今日もお立ち寄り有難うございます。
武漢から発生した新型コロナウイルスで、オウム真理教の「サリン事件」を思い出しました。
どうやら、このウイルスは武漢にある「生物化学研究所」から漏れたものであることが確実のようですね。
日本でも「エイズ治療」の薬を投与した患者の様態が安定してきたという報告がありますが、「エイズ」はもともとアフリカの猿から人間に感染したはずで、感染は主に「性交渉」のはず。
また「血液」を通して感染することでも知られてますね。
たしかに、武漢の市場では生きた猿なども売っていましたよね。
生きた猿を殺す時の血が付いた?
そうならば、空気や接触くらいで人から人へと感染しないですよね。
やはり鳴霞さんの報告が正しいのではないでしょうか。
オウム真理教は、ロシアの武器を購入していましたね。
それから、幹部は頻繁に北朝鮮へ出入りしていました。
オウム真理教はサリンで日本国内を恐怖に陥れましたが、もしかしたら中国も「生物兵器」で、世界征服を考えていたのかもしれませんね。
ある意味、今回の新型コロナウイルスも「赤色テロ(共産革命)」が、世界を席巻してしまったような感じですね。
さて、北朝鮮に拉致された有本恵子さんのお母様が2月3日に心不全でお亡くなりになりました。ご冥福を心よりお祈りいたします。
参考記事:日本人拉致事件の裏で「チュチェ思想研究会」が蠢く - 姥桜
北朝鮮の工作員(辛光洙)の釈放のために動いた政党がありました。
辛光洙(シン・グァンス)を含む「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」
「在日韓国人の政治犯」というのは、立命館大学の教授となっている「徐勝」ですね。
「在日韓国人の政治犯=北朝鮮の工作員」ということなんですが、当時の社会党(現・社民党、立憲民主党、国民民主党)議員らが、北朝鮮工作員の救出をしていたわけです。
ちなみに「民主党政権」の時は菅直人が「内閣総理大臣」、千葉景子は「法務大臣」を務めていました。 怖ろしいですね…民主党政権は「北朝鮮労働党内閣」だったわけですよ!
旧社会党は「よど号ハイジャック犯」とも連絡を取り合っていました。
小泉首相訪朝で北朝鮮が日本人拉致を認めたにもかかわらず、ずっと事実を認めなかったんですから、もう常識では考えられないです!
そして、その後継の左派野党は新型コロナウイルスの脅威もどこ吹く風…
相変わらず「桜~、桜~」で、安住議員は「壁新聞」とやらに各新聞の評価を〇✖式で遊んでいたというのですから…
もう、常識では考えられないことですよ!調子に乗り過ぎです!
【❝平和❞❝人権❞を貪った面々の裏面史】
>2002年10月15日、小泉純一郎首相の訪朝から約1ヵ月が経ったこの日、蓮池薫さんたち5人の拉致被害者が、4半世紀ぶりに日本の土を踏んだ。世論が拉致問題に沸き立つなか、マスコミ各社に相次いで奇妙な投書が届く。ほとんど「ありがちな怪文書」だと黙殺したが、唯一、月刊誌の『正論』(1903年3月号)だけが掲載に踏み切った。
(中略)
『正論』に掲載された投書の全文は、次のようなものだった。
<X党(※社民党)には旧Y党時代(※社会党)、Z党(※北朝鮮労働党)との友党関係を分掌する共和国連絡部という党の公式組織や正史には表れない部署があった。私は青年期にそこで勤務していたが、所属していたのは人材提供班(以下、人材班)である。人員は主にY党の青年組織から大学で朝鮮語を専攻した学生が選ばれた。
共和国連絡部は表向きZ党との緊密な連絡調整を業務としてきたが、最も神経を使った仕事は情報・資金・人材の3つの提供業務だった。 このうち情報提供は日本政府の内部資料、自民党や日本共産党の党内情報をZ党に送達し、資金提供班は文字通りY党が集金した政治資金をZ党に送金するのを日常業務としていた。
これら2班については、人材班に所属していた私には詳細はわからないが、我々人材班が実行したのは拉致対象者の選定作業だった。 わかりやすく言えば、朝鮮民主主義共和国の工作員が拉致しやすいまたは拉致しても差支えない日本人を定期的にZ党に報告する仕事だった。 工作員も極秘かつ速やかに日本人を拉致するためには、我々の持つ正確な情報がどうしても必要だったのである。
当時はもちろん拉致と言う者は誰もいなかったし、むしろZ党への正当な協力(提供)業務の一環として信じていたから罪悪感はなかった。というのも、Y党本部から絶えず「いずれ金日成主席が朝鮮半島を統一して正当な社会主義国を樹立する。 この業務はそのときの神聖な協力活動として日朝両国から後世高く評価されるのは疑う余地がない」と指導されてきたからである。
さて、対象者の選定基準は次の5つであった。
・知り合いに代議士がいないこと。
・知り合いに警察関係者がいないこと。
・地域の名士の関係者でないこと。
・格闘技経験のないこと。
これらは総じて“提供五原則”と呼ばれ、各地の人材班はこれに基づいてあらゆる手段を尽くして適任者を捜し出し、Z党へ報告していたのである。
(中略)
1970年代に多忙を極めた人材班も1986年には党本部のまったく一方的な命令で解散した。このとき、解散理由に納得できなかった我々にT議員(※自治労のカネで「南京大虐殺記念館」を建てた社会党副委員長・旧民主党田辺誠議員)などは盛んに「発展的解消」という言葉を連発して強引に幕引きを行ったのである。
以上の事実を私は終生秘密にして墓場まで持っていくつもりでいたが、二度と日本の土地を踏むことはあるまいと思っていた拉致被害者の帰国報道を見るたび非常に胸が痛む。同時に、自分がこのまま永眠することなど決して許されないと呵責や葛藤に苦しむ毎日が続く中で、少しでも救われたいと思い告発するもである。
11月15日 >
(※は私が注釈したものです。)
社会党って…韓国の文在寅政権と似てますね。それにしても「朝鮮半島統一」をなぜ日本の政党が夢見るのか不思議です。そんなの内政干渉でしょうよ。
もしかして、旧社会党議員って朝鮮半島にルーツがある議員ばかりだったりして…
それでも、「帰化」をしたのなら、日本が祖国になるのだから日本のために政治を行って欲しいものです。
有権者の皆さまも、「日本国」のために頑張ってくださる議員に票を入れましょうね。
あっ、それからかつての社会党の支持母体は悪名高き「日教組」と「自治労」だったのですが、現在では「立憲民主党」の支持母体となっています。
「日教組」と「自治労」は「チュチェ思想」だといこともお忘れなく…
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