日本共産党の「暴力革命」がきっかけで「破防法」が出来た。

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

産経新聞 2020.2.15

【「暴力革命」の撤回要求】

【立民・共産自民に申し入れ】

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<立憲民主、共産両党は14日、安倍晋三首相が共産について「暴力革命の方針に変更はないと認識している」と述べた国会答弁を撤回するよう自民党に求めた。

共産の穀田恵二国会対委員長は記者団に「事実に基づかない誹謗中傷は許せない」と述べた。

 穀田氏は立民の安住淳国対委員長とともに、自民党森山裕国対委員長に申し入れた。穀田氏によると、森山氏は「承った」と回答したという。

 

 首相は13日の衆院本会議で、共産党破壊活動防止法の調査対象に指定してい理由について過去に「革命の正当性を主張し、暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」として指摘。「現在もいわゆる『敵の出方論』に立った暴力革命の方針に変更はないと認識している」と説明した。

 

 敵の出方論とは、共産党が唱えているとされる「権力側の出方によっては非平和的手段に訴える」との理念を指す。

 

 共産党志位和夫委員長は13日の記者会見で、「党の方針として破壊活動を行使。実行したことはない」と反論した敵の出方論に関しては「革命のプロセスで平和的な革命を追求していく立場からのもので暴力革命とは全く無縁だ」と強調した。

 

やれやれ、この期に及んでも過去の「暴力革命」を否定するんですね。

共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解 | 公安調査庁

 

参考記事:テロ集団の在日韓国民団を追放すべし②「神戸騒擾事件」「日本共産党武装闘争(山村工作隊)」 - 姥桜

 参考記事:「血のメーデー事件」1952年5月1日 - 姥桜

 

山村工作隊 - Wikipedia

1949年11月、中国の劉少奇中国流の武装闘争方式を日本を含むアジアに広げる見解を打ち出した。これはソ連スターリンとの相談に基づくものだった。

(中略)

レッドパージ後、中国に亡命した徳田球一らは、1951年2月23日の第4回全国協議会(四全協)において反米武装闘争の方針を決定し、中国共産党の抗日戦術を模倣して、山村地区の農民を中心として、全国の農村地帯に「解放区」を組織することを指示した。

同年10月16日の第5回全国協議会(五全教)では「農村部でのゲリラ戦」を規定した新たな綱領的文書日本共産党の当面の要求』が採択され、「山村工作隊」や「中核自衛隊」などの非公然組織が作られた。

 

 各地で列車の爆破、交番への焼き打ちや警察官へのテロ行為などの武装闘争が展開された。そして、1952年7月に日本共産党武装闘争を取り締まるため破壊活動防止法が制定・施行された。直接的な火炎瓶闘争は1952年夏頃から下火になったが、軍事方針は続き、農村部での活動が継続された

以下略

 

それでも穀田氏や志位氏は「事実に基づかない誹謗中傷は許せない」「党の方針として破壊活動を行ったことはない」と平気で嘘をついています!

それで…なぜ立憲民主党の安住氏がしゃしゃり出てるんだろう?

「壁新聞」で調子こいた人物がまた赤っ恥をかいているし…

これが日本の国会議員の姿かと思うと、「もう日本は終わりだ!」と思っちゃいます。

 

さて、そもそも日本共産党は「コミンテルン日本支部」として誕生した団体であります。日本共産党は「マルクス・レーニン主義」を現在も基本理念としています。

なので日本共産党は「暴力革命」のために作られた政党だということです。

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【昭和生まれの満州育ち】

共産主義・地獄からの脱出、格闘、決着】

金子 甫著

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>同党のソ連評価変説史については、評論誌『幻想と批評』第二号(2004年6月)に掲載された拙稿「日本共産党の新綱領―マルクス・レーニン主義党の偽装」で触れているので、要点を紹介したい。

 

