ですよね。 まぁ、安倍首相は岸信介元首相のお孫さんですから、絶対に中国に媚びたりしないでしょうしね。
岸首相は「日中国交正常化」にも反対していましたので、当時の社会党が「岸首相降ろし」のために、「安保闘争」を激化させました。
社会党訪中団 1959年3月12日
米帝国主義派日中両国人民の敵である
>昨年5月いらい岸内閣の政策によって日中関係はきわめて困難な事態におちいりました。
それまでは、国交回復はおこなわれていないにかかわらず、中国と日本においてはさきに私と張奚若先生との共同声明をはじめとしまして数十あまる友好と交流の協定を結び、日本国民もまた国交回復をめざしながら懸命に交流、友好の努力をつみかさねてまいりました。
しかしついに中絶状態におちいったのであります。このことにつきましては日本国民は非常な悲しみを感じ、かつ岸内閣に鋭い怒りを感じているのであります。
(中略)
また社会党は以上の基本方針にもとづきまして日中国交回復、正常化のために国民運動を展開し、もりあげることにしました。
その要項は、第一、岸政府の政策の全面的転換を実現するためにすべての国民の力を広範に結集し、強力な運動を展開する。
(中略)
この運動をするにあたっては原水爆反対、沖縄返還、軍事基地反対、憲法擁護などの運動と密接に提携してすすめる。
第四、わが党は労働組合、農民組合、青年婦人団体、各経済・文化・民主団体などを結集して財界、保守党の良心分子にいたるまで運動に参加せしめる、とくに我が党が協力している日中国交回復国民会議を強化し、これを通じ積極的に運動を展開する。
(中略)日本における日中国交回復の国民運動を三原則の正しい方針のもとに力強くもりあげて、岸政府の反動政策を打破しさることが第一と確信しております。
(中略)
社会党は安保条約体制の打破を中心課題としてたたかっているのであります。この安保条約を廃棄させて日本の平和の保障が確立するならば、すなわち日本が完全に独立国家になることができまするならば、中ソ友好同盟条約中にあるところの予想される日本軍国主義とその背後にある勢力に対する軍事条項もおのずから必要なくなると私どもは期待するのであります。
(中略)
私ども社会党は、一日も早く中国との国交回復をのぞんでやみません。
以下略
ところが、田中角栄にお株を奪われてしまいましたね。
…それで、次なるは「日朝国交正常化」の運動をしたのに、自民与党が反対するという…結局、拉致問題などで泡沫政党になりましたが。
中共も、まさか、あの岸首相の孫である安倍首相が長期政権になるとは夢にも思っていなかったのではないでしょうか。
頑張れ!安倍首相!
さて、打つ手が古くなった「南京大虐殺」という与太話ですが…
日本人ジャーナリスト(従軍記者)の証言がありますので、少し抜粋させて頂きます。
⇓
【1937.12 「南京事件」日本人48人の証言】阿羅健一著
>―南京の様子はどうでした?
「城壁の周りには中国兵の死体がありました。中山門から見た時、城内には何ヵ所も煙が上がっているのが見えました」
―城内の様子はどうでした・
「特別変わったことはありません。南京で印象的なのは中国兵の死体を見たくらいです」
―虐殺があったと言われてますが…。
「全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。誰もそういうことを言ったことがありません。朝日新聞では話題になったこともありません」
―難民区(安全区)はご覧になっていますか。
「難民区は兵隊や憲兵がいて入れませんでした。そういうことですから市民は安全でした。一般の市民の死体というのはひとつも見ていません。紅卍字会の人が戦死体を片づけたりしていました。
(中略)
「一度も聞いてません。上海支局長の白川さんは軍の最高幹部ともつきあいがありましたけど、白川さんからも聞いたことはありませんでした…」
―最近よく言われていますが…。
「事件というようなものはなかったと思います。私も見ていませんし、朝日でも話題になってません。また、あの市民の数と中国軍の動きでそういうことが起きるはずがありません。私が上海、南京で見た死体というのは、最初、黄浦江の船の周りにあったたくさんの中国兵と、上海市街戦での死体です。あとは南京の城壁ですね。城壁の死体はきれいなもので、首を斬られたとかいう虐殺されたものではありません。戦死体は弾が当たって死ぬのできれいです。
(中略)
―南京では大虐殺があったと言われていますが、南京の様子はどうでした?
