今日もお立ち寄り有難うございます。
先日の「なぜ、今頃になって共産主義者(近衛文麿、細川嘉六)を礼賛する?」の記事に続き、また、奇怪な記事を見つけていましたので、その記事を取り上げたいと思います。
静岡新聞 2019.4.16
西園寺公望の晩年を小説に 興津坐漁荘舞台、静岡の男性が出版
>静岡市清水区の小学校教員小泉達生さん(60)がこのほど、同区の興津坐漁荘で晩年を過ごした元老西園寺公望を描いた小説「明治を創った男 西園寺公望が生きた時代」を幻灯舎から出版した。
西園寺は明治末期に2度首相を務め、元老として天皇を支えた政治家。自国の利益を優先する帝国主義が国際社会を覆った戦前に、太平洋戦争の無謀さを説き、国際協調の必要性を訴えた。
(中略)
出版は、2018年6月に小泉さんが理事を務める同区のNPO法人「AYUドリーム」などが行った西園寺の朗読劇の脚本を、小泉さんが担当したことがきっかけ。文献研究や興津での取材を重ね、史実とフィクションを織り交ぜて脚本を加筆修正した。
小泉さんは「『いったいこの国をどこへ持っていくのや』との西園寺の最期の言葉は現代の日本、国際社会にも通じる問い。 以下略
要は、「憲法改正に反対」を訴えたいのでしょうね。
しかし、実在した人物に「フィクション(作り話、虚構)」を加えると、事実が歪められてしまいます。とても危険なことです。
とは言え、中国と韓国、北朝鮮の歴史はすべて「フィクション」ですが…。
それからこの元小学校教師が理事を務めるNPO法人「AYUドリーム」は、もしかして在日韓国人向け?の法人なのでしょうか?
「NPO法人」は内閣府の方で開示していますので、簡単に調べることができます。
>体験型として朝鮮しています。
たぶん、「挑戦」と言いたかったのでしょうが、頭の中が「朝鮮」でいっぱいだったんでしょうね。
「日教組」は、「チュチェ思想」ですので、おそらく、「朝鮮学校」の生徒を前提にしてこのような団体を立ち上げたのでしょう。因みに、朝鮮学校に通っているのは在日韓国人の子供が大半だそうです。
なので、「民団」が赤化するのは仕方ないかな。
そもそも「自国の利益を優先する帝国主義が国際社会を覆った戦前」というのは、コミンテルン(ソ連:コミンテルン=国際共産主義)が主張したことですね。
戦前は、イギリスなど欧米列強がアフリカやアジアを植民地にしていた時代です。
「自国の利益を優先する帝国主義」とは、もしかして米国のトランプ大統領を暗に批判しているのかも…
しかし、今回の貿易戦争は、元はいえば中国が自国(中共)の利益を優先して、外国企業から技術を盗み、やりたい放題してきたからに他なりません。
「戦前に、太平洋戦争の無謀さを説き、国際協調の必要性を訴えた」
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あれ?西園寺公望は1940年11月24日に死亡していますよ。
「太平洋戦争」は1941年12月12日に始まりました。
西園寺公望は…まさか幽霊になって出てきて、「太平洋戦争」を予言していたと言いたいのでしょうか?
しかも西園寺公望が「太平洋戦争」?を憂いていた?
「太平洋戦争」とは戦後に、アメリカが付けた呼称で、日本は「大東亜戦争」と呼んでました。
この方…小学校の教員だったんですよね。 小学生でもこの先生の小説に疑問を抱くのではないのでしょうか。
「国際協調の必要性を」とは、今は日米欧、台湾、東南アジア諸国の協調性を大切にしなくてはなりません。
中国の南シナ海の侵略、台湾への干渉、尖閣諸島への領海侵犯等々、今はとにかく中国の横暴を叩き阻止しなければなりません。
国際社会の平和と安定のために…
戦前と現代とでは、状況が違います。
ましてや、西園寺公望は…
神戸大学新聞文庫 1940.11.26
大阪毎日新聞
>明治、大正、昭和の重大時局に御奉公
政党政治から挙国内閣へ
犬養首相の兇変から斉藤子奏薦までの園公熟慮の一週間は実にわが国政界の大転換であり後継首相泰薦の責任者たる元老西園寺公が政党内閣制を遂に諦めて、挙国一致内閣制へと移行したわが国政治史上の画期であったのである、次の岡田内閣が昭和十一年二・二六事件で倒れるや園公は三月二日上京し政局重大で沈思黙考二日間、四日近衛公奏薦、近衛公の拝辞、五日広田外相奏薦となって政局は安定したがこれが園公八十八歳の老躯を掲げて御下問に奏答するため上京した最後となったのである、
(中略)
かく元老園公の功績を辿り来ればこれ全く大正、昭和におけるわが国政治動向の軌道を敷いたものというべく政党政治の確立より挙国一致内閣制への移行―これ園公の元老としての最期の御奉公であったといえよう
