中国共産党のプロパガンダを垂れ流す「文春」

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

「恨み深し!」刺激的に伝えられた残虐な“通州事件”は南京虐殺の引き金だったのか?

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まず、この文章の「日本の中国侵略の過程が複雑だった」というところですが、日本は中国を侵略していません! 

 

>1931年の柳条湖事件で始まった「満州事変」

柳条湖事件」って、これは中国共産党が作った「歴史用語」で、日本人は使いません。

 

それから、この記事に載っていた写真ですが…

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 文春が使っている写真は「南京戦 Wikipedia」に掲載されている写真と同じです。

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中華門爆破の瞬間 1937年12月12日 午後零時10分 朝日新聞

 

同じような写真が「日中友好協会」でも使用されています。

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この画像をアップすると

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本物の写真との違いが分かりますでしょうか?

本物の写真には「日の丸国旗」は翻っていません。

ところが、中国側が示す写真は、取ってつけたように真新しい「日の丸国旗」が戦車についているのです。

 

さらに、本物の写真の戦車の位置と中国側が示す写真の戦車の位置が前後していて微妙に違っています。

本物の写真に写っている戦車は比較的間隔が開いてあるのですが、中国側の示す写真は戦車の数がやたらと多く見えるように間隔を狭めています。

 

それにしても、日本軍ってこんなに多くの戦車をどうやって南京まで運んだのでしょうか?

 

さらに、「日中友好新聞」のキャプションには【「1937年12月9日、日本軍が南京城へ向け侵攻開始、写真は日本軍が中華門を攻撃している情景を撮影したもの(『正義審判』王志強編から転載)】 ―となっています。

この写真は、朝日新聞記者が撮ったもので、中国が勝手に“ねつ造”したものです!

 

しかも、本物の写真は「1937年12月12日」に撮ったものです。

日付けがずれていますね。

 

中国側のいう「12月9日」ですが…「南京戦 Wikipedia」を参照してみますと

12月9日(木曜)

・未明、114師団歩兵127旅団は将軍山攻撃を開始、突破した。包囲された300の中国兵は山頂に追いつめられ殲滅された。

・払暁、第9師団光華門に到達した。 城内に押し戻された中国兵は、激しく抵抗したが、大砲、空爆、榴散弾の攻撃を受けた。

・16師団は下麒麟門、蒼波門へ進出。

夕方、日本軍は飛行機で南京城内にビラを撒き、中国軍に対し降伏勧告を行った。

 

《日本軍は江南を席巻した。南京城はすでに包囲された。今後の交戦は百害あって一利なし。

江寧の地は旧都にして中華民国の首都である。明の孝陵、中山陵など古跡名所が多くあり東亜文化の精髄の感がある。

日本軍は抵抗する者に対しては寛恕しないが、無辜の民衆および敬意なき中国軍隊に対しては寛大をもってこれを冒さない。

 

文化財は保護する熱意がある。

 しかし、交戦を継続すれば、南京は戦禍を免れず、千戴の文化は灰に帰す。

 貴軍に勧告する。南京城を平和裡に解放せよ。

 

 回答は10日正午中山路句容道上の歩哨線で受領する。

もし貴軍が責任者を派遣するときは、必要の協定をむすぶ。

回答がない場合は、日本軍はやむえず南京城攻略を開始する

 

 ―投稿勧告(原文中国語、現代日本語による抄訳)、大日本陸軍総司令官 松井石根 》

 

・午後、中国軍は南京市内の銃撃の邪魔になるものや日本軍に役立つ物を取り除くために放火し、北西以外の方向から煙がのぼった(ヴォートリン日記)。

マクダニエル特派員は中国兵が灯油を家にかけて火をつけている所を目撃した。

焼け出された人が城内に避難した。 ダーディン記者は、中国軍は防衛作業として城内の建物の全面的焼却作戦を開始し、南門近くの住民を安全区に追い立てた。南京は北部と東部が火に囲まれた。

 

