今日もお立ち寄り有難うございます。
今日も、気になっているニュースを取り上げます。
よく、韓国からは「日本は歴史を直視するべき」とか、「日本は歴史修正主義」と、何かと日本の「歴史」について批判をしてきますね。
でも、ちょっと待ってくださいよ。
韓国の主張する歴史って、“重要な出来事”が前後していたり、存在していない“証拠?”を出してきたり…
要するに、韓国の歴史認識というのは「こうだったらいいな♪」の発想から、成り立っているんですよね。
さすが、「民意重視」のお国柄ですね。
年がら年中、ファンタジーの世界に浸れるなんて、韓国人はある意味、幸せな国民なのかも知れません。
しかし、韓国人の妄想に付き合わされる日本からしたら、たまったものじゃあありませんよね。
(朝鮮日報日本語版)【社説】大韓民国臨時政府100年周年と信じ難い光景
>1919年3月1日に韓民族が一致団結して独立万歳を叫び、4月11日に中国・上海で亡命指導者らが大韓民国臨時政府を宣言した。
ん?「韓民族が一致団結して」るのに、なぜ亡命政府は中国・上海にいたのかな?
>独立軍の正体
韓国において独立運動家は、大変な尊敬と羨望の対象となっている。なかでも特に、満州で日本軍と戦った独立軍は人気がある。
(中略)
しかし、実情は、はたしてこのような「満州の独立軍」というものが存在したのか、疑問である。 彼らは当時、治安不在だった満州地域で組織された朝鮮人馬賊団であり、同胞の財産を奪い、殺人や拉致、強姦、放火など、治安を乱した犯罪を行った、盗賊団のような存在に過ぎなかったと思われる。その行為においては中国人馬賊団との差はなく、ただ一つ、独立運動を語ったということだけは違う。
それなのに、韓国が独立すると彼らは大挙して帰国し、現在も抗日戦士、独立軍として社会的な尊敬を受け、政府から多くの恩恵を享受している。
韓国政府が「日本軍と戦いさえすればすべて独立運動」として認めるからである。これは、当時、朝鮮唯一の合法的な統治機関であり、朝鮮民族の全幅民族の支持を受けた朝鮮総督府を認めず、上海臨時政府だけを政府として認める韓国の間違った「建国理念」がもたらした結果といえよう。 以下略
「上海」に移動した「独立軍」というのは、元々「抗日パルチザン」と言って、いわゆる満州地帯の「馬賊」「匪賊」のことです。
彼らを指導していたのが「ソ連のコミンテルン(国際共産主義)」です。
実際には、朝鮮人の「抗日パルチザン」は日本軍と戦っていません。
>大正6(1917)年のロシア革命による社会主義運動の勃興に続いて大正8年春、朝鮮半島を席巻した「三・一独立運動」の嵐は日本内地への流入を否応なく促進した。
労働運動指導者と民族主義者、底辺の労働者、学生が一体となって日本を運動拠点に定め、朝鮮独立と社会運動の拡大を目指したからである。
(中略)
長い引用を敢えてしたのは、震災2年前、大正10年ごろになるとこうした独立運動家による活動が活発化し、さまざまなケースが新聞上で報じられ、国民の恐怖感はいやが上にも増大していたことを確認しておきたかったからである。
(中略)
再三繰り返すが、天皇が御不例中で若き皇太子がこの11月に摂政宮に就いて父宮大正天皇の名代を努めなければならなくなる矢先である。摂政宮就任の儀式が執り行われる20日前には、原敬首相が暗殺される。安田善次郎が暗殺されたのも9月のこと。朝鮮半島から続々と移住者が流入していた。
(中略)
この記事によれば、首謀者は上海や間島との連絡を密に取っているという。
上海には「三・一」暴動で容疑をかけられた者が半島から脱出し、フランス租界内に「大韓民国臨時政府」を樹立していた。
首班は李承晩である。
この亡命活動家たちは、現金強奪で資金を作り、密航しては爆弾を運び、東京や大阪市内でテロに向けての謀議を重ねていたのだ。 以下略
つまり、韓国の英雄「抗日独立運動家」は、満州で日本軍と戦ったわけでもなく、上海で戦ったわけでもなく、「日本でテロを起こしていた」が事実なんですよ。
「李承晩」といえば、「初代大韓民国大統領」ですよね。
彼は、アメリカに逃亡し、戦後、アメリカが任命した大統領です。
つまり、韓国のいう「1919年3月1日に、韓国臨時政府が出来て、初めて民主共和国が出来た」わけではないんですね。
韓国が独立できたのは、日本の敗戦を受けたもので、さらに「大韓民国」が出来たのは「朝鮮戦争」の休戦後に出来たものです。
吉野作造と小沢一郎と日本共産党と「大韓民国臨時政府」との接点は? - 姥桜
こんな簡単なことを韓国のマスコミが知らないことに問題がありますね。
それからの100年は「奇跡の歴史」だった。臨時政府が樹立されたとき、韓国国民の相当数は餓死を逃れるのに必死だった。窓のない土壁の家で暮らし、住宅街のどぶには汚物やごみがたまって腐っていた。世界で最も貧しく、最も絶望的な植民地だった。
( ゚Д゚)ハァ?
