今日もお立ち寄り有難うございます。
カレンダーには「憲法記念日」となっていますが、アメリカが日本の弱体化、解体するために過酷な縛りをつけた「占領憲法」が制定された日を「記念日」とは言いたくありません。自分たちを苦しめる憲法を押しつけられて「記念」とする自虐的な世論に迎合したくありません。
また、左翼の人たちは「平和憲法」と呼んでいますが、自分たちの手足を縛られ、鞭を打たれる憲法に「平和」などと呼ぶ神経が理解できません。左翼はマゾ体質なのでしょうか?
「戦争ができる国になる」などと反対していますが、「日本国民の平和と安全を守る」という自衛に対しては何も語りません。
昨今の左翼勢力は、改憲を阻止するために「モリカケ」問題で、改憲阻止を謀っているようですが、彼らも言論人、国会議員ならば正面きって議論をすべきです。
ただ反対というだけの駄々コネは、幼児と同じですね。
さて、「憲法の日」に寄せて①の続きに入りたいと思います。
憲法制定、西ドイツと日本の差
しかし、そうはいってもね、いつまでも占領軍時代の法律、制度を引きずっていく必要はない。だから、現憲法についてもこの辺で本格的な検討を加えるべき時期にきていることも、また、確かだと思う。
ただ、日本はここまできたんだから、憲法改正に関してことを急ぐ必要はない。憲法は国の最高法規だ。慎重に扱って扱いすぎることはない。それを国じゅうに混乱を起こさずにやるには、何が必要か。まず、わが国と各国の憲法をよく比較し、勉強することから始めればいい。それなら自民党だけでなく、中道政党や社会党も一緒にテーブルに着くことができるだろうね。
いずれにしてもね、憲法はどこの国のものでもなく、日本の憲法であるということだ。その成立に関しては、少しの疑義もあってはならんわけだ。
国家に自由がないとき、主権の存在せざるときに憲法がつくれるものか。どうかね?そんなことは明白じゃないか。
主権の拘束する力の存在するときにつくられた憲法は無効である、と。これがわたしが代議士になったころから先輩に教えられてきたことだ。
その点で西ドイツはね、「第三国に占領されている間は憲法はつくることはできない。つくっても無効だ」と主張した。日本は初めて戦争に負けて勝手がわからかったけれども、ドイツは長いあいだ、敗けたり勝ったりを繰り返して、他国に憲法をつくらせたり、つくられたりした経験を持っていた。
だから、占領国から渡されたものに憲法の名はつけないで『ドイツ国基本法』としたわけだ。 しかも末尾に「この基本法は占領が終わる日にその効力を失う」と明記したんだよ。そして占領が終わると、直ちに新憲法をつくった。さすが経験者だ。
ところが日本はというと、初めて敗戦を味わった者の悲しさというか、アメリカから手渡された草案に日本国憲法と名づけ、ごていねいにも、この憲法を改正する場合は衆参両院で三分の二以上の発議で行う。
しかもその可否は直接、国民投票に求めなければならないと、がんじがらめにした。
経験者と、そうでない者とのあいだには、これだけの違いがあるんだ。
今にして思えばだね、占領が集結して日本が独立を回復したときに、いまの憲法が是か非かを国民投票に付すべきであった。
とにかく、現憲法について何かモヤモヤしていたり、国民の半数近くが憲法の成立過程に疑義を持っていたりするのはいけない。
やっぱり時代の変遷に応じて変えなくてはいけないんだ。
そしてね、自分の子供たちや孫たち、次代の国民が将来、長きにわたって国の基本法、最高法規として守っていけるものをつくるべきなんだ。
現行憲法がどのようにしてつくられたか、今日では国民のほとんどが知っている。だから、その気になれば誰だって憲法について逐条的に議論ができるんだ。
憲法論議を巻き起こすこと自体が日本を再び戦争に巻き込むことにつながるという批判があるけれども、わたしが今いったようなことからすれば、羹(あつもの)に凝りて膾(なます)を吹くの類でね。 ナンセンスじゃないの。
国にとっても、大事なものほどタブー視してはならんのだ。憲法のような大事なものは国民すべてがいつでも議論できるよう、いつもちゃんとテーブルに置いておくべきなんだ。
わたしは代議士になりたての若いころから、そういい続けてきたわけだよ。
もっとも、まだ機が熟していないと思う。問題の第九条についていえば、アメリカが考えていた憲法九条というのは、わが国の潜在戦力さえも否定しようとするものであった、ということなんだな。
当時のわが国のすべての重化学工業をフィリピンに賠償として提供させ、日本を非工業国にしようという考えがアメリカにあった。それと同じ狙いというべきだろうな。
今の憲法のなかで、いいものはもちろん、たくさんある。そりゃああるよ。
しかし、わたしはね、現憲法はこのままではいけないと思っているんだ。
わたしが前に、こういう趣旨の発言をしたら、マスコミはわたしの片言隻句をとらえて「田中角栄は改憲論者になった」と騒いだ。バカなことをいってはいけない。
わたしが代議士になってから今日に至るまで、現行憲法についてどんな発言をしてきたか、それを十分調べてから書けというんだ。
昭和二十一年に初めて衆議院総選挙に立候補したときの選挙公報や国会答弁を含めた、これまでの憲法改正に関するわたしの発言、そういったものの記録をマスコミは改めて読み返すことだ。論評を加えるなら、それからだよ。
つづく
「日本を再び戦争に巻き込む」…左翼の人たちはこの頃からオウムのように言い続けていたんですね(苦笑)。
そして、議論を避けてきた…
左翼政党は本当に進歩がありませんね(呆)。
また、左傾マスコミもこの時代から人の言葉を端折って論じ、自分たちの論調以外の論は抹殺しようとしてきたんですね(怒)。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
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