・夜、淳化鎮の日本軍は、スパイから守備兵交代があると教えられた大校場軍事飛行場(光華門側)を襲撃し占領したが、中国軍が反撃、便衣兵が大校場の兵舎に放火し、炎の中で猛反撃に遭った。

(中略)

12月10日(金曜)

・投降勧告の回答期限を正午過ぎても中国軍からの反応がなかったので、午後1時、日本軍は総攻撃を開始した。

(中略)

12月12日(日曜)

・中国軍によって、紫金山、南京対岸の滝口の長江岸全体が放火され、埠頭や倉庫も含め燃え、下関の半分も燃えた。

(中略)

12時20分、第10軍の第6師団歩兵47聯隊は中華門西の一部を占領。日本軍が西門近くの城壁を登り始めると、中国軍第88師団の新兵が逃亡を開始し、中国軍の瓦解が始まり、夕方までには大方の部隊が下関門に向かった。

中国兵は軍服を脱ぎ、平服に着替えた。 それを目撃したダーティン記者は「それは滑稽ともいえる光景であった。 隊形を整えて下関に向かい行進していく最中、多くの兵隊が軍服を脱いでいた。 あるものは露地に飛び込み、一般市民に変装した。 なかには素っ裸の兵隊がいて、市民の衣服をはぎ取っていた。」と報じた。

(中略)

18時、16師団は488高地を占領し、紫金山を占領。日本軍は城壁を突破し南京城内に侵入した。

 

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日中友好協会」では、日本軍は「12月9日 南京城を攻撃」となっていますが、事実は全く違いますね。

「12月9日」に日本軍は、中国軍に向けて「交戦は止めよ」と忠告をしています。

そして「回答は10日」となっています。

しかし、10日になっても回答はなかったということです。

 

そして…

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※『支那事変画報』中国無名兵士の墓を慰霊する日本軍兵士(南京攻略前 12月11日)

 

12月11日には、日本軍は「中国兵」の慰霊をしています。

 

そもそも「南京戦」に「中国共産党は参戦していません」。だからこのような出鱈目を言えるのでしょう。

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【南京戦 Wikipedia】より

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ソ連空軍志願

となっていますが、これはソ連」が「国」として参戦していたことが分かると、「ハーグ陸戦条約」に違反していることになりますので、あえて「志願兵」としているのです。

独裁国家で、「志願兵」はありえません。

すべて、スターリンの指示がなくては行動できません。

スターリンの命令で「南京戦に参加」しているのです。

この「支那事変」は、「スタ―リン」が仕掛けたものです。

 

参考記事:最近、中国に関わる怪しい「日本悪玉論的」なコラムが増えてきた - 姥桜

本当に「怖ロシア」です!

 

さて、前書きが長くなりましたが、「文春」は、

>江口圭一「盧溝橋事件と通州事件の評価をめぐって」は「通州事件南京大虐殺否定論者による免罪符のように利用されている」と指摘。「通州保安隊その他による日本人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない」としつつ、事件の評価・位置付けには点の留意が必要と述べる。

 

(1)日本の中国侵略の拠点とされた通州で発生した

(2)アヘン・麻薬の密造・密輸の大拠点だった

(3)日本の守備責任で、(3)は保安隊が日本軍の統制下にあったことを指している。

 

これは、「中国共産党」の文章そのまんまですよね。

 

まず、この文章だと「南京大虐殺はあった」と断定しています。

しかし、日本側は認めておりません。

 

参考動画:映画 南京の真実 記録映画編(南京陥落後) - YouTube

 

(1)そもそも日本は中国を侵略していませんし、「通州」は「満州国」であり、その「満州国」を侵略したのが「中国共産党」です。そして、そのことが分からないように、今では地名を「中国東北部」と変えています。

 

(2)「アヘン・麻薬の密造・密輸の大拠点」=毛沢東共産党は根拠地の「延安」で「アヘンの密造」をして大儲けしていました!

 

(3)「保安隊」は日本の統治下ではありません! 殷汝耕の「翼東防共自治区政府」の軍隊です!

