マスゴミの病巣「日中記者交換協定」

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

近年ネットの普及とともに、マスメディアの異常に気が付く方が多くなっているのではないでしょうか。

先ず、「反安倍」のためなら、品のない嘘と中傷を並べ立てる。

椿事件」が今も続き、中国に忖度した政党を持ち上げる。

再び、「非自民党政権」をもくろむマスメディア。

 

さて、よくもこんな中国のわがままな要求をそのまま受け入れたものだと開いた口が塞がらないのは私だけではないと思います。

 

『日中双方の記者交換に関するメモ』Wikipedia

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1964年(昭和39年)4月19日、当時LT貿易を扱っていた高崎達之助事務所と寥承志事務所は、日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた。

会談の代表者は、松村謙三衆議院議員寥承志・中日友好協会会長

この会談には、日本側から竹山祐太郎、岡崎嘉平太古井喜実、大久保任晴が参加し、中国側から孫平化、王暁雲が参加した。

(中略)

中国側は、われわれの間の関係を含む中日関係に存在する障害は、アメリカ帝国主義と日本当局の推し進めている中国敵視政策によってもたらされたものであると指摘した。

(中略)

1.中国敵視政策をとらない

2.「二つの中国」をつくる陰謀に参加しない

3.中日両国の正常な回復を妨げない

(中略)

当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞NHKなどや、今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求された。

以上の条文を厳守しない場合は中国に支社を置き記者を常駐させられることを禁じられた。

(中略)

この協定に関連する動きとして、文化大革命期に産経新聞を除く新聞各社は、中国当局からの台湾支局閉鎖の要求を呑んで中国に支局を開局したという経緯がある。

なお、同社はこの協定そのものに反発しており、傘下のフジテレビ以下FNS各局、ニッポン放送を含めて中国からの要求に対し度々北京支局の閉鎖・特派員の引き上げという措置を断行している。

(中略)

 

なお、この1968年(昭和43年)の記者交換協定の改定は、北京で改定交渉に当たった※田川誠一衆議院議員らと中華人民共和国との間で「結論は一般には公表しない」ことが決められ、その内容も報道されなかった。

 

 

田川誠一元朝日新聞社社員、従妹は河野洋平

      第二次中曽根内閣

      第32代国家公安委員会会長

 

 

昭和毎日 昭和のニュース

『日中記者交換・LT貿易事務所設置覚書書に調印』

1964年04月19日

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北京で行われた自民党松村謙三衆議院議員寥承志・中日友好協会会長との会談で、懸案だった記者の相互受け入れが決定した。交換記者の人数は8人以内、1社につき1人で1年単位で交代することが原則とされた。

 

『蠢く!中国「対日特務工作」㊙ファイル』袁翔鳴著

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周は寥らに指示して、創価学会を詳細に調べるとともに、学会を最大限利用して、日中国交正常化を進めるため、「対日工作4人組」を組織した。

日中国交正常化とは、裏を返せば、日本を台湾と断交させることに他ならない。

いわば、周の対日国交正常化の真の狙いは台湾を国際的に孤立させることにあったのは、その後、中華民国政府が国連から脱退し、中華人民共和国政府が取って代わるなど歴史の証明するところだ。

 

この国家的プロジェクト遂行のため、の下に置かれた4人組にはよりすぐりの対日工作経験者が選ばれた。

孫平化のほか肖向前、趙安博、王暁雲だ。

           

中国共産党「日本解放第二期工作要綱』

 A-1.基本戦略

 わが党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、わが党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。

(中略)

B 第2.マスコミ工作

大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団が世論を作り上げるのである

偉大なる毛主席は

およそ政権を転覆しようとするものは、必ず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う

と教えている。

 

田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの正しさを証明した。

日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へ追い込んだのは日本のマスコミではない。

日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。

 

日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。

 

2-1

A接触線の拡大。

新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。

 

雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。

接触対象の選定は「10人の記者よりは1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。」

 

 

 

『人民網 日本語版』

人民日報の社長が日本朝日新聞社訪中団の一行と会見

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ノコノコと中国の要人にご挨拶に行く朝日新聞社長一行

 

テレビ局も母体は各新聞社であります。

ワイドショーを観てから、政党選びや議員を決めるととんでもないことになりますね。

メディアが画策した政権、「自社さ政権」「民主党政権」では、中国の思いのまま日本が貶められました。

メディアが次に持ち上げた政党は…立憲民主党立憲民主党旧民主党(旧日本社会党自民党田中派の流れを汲む経世会)ですので、くれぐれもお忘れのないように。

 

最後までお付き合いくださいまして有難うございます。

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