今日もお立ち寄り有難うございます。
世界って、本当に怖いですね。
『マオ 誰も知らなかった毛沢東』ユン・チアン&ジョン・ハリディ著
★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちのトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業にみせかけたものだという。
【戦争の拡大に共産党スパイ】
1937年7月7日、北京近郊の盧溝橋で中国軍と日本軍が衝突した。
(中略)
一般には……日本が上海を攻撃したとされている。
が、これは日本の意図からも真実からも完全に外れている。
日本は長江流域における交戦を望まなかったし、予期もしていなかった。
8月13日の時点でさえ、日本は……この地域に非常に少ない兵力しか配置しておらず……18日、19日には長江のほとりまで追い詰められて河に転落しかねない状況だった。
アーベンドは、「交戦地域を華北に限定しようという日本の計画を転覆させる巧妙な計画」の存在に気づいた。
確かに、そうした計画が存在したという点について、アーベントの読みは当たっていた。
アーベントが読み切れなかったのは、計画の首謀者が蒋介石(アーベントはそう思っていた)ではなく、ほぼまちがいなくスターリンだった、という点である。
(中略)
スターリンは国民党軍の中枢で長期にわたって冬眠させておいた共産党スパイをめざめさせ、上海で全面戦争を起こして、日本を広大な中国の中心部に引きずり込む—すなわちソ連から遠ざける—手を打ったものと思われる。
「冬眠」から目ざめたスパイは張治中という名の将軍で、京滬警備(南京上海防衛隊)司令官だった。
(中略)
8月9日、上海飛行場で、張治中が自ら精選し中国軍部隊によって日本海軍陸戦部隊の中尉と一等兵が射殺された。
さらに、一人の中国人死刑囚が中国軍の軍服を着せられ、飛行場の門外で射殺された。
日本側が先に発砲したように見せかける工作である。
日本側は事件を穏便に処理したいと意向を示したが、張治中は攻撃許可を求めて蒋介石を攻め立てた。
(中略)
14日、中国軍機が日本の旗艦「出雲」を爆撃し、さらに日本海軍陸戦部隊および地上に駐機していた海軍航空機にも爆撃をおこなった。
張治中は総攻撃を命じた。
(中略)
待てども命令が来ないのを見た張治中は、翌日、蒋介石を出し抜いて、日本の戦艦が砲撃し日本軍が中国人に対する攻撃を始めた、と、虚偽の記者発表をおこなった。
翌8月16日、蒋介石はようやく「翌朝払暁を期して総攻撃をおこなう」と命令を出した。
(中略)
蒋介石が全面戦争に追い込まれたのを見て、スターリンは積極的に蒋介石の戦争続行を支援する動きに出た。
(中略)
1937年12月から1939年末までのあいだに、2000人以上のソ連パイロットが中国で戦闘任務につき、日本の航空機約1000機を追撃し、日本占領下の台湾に対する爆撃までおこなった。
(中略)
黒幕として日中全面戦争を実現させたスターリンは、共産党軍に対して積極的に戦争にかかわるよう命令し、中国共産党は国民党に適切に協力して蒋介石に抗日回避の口実をいっさい与えないよう行動すること、と、はっきり指示した。
当時、日本はソ連が裏で工作をしているのに気が付いていました。
【北支事変と対支軍援助か】
【老獪なるスターリンの戦術】
【注目さるるソ連の動向】
【国民政府共産化】
【左翼財政々策採用】
【ソ支相互援助】
【全面的密約内容判明す】
【露支密約成立】
【対日共同防衛陣を張り】
【防共協定破壊に務む】
現在、中国は「日本軍が中国を侵略した」と言い張っていますが、中国共産党はこの事実を隠しているわけです。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
リンクフリーの記事です。 皆様のお役に立てれば幸いです。