 

上記の「3」の数字を赤で強調したのは、なぜか中国共産党は「3」の数字を使うのが好きなのか? よく「3つの約束」事を日本側に要求してきます。

なので、「3点」という言葉で、すぐに「中国共産党」が背後にいることは容易に想像できたわけです。

 

次に「文春」は、「通州事件」を日本のメディア(新聞)がことさら大袈裟に報道をしていたと書いています。

中国人の感覚からしたら「通常の虐殺方法」かもしれませんが、日本人の感覚からしたら「鬼畜の残虐さ」にしか受け取れません。

 

参考記事:日本人皆殺し「通州事件」を日本のせいにする「文春」 - 姥桜

 

「文春」の無神経さはどこからくるのでしょうか?

やはり、「文春」は中国共産党の「口パク」をしているように感じます。

 

笠原十九司日中戦争全史」も「日本国民敵愾心、憎悪心を扇動し、『支那膺懲』熱を高めるために最大限利用された」と述べる。

 

この「笠原十九司」は以前の記事でも書きましたが、「中国共産党のエージェント」です。

山本太郎(朝鮮総連)⇔雨宮処凜(週刊金曜日)⇔日中友好協会 ⑧ - 姥桜

 

日中友好協会

日中戦争80周年共同キャンペーン

日中戦争から平和憲法へ⇐(世界を脅かし、国民を虐殺している中国が「平和憲法」を語るとは片腹痛いわ!)(「憲法9条改正」は、中国の内政干渉です!)

メーン集会に400人が参加

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笠原十九司 Wikipedia」より

笠原十九司(1944年―)は、日本の歴史学者都留文科大学名誉教授。専門は中国近代史。

群馬県生まれ。群馬県立前橋高等学校、東京教育大学文学部卒業。同大修士課程中退。宇都宮大学教育学部教授、都留文科大学教授を経て、1999年より南京師範大学南京大虐殺研究センター客員教授、2000年より南開大学歴史学部客員教授を務める。

 

日中戦争初期に起きたとされる南京事件の研究者の1人。(中略)本来中国近代経済史が専門だったが、1980年代半ばから南京事件の研究を開始し、歴史認識論争に巻き込まれたことで、戦史研究が主となった。

現在は韓国の東北アジア歴史財団ピースボートが主催する国際教科書会議の日本側代表として参加している。

以下略

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Wikipediaに出ている笠原氏の経歴を見れば、「中国共産党に利用されている」ことがよくわかりますね。

ピースボート」が出てきましたね。

ピースボート」といえば、極左の「辻元清美」が思い起こされます。

中国共産党」⇔韓国⇔日本の左翼、売国奴(ポン助)の繋がりが見えてきましたね。

 

都留文科大学」っていうのは、中国共産党工作員が教授になるのでしょうか?

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中国共産党対日工作『世界抗日戦争史実維護連合会 重慶大爆殺訴訟』に「都留文科大学 伊香俊哉教授」が活動しています。

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中国共産党は、自分たちの捏造(プロパガンダ)」を自国民に「本当」のように思い込ませるために、日本のポン助を「客員教授」として雇って、自己正当化しているんですね。

鳩山由紀夫もそうですが、「中国派」といわれる人物は、みんな「中国共産党のエージェント」と思って間違いないです。

 

そもそも、「チベット侵略・大虐殺、ウイグル侵略・大虐殺、他国の技術を盗みまくり、日本を貶め、嘘八百を広める国を「好き!」なんて言うバカがどこにいますか?

普通の神経なら「反中国」になりますよ。

 

さて、今になって「侵略」だの「南京大虐殺」だのと言い出して、しかも、嘘で塗り固められた「反日記事」を垂れ流す「文春」って…いつ、「中国共産党の機関紙」に成り下がったのでしょうか。

 

それにしても、中国共産党の魔の手は、日本のマスメディアにかなり浸透していますね。皆様、お気を付け下さいませ。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字・脱字がございましたらご容赦くださいませ。

リンクフリーの記事です。皆様のお役に立てましたら幸いです。