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「プーチンの“平和“はウクライナの“平和“ではない」と悲痛に語るウクライナ人。
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産経新聞 令和4(2022)年2月26日
【産経妙】
>「これは一個の空文に過ぎない。わが国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする」。共産党の創立に参加し、24年間も議長を務めた野坂参三氏(平成4年除名)は昭和21年の衆院本会議で憲法、なかんずく9条についてこう反対の論陣を張った。その主張の正しさは今こそ明白ではないか
▼ロシア軍の侵攻を受けるウクライナは1994年、米国、ロシア、英国が署名したブタペスト覚書により、核兵器を放棄する代わりに安全保障の提供を約束された。まさに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」(日本国憲法前文)した結果、今日の悲劇を招いた
▼76年の星霜を経て、政党として唯一、憲法草案を否定した共産党の先見の明が注目を集めている。国連安全保障理事会は、拒否権を持つ常任理事国の条約破りや侵略行為には無力である。「国際社会は力が支配する世界なんだよ」。
▼ところがなぜか、志位和夫委員長は9条を懸命に擁護している。24日にはツイッターで訴えた。「仮にプーチン氏(ロシア大統領)のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」
▼とはいえ世界は日本を中心に回っていないし、日本が何もしなくても紛争は絶えない。ロシアや中国、北朝鮮といった国々がみな9条を取り入れ、堅持するならばともかく、現実には志位氏の意見は「一個の空論」にすぎない。ロシア軍の侵攻にあえぐウクライナに、「だからこそ9条だ」と言っても相手にされまい
▼終戦日本には長く、9条の存在で平和が保たれきたとの幻想があった。だが、実際は、9条は魔よけにも家の鍵にもならぬガラクタで、むしろ国民の命を脅かしている。
日本が中国や北朝鮮、韓国になめられているのは、憲法9条のせいです。
それにしても、志位和夫は共産党の友好国である中国や北朝鮮、韓国に「憲法9条」を勧めたことがあるのでしょうか?
ないでしょう!
志位氏自身、憲法9条によって中国や北朝鮮、韓国に侵略されることを願っているんだと思います。なにせ志位氏はアホなので中国や北朝鮮、韓国に侵略されると「革命」できると信じ込んでいるところがあります。
つまり、コミンテルンの「敗戦革命」を今も目論んでいるということです。
本当に「バカにつける薬はない」「バカは死んでも治らない(バカは死ななきゃ治らないというが、バカの魂は死んでもバカのまま)」ことを証明したようなもんです。
さて、志位和夫のようなドサヨが知らないロシアの歴史を振り返ってみましょう。
今回、ロシアは突然ウクライナに進攻して行ったのですが、ロシアの歴史を辿れば帝政ロシア時代から「南下政策」といって周辺の地域を侵略していました。
なんと言っても、日本人が忘れてならないのは「北方領土」問題ですよね。
「日ソ中立(不戦)条約」を破って、突如、満州や朝鮮半島、樺太などに軍事進攻してきて民間人を虐殺し、占領しました。そして日本人は極寒のシベリア方面に強制連行されたのです。
今でも、シベリア抑留させられた日本人の遺骨が出土してきています。
戦後はありません…
参考記事:日本人皆殺しのソ連を擁護した朝日新聞と日本共産党 - 姥桜
それ以前にも、帝政ロシア時代で…
皆さんは「旧制第一高等学校 寮歌」の歌をご存じでしょうか?
『アムール川の流血や』
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この寮歌は1900年に起きた『アムール川(黒龍江)事件』のことを歌ったものです。
事件の内容は以下のWikipediaをご覧になってください。
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この事件当時のことが、清国の皇帝の家庭教師だったR・F・ジョンストン氏の著作『紫禁城の黄昏(上)』で書かれています。
>それよりも四年前、シナはそれまでずっと軽蔑し、無視しつづけてきた(このような軽視は今に始まったことでもないし、それ以後なくなったわけでもないが)小さな島国の帝国に打ち負かされ、もろくもその足下にひれ伏してしまった〔日清戦争(1894年8月~95年4月)で日本に敗北したこと〕。その結果、台湾は(実際のところ、満州王朝が征服して併合するまでは、シナの領土ではなかったけれども)割譲されて日本帝国の一部となった。
さらには、もしヨーロッパの三大強国(ドイツ、ロシア、フランス)が三国干渉を行わなかったならば、シナはさらに旅順と大連を含む満州の重要拠点(遼東半島)も失っていたことだろう。とはいえ、三年もたたぬうちに、シナはその拠点さえも失ってしまった。
そのときロシアは、いかにも度量が大きいようなふりをして、無理やり日本からシナに返還させた領土を自ら占領しただけでなく、満州全土においても、ロシアの軍事的地位をすこぶる強固なものにしたのである。その結果、ロシアはあの満州王朝の先祖伝来の土地における支配的勢力にのしあがったのだ。
1898年当時、満州に住んでいた英国の商人たちは「まさに目の前で現実のものとなってゆくロシアの実質的な満州併合」について語っている。英国の宣教師の指導者も「私のみならず、私のもとで働くどの宣教師も口をそろえ、満州とは名前だけで、ことごとくロシアのものと思われると明言した」のである。
これは、眼前にある今の満州問題の背景を理解しようとする者なら、絶対に忘れてはならない事実である。シナの人々は、満州の領土からロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったく取ろうとはしなかった。
もし日本が、1904年から1905年にかけての日露戦争で、ロシア軍と戦い、これを打ち破らなかったならば、遼東半島のみならず、満州全土も、そしてその名前までも、今日のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地のない事実である。
(中略)
日本は、1904年から1905年、満州本土を戦場とした日露戦争で勝利した後、その戦争でロシアから勝ち取った権益や特権は保持したものの、(それらの権益や特権に従属する)満州の東三省は、その領土をロシアにもぎ取られた政府の手に返してやったのである。その政府とは、いうまでもなく満州王朝の政府である。(中略)
その帝国のシナ語の公式名称は「中国」ではなくて、「大清国」で、これに最も近い名称は「満州帝国」である。
以下略
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このように帝政ロシア時代から、ロシアは理不尽ともいえる論理と方法で他国の領土を侵略していったのです。
さて、「9条」に反対していた日本共産党の野坂参三もこの事実を知らないで、「日本が満州を侵略した」とのたまわっていたのです。
そして、「満州族」ではないけれど、同じシナ大陸に90%以上もいた「漢民族」もロシアに対して何の抵抗もしていなかったんですね。
惨殺されて黒龍川に流されても…
そこで、大日本帝国は侵略者ロシアを打ち負かして「満州」をシナ人にプレゼントをしたのですが…現在の中共と日共は「大日本帝国が満州(清国)を侵略した」と言っているんです。
中共の捏造歴史はともかくとして、日共までもが真逆の捏造歴史というか、日本を侵略国家と断定しているんですよ。本当に情けないというか腹立たしいことです。
こんなバカサヨが結構いるんですよね。
旧ソ連時代にも「アフガン侵攻」がありましたね。
詳しくは以下のWikipediaをご覧ください。
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アフガニスタン紛争 (1978年-1989年) - Wikipedia
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