 「1922年に設立された後すぐにコミンテルン共産主義インターナショナル)の日本支部となった日本共産党は、コミンテルン綱領に定められた『プロレタリアートの世界独裁』つまりソ連共産党の世界支配を実現するために活動した。コミンテルンが決定した『日本における情勢と日本共産党の任務にかんするテーゼ』(32年テーゼ)も、『国際プロレタリア革命の勝利を容易ならしめ』るためのもので、同党は『帝国主義戦争を内乱に転化し、ブルジョア=地主的天皇制の革命的顛覆を招来する』ことによって『社会主義革命への強行的転化の傾向を持つブルジョア民主主義革命』を断行し、『労働者農民のソビエト共和国樹立』……を通って『プロレタリアートへの独裁への移行』に至るという任務を与えられていた」(前掲背拙稿、6頁)

 

 要するに日本共産党ソ連共産党が作ったコミンテルン支部として、ソ連によって与えられた目的―ソ連共産党の「世界独裁」—を実現するために設立され、活動したのであり、つねにソ連の指示に従って活動していたのである。

(中略)

共産主義社会存続に不可欠の共産党独裁とテロリズム

 

プロレタリアートの革命的独裁」という名の共産党独裁は、当然「革命的テロリズム」を伴う。

 マルクス自身が、『共産党宣言』を発表した年に、社会発展に伴う苦痛を「短くし、簡単に……する手段は、革命的テロリズムというただ一つの手段しかない(「ヴィーンにおける反革命の勝利」『新ライン新聞』1848年11月7日)と主張した。

 

 共産主義社会は「革命的テロリズムというただ一つの手段」によってのみ成立しうるのであれば、テロリズムなしには存続できないであろう。

 つまり共産主義社会は、共産党独裁とテロリズムが内在した国家なのである。

 

 マルクスの教えに最も忠実に従ったレーニンが率いるボリシェヴィキ(後のロシア共産党)は、1917年11月7日(当時のロシア歴では10月25日)に「ロシア革命」または「10月革命」という名のクーデターを敢行し、共産党独裁と残虐な「赤色テロル」を始めた。

 

 レーニンによれば、独裁とは「なにものにも制限されない、どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接的暴力に依拠する権力以外のなにものも意味しない。(「独裁の問題の歴史によせて」『レーニン全集』第31巻354―5頁)そして彼は、刑法の草案を提出した司法人民委員(=大臣)のクルスキーに、「裁判所はテロルを排除してはならない。……これを原則的にはっきりと……法律化しなければならない。できるだけ広範に定式化しなければならない」(1922年5月17日付手紙、『レーニン全集』第33巻)と指示した。

 裁判所をテロルの場にせよという指示である。それに従って、司法人民委員会の役人だったクルィレンコは、「我々が処刑しなければならないのは罪を犯した人々だけではない。無実の人々の処刑は大衆に一そう大きな印象を与えるであろう。」(中略)と述べた。

以下略

      ⇑

現在でも日本共産党が「マルクス・レーニン主義」を標榜しているわけですから、日本共産党は「赤色テロル=暴力革命」を捨てていないということです。

 

 参考動画:

www.youtube.com

 日本共産党の上層部がこんな基本的なこと(共産主義は暴力で成り立つこと)を理解していないということですね。

バカ丸出しですね。

そもそも、すでに「ソ連」は崩壊したわけですから、今更「中国」の僕になる必要もないんですよ。

ソ連崩壊⇒中華人民共和国

日本共産党って「自主性のない」政党だと思いませんか。

 

すでに大陸では「中国共産党コミンテルン中国支部)」打倒の狼煙が上がっています。 

www.youtube.com

 

チャイナの人々はずっと中国共産党の抑圧に遭っていましたが、もしかしたら「革命」が起きるかもしれませんね。

ソ連も約70年で崩壊しています。

中華人民共和国も73年くらい続いていますが、ここらが潮目ではないでしょうか。

栄枯盛衰 盛者必衰 諸行無情

 

 …となると、日本共産党はどうするのでしょうか?

自立心のない日本共産党にとって中国共産党の庇護がなければ…

日本共産党が右往左往する姿を見てみたいものです。

 

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