真珠湾の真実・米国の挑発と日本の和解案(続編)&「赤旗」の意味が分かった!

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

 今日は12月8日(ハワイ時間12月7日)の真珠湾攻撃の日です。

 あいかわらず、日本では中韓の捏造歴史に乗っかかって「日本が軍国主義、覇権戦争に走って真珠湾攻撃をした。日本は二度と同じ過ちを冒してはならない」ととても気色の良いような悪い言葉で「不戦の誓い」をしている左寄りのメディアが後を絶ちません。

 なので、しつこいようですが今日も「真珠湾の真実」について書いていきたいと思います。

 

昨日の記事の続編となります。

真珠湾の真実、英国・米国の罠にかかった日本とルーズベルトに騙された米国民衆 - 姥桜

 

真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々】

ロバート・B・スティネット 著

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>紛れもないない前兆

 (中略)

 1941年の夏の間、日本の外交暗号電報を読んでいたルーズベルト大統領は戦争挑発行動「H」に対する日本の反応を判断することができたろう。その夏、日本がとった3つの思い切った措置は、日本が武力行為に訴える準備をしていることを確認させた。

 松岡洋右外相が1941年1月に初めて提示した和解案は「最悪の政策」と酷評されているが、これが採用される可能性はまだ残っていた。 松岡は、和解を日本の第一希望とし、アメリカ及び連合国との戦争は最後の手段とし、万一の場合にのみ用いる手段としたい考えを示した。

 しかし、外交的解決をはかることは、ルーズベルトの戦略には含まれていなかった。

 外交的解決をはかる代わりに、ルーズベルトは経済的制裁を強化し、「最悪の政策」を促進させることになる。 1941年7月、日本の船舶のパナマ運河通過を禁止し、日本の在米資産を凍結し、石油製品、鉄鋼、金属類の日本への輸出を完全に禁止した。これらの諸制裁が、日本の軍事政権を激怒させることは間違いなかった。

 

 1940年にも禁輸措置が取られたが、実際は、大量の石油製品が日本へ輸出されていた。今回はそうはいかなかった。ルーズベルトはマッカラム覚書のH項目どおり、日本との貿易をいっさい禁止したのである。

 無線監視局HYPOの局長ジョセフ・ロシュフォートは、今回の全面的禁輸措置を最期通牒とみた。日本には戦争しか選択肢が残されていなかった。

 

 「われわれは彼らの資金も燃料も貿易も断ち、日本をどんどん締めあげている。彼らには、この苦境から抜け出すには、もう戦争しか道は残されていないのがわかるだろう」

  (中略)

 11月28日から3かけてかけての週末、米国が日米関係を鎮静化するための、計算された10項目からなる提案(ハル・ノート)を示した時、日米外交交渉は破綻した。

   (中略)

 ハワイではロシュフォートが日本は進退きわまった状態に陥ったことを認識して、次のように述べていた。

 「われわれが11月26日の書簡を送った時、日本人について何か、あるいは日本人が口にする言葉を何か知っている者は、誰でも、赤旗(戦闘開始旗)を掲揚し(戦闘用意を整え)た方がよい。あの11月26日付の書簡は、日本が受諾することのできない最後通牒であり、彼らに残されている唯一の選択肢は戦争に訴えることだ、と私は本気で考えている」

   (中略)

ニイタカヤマノボレ新高山登れ)1208」

 この電報は12月2日午前1時30分にハワイに届いた。この命令を傍受したのはH局のキスナーの部下、ジョセフ・クリスティ・ハワードだった。彼は深夜当直に立ち、90分間、無電傍受を続けていた時、聞き慣れた日本海軍のトン・ツー式の仮名文字信号がイヤーホンから聞こえてきた。

   (中略)

 聞こえてくる信号を暗号タイプライターで書き写し、通信解析日誌に記入し、諜報網に流した。 しかし、諜報網の次の段階で、欺瞞が行われた。太平洋艦隊情報参謀エドウィン・レイトン少佐によると、ニイタカ電報はハワイでは傍受されなかったという。

 4通りの作り話をデッチあげて、この電報がハワイで傍受されたことも、他からも伝達されたこともないと訴えた。

    (中略)

 傍受された4通の海外電報は、12月6日、土曜日の午後9時30分から翌7日の午前10時まで12時間以上にわたり、解読と翻訳をすませ、急いでルーズベルト大統領に届けられた。 しかし、納得しがたい理由により、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル大将に4通の電報が届けられたのは、15時間後であった。

 

 1945年から46年にかけられて行われた真珠湾調査で共和党議員たちが声を大にして、アメリカ軍部が日本の攻撃を邪魔することがないように意図的に遅らせたのではないかと、その理由を問うた。

     (中略)

 1940年10月7日から12日までの1週間、リチャードソンがルーズベルトと激論をたたかわした会談にも、また海軍作戦部長ハロルド・スタークを含む海軍高官たちとの晩餐会議にも、マーフィーは同席していた。1940年11月に開かれた太平洋政策を決定する海軍会議にも、彼は出席していた。換言すれば、マーフィーは、日本を挑発して武力行使させる戦略を承知していたのである。

 

 (日本軍が)予定行動を開始する時刻は、マーフィーに決定的な役割を演じさせる機会としてやってきた。日本に最初の一発を発射させるよう要求するワシントンの政策をひっくり返すようなことを、彼はまずやらないだろうと予言できた。にもかかわらず、余りにも遅すぎた。マーフィーが動き始めた午前8時には、(日本軍の真珠湾)攻撃は最高潮に達していた。

以下略

 

 

 文中の赤旗(戦闘開始旗)」には驚きました。

 なるほど、「白旗(降参)」ですものね。

 「赤旗」といえば、共産党の「党旗」としか思っていなかったので、目からウロコです。 そういえば、共産党はずっと武力闘争を行っていましたね。

 日本共産党の「平和」が霞んで見えますね。

 

 当時の米国による日本への貿易制裁は、今の中国への貿易制裁に似ていますが、当時の日本への貿易は一切禁止で、現在の中国への貿易制裁は緩いもので、実際は米国の中国依存度は大きいし、中国も米国から食糧を輸入しています。

 アフガニスタン撤退を見ても、米国はいつか日本を裏切るかもしれないという不安もあります。

 

 実際には「米中貿易戦争」ではなく、「米中覇権争い」なんですが…

 当時の米国は中国が日本を陥れるために作った偽書田中上奏文を信じ込んで、「日本は覇権を狙っている」と批判して「中国から撤退しろ!」と要求していたんです。

 

参考記事:中韓が日本の原発処理水に嫌がらせをする理由:戦前の偽「田中上奏文」に見る情報戦③ - 姥桜

 

 それで、日本に貿易制裁をしかけてついには武力戦争へと導いていったのですが…

 

 今回の「米中覇権戦争」の場合は、「偽書」ではなく、実際に中国は世界の覇権を狙っているわけで、ヒトラー以上に独裁、民族粛清などの人権蹂躙をやっています。

 今度こそ、米国は真の正義を持って中国を潰しにかかるべきだと思います。

 

 そして、日本は戦前から中国の嘘で塗り固められたプロパガンダで世界大戦にまで引きずり出され、今も中国の嘘で塗り固められた歴史で苦しめられていることを自覚しなければなりません。

 

 最後までお読みくださいまして有難うございます。

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