西園寺公望は88歳で(※かなりの美食家で、糖尿病を患っていた)引退したそうですから、1937年には引退していたことになります。 それならば尚更「太平洋戦争」なんて知る由もありませんね。
ただ、公望が「挙国一致内閣」を作ったということは、もしかしたら「戦争突入」になることを考えてのことではないでしょうか。
なぜなら、この時期、支、英、米などの国々から日本に対日通牒がなされ、日本を孤立化させる動きが激しくなってきていました。
神戸大学新聞文庫より
・「果たして裏面で英支がこの握手 駐支英公使の火事場泥棒的活躍」昭和6年10月31日 大阪毎日新聞
・「張(※学良)蒋(※蒋介石)支援に熱する英國公使の活躍 本國政府とゼネヴアを動かし 全面的反日の苦肉策」昭和6年10月27日 時事新報
・「撤退は一部 日本を窮地に陥れんとする狡猾手段 英國公使の露骨な策動」昭和6年12月31日 大阪毎日新聞
・「米国の対日通牒の反響」 昭和7年1月10日 大阪毎日新聞
・「また、日本へ米国から抗議 単独?英国と共同?」 昭和7年1月27日 大阪毎日新聞
・「経済封鎖を聯盟に要求か 圖に乗る支那政府」昭和7年1月10日 大阪朝日新聞
・「邦人自警團員 米海兵に逮捕さる 共同租界内警戒中」昭和7年1月31日 大阪毎日新聞
・「背後から聯盟を操る米國務卿」昭和7年2月19日 大阪毎日新聞
・「米國の親支策は 日米戦争を起こさん 次期大統領指名に乗出した マレー氏の第一聲」昭和7年2月25日 大阪時事新報
・「果然、スチムソン卿 對日強硬を力説 イーマンス委員長と会見し 米國の態度を表明」昭和7年4月24日
・「奇怪な挑戦的言辞 費府での米國務卿の演説を 軍部側は重視す」昭和7年10月3日 大阪朝日新聞
・「奇怪なる米國の言動 平和破壊者としての責任を問ふ」昭和7年10月6日 国民新聞
・「リットン卿遂に 反日の正体暴露 米國務卿 の演説を支持し 世界興論の圧力高唱」昭和7年10月8日 大阪朝日新聞
・「“露豪条約”を利用し 露支密約成立に拍車 国民政府内に親露派擡頭す」昭和11年4月10日 大阪毎日新聞
・「對日感情 次第に悪化 学良等の宣伝を鵜呑み 入満問題でも疑心暗鬼」昭和7年4月18日 大阪毎日新聞
・「事變中に西沙島占領佛の真意了解し得ず 帝国・佛大使に注意喚起」昭和13日7月9日
以下略
公望が心底嘆かなければならないことは、近衛文麿を首相に奏薦したのは、元老西園寺公望自身だったことです。
近衛内閣のブレーンには、共産主義者ばかりが集結していました。
近衛文麿自身も河合肇(国際共産主義者)という学者にマルクス経済を学んでいます。
そして、ソ連・コミンテルンの工作員:尾崎秀実が内閣を牛耳っていたわけです。
尾崎秀実は「南進論」を説いて、「一億玉砕」「鬼畜米英」と国民を戦火の中へ押し込んだのです(敗戦革命論)。
恐らく、西園寺公望は悔やんでも悔やみきれなかったことでしょう(生きていれば…)。
さて、それではなぜ今、西園寺公望を利用して歪曲化した小説を出したのでしょうか?
まさか、西園寺公望の孫の「西園寺公一」と會孫「西園寺一晃」を礼賛するためなのか?
西園寺公一は、アメリカに留学中にマルクス主義の洗礼を受けて、共産主義者になります。そして、近衛内閣のブレーンとなり、「ゾルゲ事件」で尾崎秀実と連座して逮捕され、爵位継承を剥奪されます。
その後、中華人民共和国へ移住します。
「亡国 スパイ秘録」佐々淳行著より
『人民中国』
>「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れない」
友好に生涯をささげた二人の日本人
宇都宮徳馬(元日中友好協会会長)は、「よど号ハイジャック犯」の機関紙にも寄稿した共産主義者です。
よど号ハイジャック犯の「日本人獲得工作」「反核運動」に加担した左翼人士 - 姥桜
西園寺一晃(孔子学院学長)は、今も何かと中共にこき使われているようです。
それから、それから…
あの「チュチェ思想研究会」の武者小路公秀は、西園寺公一とは従妹同士にあたります。
「徴用工問題」の陰に日本共産党と「広範な国民連合」というプロ市民の陰が - 姥桜
はてさて、西園寺公望は草葉の陰で…「どうして?こうなるのか?情けなや」と嘆いておられることでしょう。
しかも、朝鮮系の人々に自分の歴史を歪曲されて利用されているんですから…
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