「南京での事件ねえ。私は全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話に出てるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは話をするし、それが仕事だからね。
噂としても聞いたこともない。朝日新聞では現地で座談会もやったが、あったのなら、露骨でないにしても、抵抗があったとかそんな話が出るはずだ。南京事件はなかったんだろう」
(中略)
―虐殺があったと言われてますが…。
「見てません。虐殺があったと言われてますが、16,7日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません」
(中略)
―入城式の頃、中国の市民たちは日本兵を恐れていましたか。
「住民は敵意を持っていなかったし、日本兵を恐がっていなかったと思います。逆に、便衣隊がいましたので日本兵の方が中国人を警戒していました」
(中略)
「捕虜を揚子江の淵に連れていって、どこかに行けといって放しましたが、結局、殺したということです。岸が死体でいっぱいだったとも聞きました。それは本当だと思います。市民に対しては何もありませんが、中国兵に対してのそういうことはありました」
(中略)
―なぜやったのでしょうか。
「捕虜を捕まえたが、捕虜にやる食料がないし、収容する所がない、放してもまた兵隊になる、それで困ってやったと言ってました。中国の兵隊は日本と違って、食えないから愛国心がなくとも兵隊になります。事実、放すと、すぐどこかで兵隊になってます。
また、中国には便衣隊がいて、日本兵はこれを恐れていましたから、やってしまおうということになったのだと思います。
(中略)
―南京にはどの方向から行きましたか。
「中山門から入りました。先頭の兵隊と一緒に進み、暗いうちに中山門まで行きました。そこから先に進めず、中山門上で城内の様子をうかがいながら待機していました。
12月13日ですか、先頭の部隊と共に中山門から城内に入り、中山東路を進むと、街路樹のプラタナスに日本兵が吊るされていて大騒ぎになりました」
―日本兵ですか。
「そうです。後でわかったのですが、通済門か光華門で戦いがあり、そこで捕まった日本兵らしいのです。それを中山東路につれてきて、殺して、プラタナスの木に吊るしたものです。下から火であぶってありました」
―何体くらいですか。
「私が見たのは2,3体です。すぐプラタナスから下ろしました。それを見た兵隊はカーッとなりましてね。それでなくとも敵愾心がありますから」
以下略
ソ連や中国では、「便衣隊」というのが一般的にあります。
⇓
神戸大学新聞文庫 大阪時事新報 1935年7月17日
【ソ連テロ計画 便衣隊を放って要人暗殺】
【太原の人心恟々 共産軍便衣隊出没す 討伐軍は呆然自失の体】
【便衣隊の共同掃蕩 支那側拒絶】
>便衣兵とは、一般市民と同じ私服・民族服などを着用し民間人に偽装して、各敵対行為をする軍人のことである。
国際法違反であり、捕虜となっても裁判にかけられ処刑される。
…とあります。
南京攻略の時は、日本側は裁判にかけていませんので責められる部分もありますが、状況的に裁判にかける余裕はありませんね。
それに対して、中国側は数人の日本兵捕虜を殺害して木に吊るし、火で炙るとは…
こんな残虐なことが許されるのでしょうか。
中国側の方が、国際法を完全に破っていると思います。
ソ連や中国というのは、どんなに汚い手を使っても平気なんですから!
さて、話を村上春樹氏に戻りますが…
「南京大虐殺」ありきで、話を進めていて、中国側に利用されているとは気が付かなかったのでしょうか?
日本側の国益を損なうことをして、何も感じないのでしょうか?
それと、中国では「日本が中国を侵略した」と言ってますが…日本は中国を侵略などしていません。
「満州」は、「満州族」のもので、日本がプレゼントしたものです。
たしかに、日本が野心がなかったとは言えませんが、これが当時の国際秩序でした。
日本のことを言うのなら、香港はずっとイギリス領でしたし、マカオもず~と、ポルトガル領だったではありませんか!
どうして、日本ばかり非難するのでしょうか?
日本人が大人しいのを知ってタカっているのでしょうが…
いつまでも、こんな嘘がまかり通るとは思えませんが…
最後までお付き合いくださいまして有難うございます。
誤字、脱字がありましたらご容赦下さい。
リンクフリーの記事です。皆様のお役に立てましたら幸いです。