「日韓併合」前の韓国のことを言っているのかな?
日韓併合前の様子は…
>城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。
北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民はおもに迷路のような横町の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、おまけにその幅は家々から出た個体(※ウン〇)および液体(※オシッ〇)の汚物を受ける穴かみぞで狭められている。
悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たち、疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、ひなたでまばたきしたりしている。
(中略)
こういったみぞに隣接する家屋は一般に軒の深いわらぶきのあばら家で、通りからは泥壁にしか見えず、ときおり屋根のすぐ下に紙をはった小さな窓があって人間の住まいだとわかる。
(中略)
商店も概してみすぼらしいのは同じである。
(中略)
ソウルの「風光」のひとつは小川というか下水というか水路である。ふたのない広い水路を暗くよどんだ水が、かつては砂利だった川床に堆積した排泄物やごみのあいだを、悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。 以下略
朝鮮半島が世界で最も貧しかったのは、「日韓併合前」のことです!
志位和夫「日本帝国主義の侵略戦争と植民地支配によって、2000万人のアジアの人々が犠牲になった」? - 姥桜
志位和夫「韓国は日本軍により繰り返し侵略され、王妃の殺害、国王への脅迫をしてきた」? - 姥桜
志位和夫「植民地支配によって国を奪い、文化を奪った」?① - 姥桜
志位和夫「植民地支配によって、国を奪い、文化を奪った」?② - 姥桜
志位和夫「植民地支配によって国を奪い、文化を奪った」?③ - 姥桜
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参考にしてみて下さい。
1912年(明治45年)のやまと新聞記事より
【朝鮮半島見聞記一~十】
>汽車の走る儘に窓外を眺む。云わざらんと欲するも得べからざるは、荒廃せる山河の光景なり、山あれども樹なく、川あれども堤防なく、田畑あれども畦畔明確を欠く、而して豚小屋然たる鮮人部落が山麓に点綴せる様、宛然是れ、原始生活のパノラマなり…
【近代化の歪みに挑んだ明治の女性たち】
津田梅子と石井筆子の異文化受容のパラドクス
1883年(明治16年)9月30日の手紙
> 父が帰ってきました。2、3日前に、思ったより早く着いたのです。
朝鮮についても興味深くおもしろい話をしてくれました。いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには、本当に野蛮な人びとがいるのです。
彼らは衣服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。
家は掘っ立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。
寝食や労働のために一つの部屋からでることもせず、下層階級の人びとだけが日中、日光にあたるくらいなものです。
…彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚く そして粗野なのです。
…父が朝鮮について多くのことを話してくれました。あなたの記事のために、聞いたことをまとめたいと思います。きっと、とても関心をもたれると思いますので、書いたら送ります。
ある意味で、世界で最悪の国のように思われます。
日本で出会った朝鮮の人たちは、人間的にも精神的にも日本人の特徴ととても似ていて、善良で知的で頑強な男性に思われたのですが、どうして人間がそのようになれるのか驚きです。
「日本人は閉鎖的」「偏見だ」「ヘイトだ」と言われそうですが、事実を正直にそのまま証言しています。
実際、イギリス人でも「みすぼらしい」「汚い」「臭い」「この世で一番、汚い、臭い町」と評しているんです。
さらに、別の頁では「朝鮮は流言蜚語の国なのである」「朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた」…と書かれています。
朝鮮半島には“褒める”ところがないところが、残念ですね。
テレビや映画で見た韓国の“歴史ドラマ”のような国だと思い込んでいるように思います。
そして…
「日韓併合前」の朝鮮を「日韓併合後」の朝鮮だと勘違いしているように思います。
「日帝が朝鮮を侵略して、朝鮮人からすべて奪ってしまった」と本気で思っているのでしょうね。
これでいいんですかね?
韓国の大マスコミがこのような間違った歴史認識で、恥ずかしくないですか?
韓国国内だけで通じる歴史認識であって、世界では通用しません。
ちょっと長くなりましたので、前半と後半に分けて記事を書いていきます。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
リンクフリーの記事です。皆様のお役に立てれば幸いです。